6月

週末行く場所と言えば大きなショッピングモールしかなく、探して当てるみたいにして少々の映えを求めてあちこち行って、それでも都会には程遠い、この田舎町の暮らしを案外気に入っている自分がいる。

都会も田舎も一長一短で、結局人間関係と同じように合う合わないで済んでしまう程度の事かもしれない、と思う。都会は干渉しない自由さがあるし、そのぶん誰かと繋がろうとしないとずっと孤独だ。繋がろうとしてうまく繋がれない私は、干渉されない自由よりも孤独を強く感じたし、繋がるために自分をさらけ出すことも苦しかった。

心の芯の方で孤独は少しでもあった方が良いと思っていて、よく「孤独を感じるのは誰かと居る心地よさを感じてしまったから」みたいな言説を見かけるけど、100%じゃないけど頷ける部分はあると思う。誰かと居る居心地の悪さだって、その時は苦しいけど、過ぎ去れば愛せてしまうのが人間だと思う。

住めば都。どこだってそうだ。お気に入りの暮らしを作り上げるために何が必要だろうか、私には今目に見える繋がりが必要で、軽薄なそれではいけなかった。

高いだけの理想に打ちのめされて、ぬるま湯で揺蕩っている、それだけのことかもしれないけれど、必要だった。

もう二度と会えないのかな、と思う。そう思う対象は何人かいるのだけれど、皆一瞬でもすごく大切にしてしまったから、もう会わない方が良いのかもしれないし、会えないのかな、と思ってしまう。人との別れ方(関係性的な意味)が下手すぎて、どうもうまくいかない。忘れるのも下手で駄目だ。いつまでも美化して思い出されてる方も気持ち悪いよなと思って、忘れる努力を今日もする。そうやって今日も思い出すから忘れられなくて、私の人生ってずっとずっと、ずっと、人と比べて暇なんだなと思う。もっと自分の人生に一生懸命になりたいけれど、そういう熱量はもう消え去っていて、残りの人生全部消化試合みたいだと思っている。

人と比べて、落胆して、うじうじして気持ちの悪い、自分に良いところなんて1つもない気がするけど、それはそれで周りの人に失礼だなとか思ってやり過ごす。人は関係性のなかでしか生きられない。

(自分の)歯並びが悪いとふと思いました。今更ですが。お金がないとどうしたって陰鬱になりますね。天気も悪いし。嫌なことやり過ごすのも嫌になってきて、あきれる、誰かに会いたいな、誰にも会いたくないな。

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