日記 ~1/15

半年ぶりぐらいに京都に行った。住んでいた街に観光目的で訪れるのは変な気分だった。普段の観光なら道も分からずマップを見ながら必死になるところを、勝手を知ってしまっているので、随分効率的な旅行だった。


こんなにも人の多い街に住んでいただろうかと驚いてしまった。ごみごみしていた。
もう私はこの街には二度と住めない気がした。情報量の多さにほとほと疲れてしまったのと、地元の陰湿ではあるがスローともいえる生き方が結局馴染んでいる気がしてしまった。

なんだかんだ言いながら服等を新調して荷物いっぱいで帰ってきたところ、これを綴っています。

楽しい思い出は大学生の、その中のまた一瞬で、それ以外はなんだか苦しい思い出ばかりの街だ。楽しいけれど苦しい。きらきらがあまりに眩しくて、わたしはやっぱりその中には入れない。わたしにとってそういう、遠い遠い街になってしまった。


結局は、現実を、現実のまま受け止めてやっていくしかないのだ。

切れた縁をいつまでも気にしている訳にはいかないなと思った。悲しくても進まなければ。


   *

人生は長い、と言われてハッとする。そんな先の事まで考えて生きていられない。未来がないのはずっと変わっていない気がする。それでもやっぱり「前」とか「未来」は見てないといけなくて、そこに向かって進むのがどうしてもよしとされているらしい。キチいなぁ。

考えたくないと逃げてきたことばかり、本当は考えなくてはならなくて、考えなくても良いことばかりを繰り返し思い出している。もうどうしたってこのループから自分で抜け出すことは出来ない気がする。負の連鎖の断ち切り方をググりたい。

   *


自分に期待するより早めに諦めた方が色々と傷つかなくて済む気がしてしまった。
「わたしはこうはならない」と断言できてしまう生き方が眩しくて苦手だ。わたしは「わたしもこうなってしまうかもしれない」と思って生きているから。というより、「こうはならない」と思って生きてきた人が「そう」なってしまったときに受けるであろう自分への絶大なダメージ、想像するだけで耐え難い痛みを感じる。明日は我が身って短いながら刺さる言葉だ。そういううんちく臭い散々言われ続ける言葉の深みが分かるような年頃になってきてしまった。もう若くないのだな、と今ですら思うのに、これからもそう思うことばかりなのだとしたら、若さって怖い。それだけで価値になることは何もかも怖く思う。寒さのせいか最近は感情の触れ幅が大きい。

   *

寒すぎてベッドシーツを取り替えられない。というのも、今使用しているのが冬用の特別温かいもので、その快適さを知った今これなしでは冬を越せないなと思っている。乾くのにも時間がかかるし、雪は積もるし、もう冬に飽きたので明日から春になってほしい。人類共通かは分からないけどわたしはよく季節に飽きる。四季の無い国に行ったことがないから分からないけれど、一年中気候が変わらない人達はどうやってファッションを楽しんでいるのだろう…。なんだか話がずれていってしまったのでここらへんで終わります。一週間秒で終わりすぎる。

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