振り返り

ずっと布団にくるまっていたら平和だけど退屈で、どこかに行きたいけどどこにも行く宛なんてなくて、そういうことばっかりだなと思う。

大切にするって言葉より行動で、いくら「あなたが大切です」なんて言われても、全然、全然伝わらない。どうでもいい人には適当に、どうでもよくない人にも適当に。なんだか自分が薄まっていく気がするな、気圧が低いと全部ダメだ。そんな設計で人間を作らないでほしかった。

忘れられないのに忘れられてゆく。人生ってばほんと諸行無常です、嫌になるほどそれに救われて明日からもやっていくしかない。明日からもやっていくしかないということばかり最近書いていて、どうも日々ありきたりに生きているってバレバレだな。なにも考えずに居たいと思っているけど、実際そこまでほんとに深くなにかを考えて生きているかと言われたらNOでしょう。

本当に死にたくてたまらなかった時(がいくつもあるけど、その中でも1.2を争う程度の時)、やりたいことリストをつくって、これを達成するまでは死なない、みたいなことをやっていた。いろんな人の力を借りながら、人に会う約束をたてて、どうにかこうにか、本当に人に寄りかかって生きていた。
まだ達成できていないことが残るリストは、大小問わず一つ達成すると一つやりたいことが増えていくかんじだし、約束は生き延びるための指標ではなく楽しみな予定に変わった。
そうやって必死に生き延びてきて、薬を飲むようになって、なんとか生きている。
生きている、生きていくって本当に恥ずかしい。どうして人生はこんなに恥だらけなのだろう。人より無駄な部分で記憶力が良いのか、何度も繰り返し嫌なことを思い出してしまう癖でもついているのか。
散々な自分で生きていくしかない、悔しい。

そうやって無下に扱われるなら相談なんかしなきゃよかったと思って、丁重に扱われることを望んでいた自分を知る。なんだかな、なんだろう、どこまでいったって自分の愚かさが自分の足跡にへばりついていて嫌だ。生きていくの、嫌だ。

駄々こねながら生きていくしかないことが嫌だ。

生きていくしかないって理解してしまった、もう子供には戻れないんだな。
でも14歳とか、あの頃から、なんら変わっちゃいない気もするよ。

数えるほどしか袖を通していない気がするスーツが埃を被っている。また着るとしたらいつで、その頃に私の心は少しでも正常に近しく在るだろうか。
昔の事を悲しむのも思い出すのももうやめたい。

まとまりのない記事でした。また。

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