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自己紹介note

こんにちはダルです。

皆様に私を知っていただくため自己紹介note書かせていただきました!

よかったら最後まで読んでください。

1.複雑な家庭環境

自分は0歳の時に両親が離婚し片親の環境で姉と暮らしてました。

小さい時は週末夜になると母親は決まって家におらず飲み歩いていました。

毎週末姉とグラタン食って二人で話して質素な生活でした。

保育園年少ぐらいになった時

いきなり母親が男を連れて帰ってきました。

意味がわからなかったです。

まず誰やねん。何しにきたねんて感じでした。

それからよく知らん男と母と姉との4人生活が始まりました。

最初は優しかったですが

次第に暴力的になり母親もその連れの男にも

軽い暴力受けるようになりました。

虐待とかそんなレベルでは全くありませんが

母親が母親ではなくなりメスになっていくのが非常に不快で

母親としてではなく

女として生きている事が

非常に気持ちわるかったのを覚えています。

学校でクラスメイトから酷い事を言われたことを

母親に相談しに行った時

笑いながら『アンタがいけないんジャーン』

と言われた時は怒りとショックで今でも覚えています。

そこから自分が10歳になった頃デキ婚しました。

12歳になる頃には父親に自分から話しかけることはなくなり

怒られた時に喧嘩するぐらいでした。

中学生になるとヤンキーとつるみ家にはあまり帰らず

反抗期まっしぐらで

久々に家に帰るとよく知らん弟の父親に怒られ

ムカつく、ウザい、そんな毎日でした。

高校生になると反抗期が終わり

弟の父親とは会話は全くなくなり

逆に居心地が良くなりました。

母親は弟の世話で手一杯で

そんなうちに

僕と弟の父親が話さなくなり自分にどう対応して良いかわからず

家庭が崩壊して行ってたと思います。

大学3年の時の誕生日

家に帰りテレビを見て笑っていると

隣の部屋で寝ていた弟の父親が自分に対し

うるさいとキレてきました。

10年近くぶりの会話でしかも誕生日にです。

隣の部屋のドアが開いていたので

ムカついて無視して思いっきりドアを閉めました。

ここで弟の父親がブチギレ

自分も今まで我慢していたものが溢れ

初めて胸グラ掴み合い殴り合いの喧嘩になりました。

こんな家にはいられないと思い、その場で家出を決意

母親にこんな家ではやはり暮らせないとつげると

『わかったもう早く出ていきな』と言われました

この言葉をきっかけに母親と自分

お互いにとってお互いが邪魔な存在だと認識しました。

産みの親と育ての親を断捨離しました

それからずっと母親とその旦那とは絶縁しています。

今でも連絡先も知りませんし関わりは全くありません。

今度も関わらない予定です。

2.非モテ学生時代

学生時代はサッカーをずっとやっていてそれなりに陽キャグループの一員だった。中一のときは学校一の不良グループとつるみスクールカーストのトップ集団と遊んでいたしそれなりに充実した学生生活を送っていた。

しかし、学生生活には一つ大きな問題があった。それは

キョロ充!!

学生時代いましたよね。。。

イケてるヤンキー集団にいるにも関わらずとにかく自信のなさが伺えるちょっと無理したイタイやつ。

自分はまさにこれでした。

ヤンキーとも当たり障りのない会話しかできず、どこかノリが違う。面白さにかけ舐められる。そんなダサい学生でした。

当然の如く女子ともあまり深い話はできず

ほんとは女子と話したいのに女子には興味ないて顔して過ごしてました。

ですが顔面だけはさほど悪くなくクラスで上から5番目くらいで

プラスサッカー部ブランドがあり

かろうじて女子にキモがられることはありませんでした。

ですがこれが地獄の始まりです。

中学3年の卒業間近

他クラスの女子とmixiで音楽の趣味が同じということが発覚します。

リアルでは女なんて興味ないフリマインドですが、ネットだとイキり散らかしDM送りまくるのがキョロ充マインドです。

サッカー部ブランドのおかげもあり

音楽の話題で盛り上がりDM4通ほどした後、

キョロ充は



惚れました


はい。非常に気持ち悪いです。

優しくされ勘違いしたガチきも片思いくそキョロ充童貞の爆誕です。

それからはLINEに移行し連絡をとり

高校生になってから飯に行くチャンスが訪れました。

話したいことがあると言われ

告白でもされんじゃねえか!!

とウキウキでファミレスに向かう勘違いガチきも童貞片思いくそキョロ充。

そこで言われたのは

中学の時にきてた教育実習生と今付き合っている

という内容でした。

驚きすぎて苦笑いしながら口パクパクしたのを覚えてます

完全にひよってしまいました。

メンタルげき弱童貞キョロ充の自分は

彼氏とこうすれば良くなるんじゃないか

求めてもいないクソバイス砲を次々に発射

見事に友達フォルダ行きの特急乗車券を手にしました。

その後もラインの連投や

スケジュールの確認など

スーパー非モテコミット大サーカスをし

相手からの連絡は週一程度に減りました。

そこから3年間はその女子に片思いをし

脈なしにもかかわらず告白をしました。

結果はもちろん撃沈。

その後も一年間はその女の子を忘れられませんでした。

トータル4年間一人の女性に非モテコミットしました。

その間に他の女性と付き合ったりもしましたが

今振り返れば全然好きじゃないのに付き合ってました。

こうしてじっくりと非モテマインドが形成されました。


3.即れる非モテ時代


キョロ充非モテマインドが出来上がりきった状態で大学に入学した為

女との関わりがほぼない状態で大学生活を過ごしていました。

大学生になったらウェイウェイコールかまして酔って女を抱く

典型的大学生に自分もなるかと思いきや

そんなことはなく、大学で仲良くなったのは

大学デビューをバカにするキョロ充インキャと仲良くなっていました。

しかも何故か皆かなりイケメンでプライドがそこそこ高く

本気出せば女にモテる!!機会がないだけ!!

という空気感がその中でありました。

一緒にクラブ行ったりもしましたが実際女目の前にすると地蔵するんですよね。

それもクールキャラだとか可愛い女が相手じゃないからだとか

プライドどそれなりの容姿が邪魔して言い訳がうまくないっていました

そんな大学生活に嫌気がさし

某箱でアルバイトを始めます。

そこは上下関係がかなり厳しくTHE体育会系でした。

後輩のミスは先輩バイトのせいで

後輩が仕事できないと先輩が社員から胸ぐら掴まれごり詰めを受けます

その後先輩アルバイトから自分がぶっ飛ばされるのが普通でした。

瓶で頭殴られたり胸ぐら掴まれるのは当たり前でした。

ここまでして何故このアルバイトを続けられたのか

理由がありました

当時の箱スタッフはドアルファばかりで死ぬほどモテたからです

先輩アルバイトは総じて男らしくイケイケで皆女からの逆ナンの嵐でした

出勤するたびに女からLINE交換を求められており

凄い人で1出勤で8人から連絡先を聞かれていました

それだけでなく人心掌握がすごかったです。

仕事中ゴリゴリに詰められたかと思いきやバイト終わりの飯に連れていかれ

褒めてくれたり。

後輩から舐められることは一切なく

それでいて仕事終わりにはモチベをしっかり上げさせる

男して人としてこの内面を手に入れたいと思う人たちの集いでした

中でも一人めちゃくちゃかっこいい先輩が一人いました。

顔面は芸能人よりかっこよく整いまくっていて

他を圧倒する威圧感と自信とオーラがありました。

その先輩は女をナンパしたり逆ナンを受けたり

とにかくモテていました。

界隈のいわゆる『凄腕』の人たちとも沢山あってきましたが

この先輩を超えるオーラ、アルファ感を持つ人は未だにあった事がありません

この先輩との出会いが自分を大きく変えていきます

あの先輩のように女にモテる男になりたいと

強く思うようになります。

そして、仕事しながらナンパする毎日がはじまりました

クラナンしたことある人ならわかると思いますが

クラブにいる女てどんなに可愛くても

ど即系でちょろいです。マジで穴です。

そこに箱スタッフという肩書きが加わると

もうテクニックもクソもありません。

『連絡先教えて』

これだけでLげしてバイト終わりにあって即る

女もクラブで飲んで仕上がってるんで合流さえできればマジで余裕でした。

足切りされない容姿があれば無双できます。

数々の美女を即りました。

ですがテクニックを何もいらないこの方法で女を即っていると

ある一つの問題が出てきます

美女のキープが出来ない

まぁ当たり前ですよね。

キョロ充が女に対して

連絡先を教えてとホテルに行こうという勇気がでただけですから。

男しては何の魅力も高まっていません。

会う時間が長くなっていけば非モテの影は次第にどんどん濃くなっていきます

結果すぐに捨てられるというのがオチでした。

肩書に頼り切った即れる非モテ。完成!!


4.ナンパ界隈を知る


即れる非モテになってから自分は悩みました。

どうすれば美女をキープしたり美女と付き合えるのか

教えてグーグル先生!!

ネット検索をするとナンパ本なるものがあることを知りました。

『僕は愛を証明しようと思う』

この本をとりあえず購入しました。

これが転機でした。

女に非モテコミットしてはいけないという

界隈の常識をここで知り衝撃を受けました。

モテにはロジックがある。

この本をきっかけにこの法則をしり

対女関係を学びたいと思いナンパ界隈に足を踏み入れました。


5.五十嵐先輩との出会い


本からナンパ界隈をしり

自分も適当に即報を上げたりしていましたが

スーパータイプの美女と出会い付き合います。

マジでタイプで今までで一番の美女でした。

この人なら最悪捨てられてもいいと思い

界隈から一度はなれ

他の女の連絡先を消して真面目に向き合いました。

そうしたら相手も真面目に向き合ってくれるんじゃないか

そう思っての行動で彼女にも期待をしていました。

ですが結果は

3ヶ月で振られました!!笑

付き合ってる間も非モテコミットしすぎて

精神がおかしくなっていたと思います。完全に格下扱いされ舐められました。

そんな感じでマインドもまた非モテに逆戻り

結構なコストをかけたこともあり別れても未練が残り

コロナの影響で箱が閉まり女との関わりも減り

元彼女を思い何となくガンガン新規の女に行けず

ダラダラ目的のない毎日を過ごしていました。

そんな時にあるツイートを目にします。

女を囲って捨てる五十嵐ハウスでお馴染みの

五十嵐先輩がコンサル募集を行っていました

かわり映えのない毎日をダラダラ過ごしていた自分は

どうせ無理かもしんないけどとりあえずDMしてみるか!!

と無理だと思いつつも最大限熱意を込めたDMを送りました。

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若い。

この理由だけでコンサル生として採用されました

言語化するのが難しいですが

当時は嬉しすぎてフワフワした感情になっていたと思います。

こんな簡単に事がうまく進んでいいものなのか

会ってみて機嫌損ねてやっぱ無理とか何ないだろうかとか

裏があってなんか売られんじゃねえかとか

どうでもいい事沢山考え

ワクワクと不安感と緊張感が入り混じりながら

五十嵐先輩と会ったのを覚えています。

それからコンサルを受け沢山の人と出会い

大きな環境の変化、行動力の変化が起きました。

※(コンサル内容や何を学んだのかマインドがどう変化したのか

五十嵐先輩の何が凄いのか

この辺は別でnoteを書いていこうと思います。)

ここまでわざわざ読んでくださった方に

本noteで最後に一番伝えたい事なのですが

壁にぶち当たっても諦めるな。行動し続けろ

て事です。

自分は複雑な家庭環境で育って親とうまくいかなかったり

モテなくて数年間一人の女に非モテコミットしたり

数々の問題に直面してきました。

ですが一つ一つ向きあって行動し続けることによって

もがきながらも乗り越えてきました。

全く褒められたものじゃないし人に胸はって言えませんが

親と向き合って喧嘩した結果自分の人生に必要ないと割り切り

絶縁、親を断捨離し捨てました。親が病気になり苦しもうが死のうが

何も感じません。他人です。

この考えも行動したから得られたものです

数年間一人の女に非モテコミットしたけど

モテたいと諦めずナンパを覚え

美女と付き合えるようになった

これも行動し続けたから得られた一つの結果です。

会ってみたい学びたいそう思う人にDMを送る

行動した結果、五十嵐先輩のコンサルを受けマインドが変わりました。

行動し続けるとマインドが変わります。

マインドが変われば不幸なこともポジティブに変えれます。

失敗も失敗じゃなくなります。学びに変わります。

あるかたが言ってましたが

例えば自分が大事な人がナイフで刺され亡くなったとしまょう

殺事犯を憎み恨み自分の手で殺したいと思うでしょう

ですが

大事な人を亡くしたおかけで命の大切さを知る事ができた。

と考える事もできます。

自分はこれがマインドの高さだと思ってます。

どんなに辛いことでも苦しいことでも

高いマインドを持って視点を変えれば

人生にプラスに働く事があると思います。

行動し続ければマインドが養われ学びであふれる人生になると

そう信じて生きてます。

だから皆さんもどんなにしんどくても

歩き続けましょう

行動し続けましょう

苦しい日々は必ず成長をもたらします

成功ではなく成長に目を向け行動し続ければ

成功なんてついてきます。

知らんけど。

ここまで長々読んでくれてありがとうございました!









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