帰国後2ヶ月間、そして始まりの地



もぎけんこと茂木健一郎氏が毎日のように絶えず投稿している「noteの方ではできるだけproactiveなことを書きたいと思っている。」から始まる覚書きに刺激を受けているので、ちょっとここらで書いてみる。

今現在、私は上海にいる。留学用の寮は予約出来ないし、外に住むにしても上海は部屋代がかなり高い。反対に、格安物件は外国人に売ってくれない。だから敢え無くあの上海のシンボル东方明珠が聳え立つ浦东新区の格安ホステルに泊まっている。この地にいられるだけで幸せだから許す。

全ては大体ここから始まった気がしている。この魔都は私が約1年10ヶ月前に初めて自分の目で見た「中国」だからだ。教科書のセリフ丸覚えで挑むことしかできないような中国語の水準で、私は怯えながらこの都市を徘徊したのを今でも鮮明に覚えている。迂闊に深夜便で行き、いわゆる「黒タク」の客引きを断れずに、ホテルまで行くのにがっぽりお金を取られ、外滩周辺で飽きるほど出食わした危ない客引きも、断るのがやっと。帰りも早朝発の便を迂闊に予約し、恐怖の中人生初の空港泊。中国ならではのネット環境の不便さにより、ホテルまで1~2時間迷子になりながらやっと辿り着いたのも、今では痛い思い出。

総じて、この都市には、いい思い出がない。むしろ、悪い印象しかない。

今感じること。血縁上全く中国と関係がない人間にとっては、それがたとえ同じアジア人であり、漢字を日常使用する日本人であったとしても、この国家の人々の考え方や振る舞いに違和感を感じなくなるまではかなり時間がかかる。それを含め、また私が専門とする中国経済など、この国家を一種の学問として扱えてしまうほど深いものにしているのも、5000年の歴史でもあったり、歴史上振れ幅の大きい盛衰を繰り返してきたことが大きく関係するのだろう。中国語学習を始めてから約3年ほど、初めて大陸の怖いほどのダイナミックさを目にしてからたった1年10ヶ月。正直、何も分かった気がしない。複雑で難しい。だからこそ、いくらでも興味が湧き出てくる。

ややもすれば、死ぬまでこの国追っかけてるかもしれない。

帰国後の2ヶ月近くは、あれこれやった。

約1年に及ぶ北京での留学を振り返った。合計14省・41都市、正直旅行に行き過ぎた。ルームメイトと仲が悪過ぎた。そして、何もかもうわべだけあさって満足していた。反省すべきことがたくさんあった。

多くの日本で勉強する中国人の新しい友人たちと知り合い、美味しい中国料理を頬張りながらおしゃべりした。北京大学の留学生が言っていた、「日本料理はどれも味が一緒、刺激が足りないね。」という言葉には完全に同意してしまったり。あまり良くない方面で自分がかなり中国人的なモノ・世界の考え方をしていることを指摘されたり。

北京大学で習得した全ての専門に関係する知識を活用し、今現在荒れに荒れている香港と深く関係してしまっている卒業論文も提出できる形にまでこぎつけた。ただ、まだ提出するのには時間があるので、香港の動向次第では大幅に内容を変更しなければならない。あぁ、Hong Kong。

途中で卒論書くのが嫌になって、とあるベンチャー企業の1週間に渡る短期インターンに参加した。楽しかったけど、一瞬で悟った。中国との深い関わりがない限り、ベンチャーは違うと。

あれこれやったけど、私が一体この国と今後どう関わっていけばいいのか、ちょっとやはりまだ分からない。中国語力はいつの間にか英語力を超越してたけど、今だに通じない時が多々ある。日本にいても、大切な中国人の友人から刺激をもらえるけど、それじゃ正直物足りない。

だからまぁ、始まりの土地である上海に言語留学生として来てみた。

真剣にこの国家とどう向き合っていくかの答えを出すための卒業までのGAPタームとして。ちょっとだけまた刺激を受けながら、自分なりに頑張ってみる。自分のペースで。

蛇足になるが、ここ最近の楽しみは、いかに自分の中国語で自分が日本人であることを隠し通せるかという小さなくだらない、しかし、自分の言語学習の最大のモチベーションとなっているゲームである。ある程度は北京で購入した格安ブルーライト対策のメガネを少し下にずらして、中国の大学生によくいる书呆子(勉強ばっかしてる本大好きな子、で訳あってるんだろうか)っぽい掛け方をすれば勘違いを誘発できるが、喋り出すとなかなか難しい。しかし、少なくとも上海に向かって出発する際のチェックイン時に並びながら世間話を仕掛けられたおばさんを20分間騙し続けることはできた。これが楽しいのである。悪気はない。

とにかく楽しいのだ。

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