見出し画像

宝塚歌劇との、三度目の出会い

数日前、テレビのチャンネルをザッピングしていたところ、CSのタカラヅカ・スカイ・ステージがぱっと写り、雪組公演「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の東京千秋楽が放映されていました。

シーンはちょうど一幕ラスト。
ヌードルスがデボラに王冠を被せ、その情熱に胸を打たれたデボラが「嬉しいわ、そんなに想ってくれていたなんて」と呟くようにぽつりと言う場面。
時間を持て余していた昼下がり、たまたまチャンネルがあっただけなのに、そこからはもう身動きできずにじっとテレビを見つめていました。

たった数分、その世界に触れただけなのに、むせ返りそうなほどの赤い薔薇に囲まれたヌードルスの絶唱に、気が付いたらぼろぼろ涙がこぼれていて。
望海風斗さんというスターさんの素晴らしさ、作品全体のクオリティの高さはもちろんながら、この公演の東京千秋楽というのは、後にも先にもないほどの特別なものであったのだと改めて思った瞬間でした。

2020年3月22日。
新型コロナウイルスの恐怖と不安が日本をも覆い尽くしたその時期、すべてのエンターテインメントが根こそぎ奪われていき、これまでに感じたことのない絶望と悲しみを味わされていた日々でした。
そんな中で、どうにか舞台の灯を絶やすまいと、懸命に最前線で戦っていたのが宝塚歌劇団だったと私は思っています。未知のウイルスから舞台と客席を守りながら、どうにか愛と希望をお客様に届けたい。誰もがこの先どうなるのか分からない中で、一縷の希望であり続けたい。そんな劇団の想いを感じながら、公演再開の目処が立たず、中止を余儀なくされていく状況は、仕方がないと思いながらも本当に苦しくて悲しくてたまらなかった。

そんな中実施が決定されたのが、公演中止となっていた雪組東京公演「ONCE UPON A TIME IN AMERICA」の千秋楽をスカイステージで生中継するというもの。当日の公演実施可否に関わらず、初の全編テレビ生中継を行う。当時、この報せを聞いたときは本当に驚いて、どうにか千秋楽だけでも幕を上げ、どんな形でもお客様にお届けしよう、卒業する生徒の最後の舞台を上演しようと決断をした劇団の心意気に涙したのを覚えています。(もちろんスカイステージのサーバーがダウンしたことも)

それまで映画館でのライブビューイングは何度も経験があったけれど、自宅のテレビで舞台の生中継を観るというのは初体験で、当日は劇場に足を運ぶ時以上に緊張するような、不思議な心地でその時を待っていました。
家で一人で見ているのに、同じ時間に同じ状況でこの中継を見ている人が全国にたくさんいるんだと思うと、同じく宝塚を愛する人たちの心のざわめきが伝わってくるようで、本当に不思議な体験でした。

普段、BDやスカイステージで放映されている舞台映像を観るのは日常茶飯事だったのに、それとは全く違う。環境は、同じなのに。テレビの向こうで、確かに今、日比谷の舞台でこの作品が生きている。それが痛いほど伝わってくるもので、気圧され、圧倒され、胸に深く突き刺さる、苦しいほどの感動を覚えました。息苦しい、先行きの見えない世の中で、宝塚の舞台はこんなにも熱く息づき、輝いている。ヌードルスの激情が、デボラの哀愁が、あのむせ返る赤い薔薇が、消えかかりそうな舞台の灯をどんどん大きくしていく。その様子を、テレビ越しにでもリアルタイムで観られたことは、私の観劇人生の中でもとても貴重で大切な記録になって焼きついていくのだと思います。

私が宝塚歌劇に出会ったのは2013年ですが、2020年3月に雪組公演の生中継を自宅のリビングで観たこの時が、宝塚歌劇との三度目の出会いだったのだと、今になって思います。(二度目の出会いは、同年1月に行われた花組公演「DANCE OLYMPIA」の初日を観劇した時ですが、その時のことはまたいつか、書ける時が来たら書きたいと思います)

季節はめぐり、ウィズコロナの生活も一年が経とうとし、また再びエンターテインメントは縮小していかねばならない局面を迎えています。20年の春とは違い、すべての劇場や映画館が閉鎖してしまうことにはならないけれど、時間短縮や客席数の減少は免れない状況に、また心が暗くなってしまう。

でも、その灯は消えない。
舞台を客席で観られることが、けして当たり前で容易いことではないということを、舞台を愛する身として心に刻み、観客として舞台を守っていきたい。舞台の灯を強くするのは観客であり、そしてその灯を守るのは作り手だけではなく受け手の観客の存在が大いに必要であるという自覚をもって。
愛する宝塚歌劇団に、これから先も、何度でも出会えるように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?