不易と流行の交差点で〜軍艦島クルーズ
長崎県の世界文化遺産「軍艦島」見学ツアーに参加しました
テレビで紹介されているのを見て、「いつか行ってみたい」と思っていた場所です
軍艦島は、元々「端島」という岩でできた島なのですが、明治から昭和にかけて海底炭鉱として操業され、たくさんの人が住んだことで知られています
海から見た様子が軍艦のような威容を誇ることから、ついた呼び名が「軍艦島」
最盛期には5,300人の人々が住み、人口密度は東京都の9倍でした
炭鉱の仕事は厳しく危険
それと引き換えに得られる収入は高いもので、
昭和30年当時、庶民の憧れの的であった家電三種の神器「テレビ・洗濯機・冷蔵庫」の普及率が100%だったといいます
1974年の閉山を受け、
約3か月で島は無人島に
見学者にとって、もっとも印象に残る建物のひとつが、7階建ての「端島小中学校」
無人島になってから50年を迎える今も
こんなふうに建物が残っていて驚き
ここで、子どもたちが駆け回り
授業が行われていた様子は
想像に難くない
いまの学校と唯一違うのは、炭鉱で事故があったときに流れるサイレンを聞いて
「うちのおとうさんは、無事だろうか」と子どもたちが胸をきゅっとさせていたことだろう
島で唯一の神社では、祠だけが残されている
家族やたいせつなひとたちの
無事と幸せをねがう島民のきもちは
いまを生きるわたしたちと
何ら変わらない
変わりゆくものと
変わらないのとが
交錯する
そんな気持ちをくれる
軍艦島クルーズでした
(写真 ちうこ)
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