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「最高や! 全部流れてしまえ!」

数日前、嫌な気分になることがあった。

頭では「世の中にはいろいろな人が共存しているのだから、いつ何時も望む通りになるとは限らないものだ」と理解していても、心がざらついて仕方がなかった。

その気持ちをあおるように、翌日はかんかん照りの暑い一日だった。

朝7時に縁側の窓を開け放つと、ふだんなら心地よく部屋に入り込んでくる風がない。まるで時が止まったかのような、無風の世界だった。庭を見渡せば草木や車など、あるものすべてに太陽の日差しがじりじりと照りつけている。

***

夕方になって、急に何度も停電が起きた。

ゴロゴローッと遠くの方で、雷が鳴っているのが聞こえた。そのタイミングで家には私と子の2人しかいなかった。いつもなら雷を恐れて、不安になるところだ。

しかし今日はどうだ。暑さが原因か、心のざらつきが関係しているのかわからないが、雷が小さく鳴りだしたことに興奮した。

「くるぞ。きっとくるぞ。大雨がやってくるぞ」

最初の雷の音を聞いてから30分もしないうちに、ぽつぽつと雨が降り出してきた。暑さのあまり縁側の窓はほぼすべて全開にしていたが、雨が降ってきてもそのままにしておいた。すると、雨が降り出したのと同時に、さっきまでの暑さが嘘みたいな冷気が急激に流れ込んできた。

ゴロゴロゴロー。どんどん雷の音が近づいてくる。音が大きくなるにつれ、雨の勢いも強くなってきた。カラカラに乾いていた地面や植物やアスファルトが、みるみるうちに湿っていく。雨の匂いがする。なぜか少し懐かしいような、埃っぽい匂いが部屋の中に満ちていく。

雨足が瞬く間に強くなっていった。

私は興奮して、何を思ったか子を抱きながら、縁側の外に置いてある縁台に出てみた。軒のおかげで派手には濡れないものの、ややしぶきがかかる。子は初めて間近で見る大雨を喜んだ。私も嬉しかった。滝のように空から次々と降ってくる雨が嬉しかった。

「最高や! 全部流れてしまえ!」

実はこれ、私が大好きな映画で使われているセリフだ。辛い過去を背負っている主人公が大雨に降られて、傘もささずにただただ天空を見上げて泣くシーン。髪や顔から滴る雨に、どれくらいの割合で涙が混ざっているのか、本人にしかわからない。

全部流れてしまえ!

急に降り出した滝のような雨に、嫌なことが全部流されていくかのようだった。

***

きっかり1時間で雨はやみ、また日差しが戻ってきた。雨の間はすっかり息をひそめていたミンミンゼミが最初に鳴きだした。その後、ジージージーとそのほかの夏の虫たちもセミに続いた。

気が付けばなんでも溶かせそうな力を持った太陽の光が、また戻ってきていた。

さっきまでの興奮が徐々に消えていってしまう。寂しい。寂しいけれど、雨が残していった余韻をまだ耳と目の奥で感じる。心の雑音をかき消し、水溜まりさえも美しく見せてくれた。

雨は心がざらつく日ほど美しいのだろうか。

そのとき必要なことに必要な分だけ、ありがたく使わせていただきます。