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「薩摩の風に送られて」ご紹介№006「第三章・⑧関ヶ原の戦い~関ケ原の戦い前夜!日本史上最大の戦い

遂に徳川家康が動いた。
その矛先は、会津の上杉景勝へ向かう。
景勝は、武田信玄と共に戦国最強と謳われた軍神「上杉謙信」の後継者である。
今回も、名軍師「直江兼続」とともに徳川相手に一歩も引くつもりはない。
1600年(慶長5)、家康の上杉攻め、いわゆる「会津征伐」が正式に発動された。
関東、奥州にて徳川、上杉の戦いが始まる機運が高まる中、中央においても慌ただしく動きがあった。
東の上杉に呼応し、西から石田三成が兵を挙げたのである。
西国の諸将を味方に取り込む三成は、当然、島津家の勧誘も行う。
 「以前の件については謝罪致す。しかし、島津は三成殿のお味方するわけには参らぬ」
以前の件とは、義弘の次男「忠恒」が起こした伏見事件を指す。
家臣の島左近に、義弘を討てと命ずる三成であったが、左近は、首を横に振った。
「島津を怒らせてはなりませぬ」
島津、東西いずれにも組せず。
義弘は、三成本陣を後にした。
関ヶ原の戦いの三ヶ月前のことである。

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