見出し画像

絵本をつくりたいなら

「絵本をつくりたい!」

・・・そう思う人にはきっと理由がある。私は絵が得意だから!物語を作るのが好きだから!

私の場合、知り合いに絵本を出すことになったと伝えると、「作家さんになりはったんですか?」という。いやいやいやいや、今まで文筆職業でもないやつがたかが1冊本を出すからと言って「作家」になりましたと言う人、そんなにいないと思う。私はとにかく今回絵本を出版することになったわけだが、しかし、絵はへたくそで、センスがないし、今までたくさんの絵本を網羅してきたわけでもないし、唯一文を書くのは好きなので作った、という程度の才能のそんな絵本だれが買ってくれるのかな・・・ドキドキ、ハラハラ。

厳密にいうと、絵本と言い切るにはISBNコードが違うし、絵本仕立ての愛玉ガイドブックみたいな仕上がりという感想を持たれるのではと思っている。

いや、そもそもなんだけど、例えば絵を描くのが得意でも文を書くのが得意でも、「絵本を出したい」と思うときの本当の動機ってなに? こんなに絵が上手なんです、文章がうまいんです、っていうことを披露したいから? 「才能」ってそういうものじゃないんじゃない? と思っている。

「才能」って「力量」ってことですよ。大小はあっても、その人の「力量」ってその人こそが使える、その人の持ってる「力量」で伝えたいことを伝えることが、「力量」の使い方なのじゃないかな?

私の「力量」のフィルターで「伝えたいこと」を「伝える」作業。これがライフワークでありたい。

最近某動画チャンネルで絵本作家さんの話を聞いた。その人は絵本作家というよりはもう実業家のように、次々とアイデアを実現している「なんかすごい人」になって今ちょっと話題の人で、プレゼンが得意な人の手にかかると知らなかったことがいろいろ知れて面白い回だった。(動画チャンネルのいいところは、いつでも再生できる。絵本もそうだけど!)

その作家さんのお話と、最近手に入れた出版業界の話をまとめるとこうだ。

絵本は5000部売れてヒットと言われるほど市場が小さい業界の商品、(例えば1500円の絵本なら750万)売り上げが見込めないとなると、製作費、人件費が用意できないから本は一人で作るしかない。絵本を一人で作らせているど真ん中の原因は「お金」で、資金がないから一人で作るしかないを繰り返しているうちに「絵本は一人でつくるもんだ」という常識が出来上がっているが、絵本をつくる本来の目的は、「見る人に感動をさせること」なのに、売り上げが見込める見込めないがまず先になってしまっている現状。

これとは別に、出版業界自体の体質と国の税金の問題。出版物市場は96年をピークに減少し続けている中(ウインドウズ出現以降ということか)「総額表示」の義務化が進み、89年の消費税導入以降、内税表示を義務付けされるとカバーの刷り直しや、新定価のシール貼り対応などでその負担は1社あたり3623万円に上るそうで(日本書籍出版協会加盟1社当たり調べ)全体でも百数十億円の経費がかかったといわれているとか。これに対応しきれなかった既刊出版物2万タイトルが絶版に追い込まれている(95年5月共同通信)とされている。消費税なんてころころ変わっていくのにそのたびに、売れ行きの足の長い商品の表示替えを余儀なくされると、1冊当たりの経費はますます上がり、ますます出版への道は遠のくと思うのは私だけではないと思う。

消費者の立場でいうとこうだ、子供のために絵本を買うお母さん、自由に使えるお金がない中、選択ミスは許されない。良書でなければと思うと選ぶものは必然的に有名な絵本から。なぜなら、家事をしながら、仕事をしながら、子育てをしながら、絵本を選びに本屋へ行って吟味する時間がないから。そして絵本にかける予算にリスクがあってはならない、そうなると手を出すのは必然的にロングランヒットになっている絵本になるわけで、だからいまだに半世紀前に出版された絵本が本屋に平積みされている、こういうループが本屋の絵本売り場で展開されているという。

その作家さんはいうのだ、つまり!絵本はネタバレしてからが勝負で、ネタバレしていない絵本はそもそも買わない。

原点に返って考えてみる、「目的はお客さんに感動させること」

絵本にしても、映画にしても、「感動させること」が目的だ、絵本を、映画を、媒介に利用するとき、「何を伝えたいのか」、伝えたいことがはっきりすれば、どんなにへたくそでも、絵本はつくれちゃう(動機にはなる)わけだ。

「動機」が肝心。 でも結果に結びつくまでのプロセスがわからない・・・

だけど、私は自分が感動したことを、人に伝えたいだけなんだ!もっと多くの人と共有したいだけなんだ!その媒介が絵本なんだ。

ここで少し、横道にはずれる話だが、人は理解できないものを「宗教」か「詐欺」で片づけたがる傾向があるらしい。(作家さんいわく)「知らない」と「嫌い」は極めて近い感情グループらしい。 知らないことに恐怖を覚えて防御反応がでるのはごく自然なことだ、けれど・・・・ 行動を起こすときにその恐怖といかに折り合いをつけるか、これが「動機」とプロセスを結びつけるカギにになると、おばさんは分析する。その恐怖と戦うシーンに感動しているのが、今の「鬼滅」ブームなんじゃないかな? コロナの年にふさわしいブームだといえる。

ここからはネタバレ含みですが、

行動すれば叩かれ、夢をみれば笑われる 「現代社会の縮図」を描き、「信じぬく」ことの大切さを、感動に持っていくエンターテイメントを来年、観に行こうと思う。 今年空前の「鬼滅」ブームでしたが、私はまだ「鬼滅」なるものを観ていない。あれは兄妹愛の話だと聞いているがそこに、根性だとか友情だとかが盛り込まれているのだろうか、ファンタジー好きな私は、首を切ったりするのを見るのが苦手でどうも触手が伸びないけど、落ち着いたらみてみるかな。「感動」が人を動かすんですね。いや、人は動くから「感動」するんでしょうか。

さて、私の場合、この「動機」については、最近出演させていただいたラジオ番組でもおつたえしたとおり。「相互共生」の世界を伝えたかったわけですが、この「相互共生」を実業でやってのけているこの作家さん、あらためてすげーと思った。

いただいたサポートは、愛玉の普及活動費に使わせていただきます! サポート、応援よろしくお願いします。