双極性障害を発症し、アパレルをやめ、自分と向き合い、行政書士を目指す今までの道のり

高校を卒業し、浪人した時だった。
心と体がうまく連動しなくなった。
それが人生においてこんなにも辛い日々の始まりだとはその時は気が付かなかった。

浪人し始め、初めの半年は14時間勉強し続け、志望校もB判定まできてた時、突然勉強できなくなった。受験勉強のやる気は満々なのに、目の前のことに集中ができなくなり、悲しい気持ちが続いた。それは人生で初めての感覚だった。小中高と、成績も悪くなく、部活もキャプテンをやるほど何に対しても、人一倍の努力と明るさが取り柄だと思ってた。

その後誰にも相談せず、滑り止めの大学に入学。
大学時代も不安定な状態だった。
その頃親には公務員になるように言われていたが、好きなことを仕事にし、一生懸命やりたいそう思った大学三年生の頃、希望するアパレル会社から内定をもらい、内定者バイトとして働き始めた。

絶対負けたくない。
好きなことだから、1番になりたい。
そう思い私は大学生の授業、卒論をこなしながら仕事を始めた。接客は大変だったけど、売上成績も良く、顧客もつき始め、上の人からも目をかけてもらえるようになった。
そして社会人になる時、社員としてその頃1番旗艦店である渋谷店に配属された。配属されてからが地獄だった。もう9時ー23時でそこから飲みニケーションという名の飲みもいくようにした私は、毎日休憩で母に泣いて電話し、家でも泣き続け、声もどもるようになった。辛くて辛くてでもやめたくなくて、、、

渋谷店に配属されてからが半年が経った頃、その店舗で売上一位とることができるようになった。
その頃はもう常にジェットコースターのように私の心は躁状態だった。なので2ヶ月間寝なくても常に元気で、ご飯もいらなかった。

そんな私に店長サブとして移動が決まった。
そして朝8時〜24時で仕事をし、週に一回は飲みニケーションということで、朝まで飲んで出勤する生活になった。私は鬱状態になりお客と目も合わせられない期間が2ヶ月続き、私は休職することになった。

なんで私は好きな仕事を休まなきゃ行けないの。ずーーっと自分と先輩を心の中で責め泣き続けた。天職と自分で思っていたが、周りの親や友達からしたら辛そうだったと後から聞いた。休むべくして、休んでいるのだと今なら思える。

その後アパレルをやりたいとずーっと思ったが病院に通い始め、自分の病気が重くならないような仕事や働きやすさを求めることにした。
そこで今行政書士を勉強している。
今精神的に月の半分は寝たきりだったり勉強が手につかないが、月の半分は無理しない程度に勉強している。

やはり仕事が全てじゃないし、人生楽しむための仕事や環境を自分で作るべきだと実感してます。

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