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現実はいつも対話から生まれる

今回は社会構成主義について分かりやすく書かれた良書「現実はいつも対話から生まれる」からの学びをご紹介。

個人的にははじめて知ったとき、嫌われる勇気(アドラー心理学)と並び、目の前の現実だと思っていたことが、あれ、もしかして現実じゃないのか?と、知るだけで現実が書き換わる感覚がありました。

どういう方が読んでも面白いと思いますが、組織開発にも多分に活かされている考え方なので、人事・組織開発に携わられている方には特にお薦めします。

社会構成主義とは

社会構成主義の立場については、本書では以下のように紹介されています。

社会構成主義の考え方は非常にシンプルなようでいて、非常に奥深くもあります。私たちが現実だと思っていたことはすべて「社会的に構成されたもの」です。もっとドラマチックに表現するとしたら、そこにいる人たちがそうだと合意してはじめて、それはリアルになるのです

具体的に考えていきましょう。

本書では、”自分”というものも、誰から見るかで何者かは変わる、という例が説明されています。

例えば親からしたら子供ですし、子供からしたら親、医者からしたら患者かもしれませんし、配偶者から見たら、良きパートナーかもしれません。

このように、2人以上の存在がいて合意するでリアルになる、これが社会的に構成される、ということです。

いやいや他者の存在はなく、ひとりでいるときの自分はいない、ということ?そんなわけないでしょ、と思われるかもしれませんが、ここでいうリアルになる、というのは「意味」が生まれる、という事です。

例えば、江戸時代の人がスマホをみても、現代人が共有しているスマホの意味、と同じように意味を捉えることはできないかと思います。存在は認識できますが、おそらく未知の物体という意味になるかと思います。

また幼い子供が、人の死を見たとしても、死、ということを我々が認識するのと同じような意味では認識できません。

このように現実というものは、ある特定の文化や共通了解に照らすことで初めて意味が生まれるわけです。

あるコミュニティにおける真実≠超越的な真実

本書では価値観と事実の違いについて、論じられています。
一般的に、価値観は人やコミュニティによるものであり多様であるが、事実とは「確かなもの」であり、客観的なものとして捉えられます。

しかし構成主義では、ある特定の文化の価値観に紐づかない事実はないと考えます。

例えば、外科医はガンを治せる、というのは事実でしょうか。

一見事実に見えますが、これは医者というものが病を治すものだ、ということをある程度信じている=価値を置いているがゆえに事実だと見えます。

もしかしたら、あるコミュニティでは、人が手術をする様をみたら悪魔の所業だと感じるかもしれません。

別の文化人類学の本で知ったことですが、キスをするという行為も実は万国共通(生物学的なこと)ではなく、あるコミュニティによっては、その映像をみて気持ちが悪い、と捉えるようです。

このように構成主義では、あるコミュニティにおける真実が、超越的な真実という分けではない、という立場をとります。
つまり、何が正しいかというということはなく、様々な価値の置き方をすることができるという自由さ、多元主義ということです。

関係的な自己

ここまで整理してきた通り、構成主義では、個人が意味を生み出すのではなく、関係性が意味を生み出すと考えます。

しかし現代を生きる私たちは、独立した自己、個人主義の考え方が根付いているため、意味を生み出すのは自分次第という意識が強いです。

そのため著者は、関係によって意味がつくられるということに焦点をあててみることが重要だと説明しています。

例えば、AさんがBさんに、「おはよう」と言ったとして、それに対してBさんが何のリアクションもしなかったとしたら、その「おはよう」には意味が生まれません。

しかし、Aさんの「おはよう」に対してBさんが「おはよう」と返す(Bさんが何らかの行動で応答する)ことで、おはようが挨拶であるという風に意味を持ちます。


こういった対話を繰り返すことで意味を生み出し続けると考えるわけです。

本書では以下のようにも書かれています。

関係の視点に立つと、個人的で私的な「頭の中」の事象だと思っていたこと-思考・感情・計画・欲求など-のすべてを、根本的に関係的なものとして「再・構成」することができます。

悲しみ、喜び、恍惚、苦痛、愛、憎しみ、欲求、嫌悪などを感じるのは「関係」の伝統に加わることを指します。

私たちはこうした状態を自分の中に所有しているわけではないのです。

このように自己は頭の中で独立して生まれるのではなく、関係性の中で生まれる、関係的な自己として捉えることが出来るのです。

まとめ

この社会構成主義の考えが、組織開発の領域ではAI(アプリシアティブ・インクワイアリー)をはじめとして活用されています。
適応課題もまさにこの考え方ですね。

私は、改めて自分を自分として独立的に捉えるのではなく、関係的なものとして捉えることで、一気に自分と他者の境界があいまいになり、特に対話を日々行っている他者との不思議な一体感と安心感を感じました。
ぜひ一読をお薦めします。

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