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何もしなくても楽しいということを思い出す
ある講座の事前課題で、わら一本の革命(福岡正信)という本を読みました。
自然農業について書かれていますが、How to本では全くなく、複雑化していく現代を裏側から読み解く哲学書でした。
そんな本書を読んで私が受け取った問いと解はこちら。
Q.何をしたら楽しく生きられるのか?
A.何もしなくても楽しいということを思い出す
極端な話し、人間何もなくとも楽しかった、のではないでしょうか。
スマホがなかった時代の人は今より不幸だったのか。豊かさを追求してきたが、本当に豊かになってるのか。多くの人が一度は考えたことがあるテーマではないでしょうか。
本書読んで、私は人間の営みが、遠心的な発達から求心的な縮小へゲームチェンジが起きる(を起こす)タイミングにあるのかもしれないと感じる機会になりました。
"ああだこうだと解釈、研究して、ああすればよい、こうすればよい、と言い出した時から、百姓は忙しくなった"
"科学が追うはてしない夢、~、ああしんどいはなしになった"
もっとより良く、もっともっと、と追求してきた中で、矛盾(より良くしようと思っているのに、より良くならない)が起きている。
そもそも人間の目標は何か、ということに立ち返ると、藁をばらまき、あとは何もしない、で象徴的に表現されているように、人間は何もしなくても楽しく、人知・人為一切は無用である、地上で生きていることを直視することこそ目標である。
本書から私はこのようなことを受け取りました。
そのうえで、では、今までの遠心的な発達は何だったのか、と考えると、これもまた人間の営みとしてはある意味で自然であったとしか言いようがない(そうでないとこうも科学技術が発達したことの説明が出来ず、これを否定しても、そもそも仕方がない)のかなと感じました。
だからこそ、ゲームチェンジのタイミングと理解し、「何もしなくても楽しい」という前提に、少数の誰かが、ではなく社会全体が戻り始めていき、社会を軟着陸させられると良いのかなと思います。
日ごろ資本主義ごりごりのビジネス環境に身をおいているため、深呼吸をする時間になりました。
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