見出し画像

ウイスキーと私とお爺

2020年6月の夕刻
「あんたのヒゲはおじいさん譲りやな」
ばあちゃんの放ったひとことから、ぼくとおじいちゃんの時間が始まった。

ぼくはおじいちゃんを知らない。

いや、厳密に言えば「ほとんど」知らない。
母方のおじいちゃんは、生まれる前に亡くなっているから、まったく知らない。
父方のおじいちゃんは、ぼくが小学生の頃に亡くなっていてほとんど記憶にない。

だからぼくは、「おじいちゃん」を知らない。
しかし、ぼくとおじいちゃんの時間は思いもよらないことから動き出す。



プロローグ

話は2019年までさかのぼる。

社会人1年目だったぼくは、ただただ自分の無力感と焦燥感にさいなまれていた。
仕事もプライベートも上手くいかない日々が続いていた。仕事の資料を作り提出をしてはダメ出しをされ、毎日が嫌になっていた。毎晩強い酒を飲んでは、仕事であった嫌な出来事を紛らわす日々が続いていた。酔うためにウイスキーを多飲していたぼくは、いつの間にかウイスキーに舌が慣れていた。

そんなある日、地元の気になっていたバーに足を運んだ。そこはウイスキーが各種取り揃えてあり、マスターにいくつかお勧めを見繕ってもらった。
「うまい!うまい!うまい!」ぼくの中の炎柱が言う。

ハマった、完全にハマった。

ハマったら最後、突き詰めたくなる性格が功を奏し、その年の冬にぼくは北海道へ発った。


冬の北海道 NIKKAの旅

ぼくは2019年の冬、北海道へひとり旅に行った。
というのも、ニッカウイスキーの蒸留所へ行きたかったからだ。

小樽から1時間電車に揺られ余市蒸溜所へ。
蒸留所の見学ツアーに参加した。蒸留所の歴史、ジャパニーズウイスキーの祖である「竹鶴政孝」の歴史、ジャパニーズウイスキーの歴史を堪能した。特にウイスキーを作る過程で使われる素材に、実際に触れて嗅いで、をできたのはその後のウイスキーライフをとても充実させてくれた。

いくつかの土産話と、蒸留所限定のウイスキーを手に北海道から帰宅した。
帰ってきたぼくのウイスキーへの熱量は冷めることなく加速していった。
「余市」「宮城峡」「竹鶴」「THE NIKKA」「BLACK NIKKA」「NIKKA session」などあらゆるNIKKAウイスキーを買い、飲み続けた。
どれもうまい。飲むたびにNIKKAの努力を、竹鶴政孝さんが人生の全てを注いだ本物のウイスキーを舌で、鼻で、脳で、身体全体で感じた。

この蒸留所見学をきっかけに、僕はどんどんウイスキーの沼に身を沈めていくことになる。


ウイスキーと私とお爺

そして話は冒頭の2020年6月の夕刻に戻る。
母方のおばあちゃんから、ぼくのヒゲはおじいちゃん譲りだと聞かされた。遺伝というのは祖父母から色濃く来ると言われている。いわゆる「隔世遺伝」というやつだ。しかし、ぼくは母方のじいちゃんには会ったことがない。なのでヒゲの濃さを知ることはおろか、繋がりを感じることさえなかった。


しかし、意外な形でその時は訪れる。
祖母:「あんたのヒゲはおじいちゃん譲りやわ」
ぼく:「あ、そうなん?オトンからの遺伝やと思ってたわ」
父 :「いやいや、そのヒゲの濃さは確かにお爺さんやな」
母 :「確かにそうやわ、体毛濃かったからなぁ。胸毛がYシャツの胸元から見えてたの思い出すわ」
祖母:「そうそう、懐かしいなあ」


補足をしておくと、僕はそこまで体毛は濃くない。そもそも胸毛が生えていないからYシャツからはみ出ることなどもちろんない。
「なんぼほど胸毛濃いねん!」という気持ちを抑えつつ話を続ける。


ぼく:「そうやったんや。てかさ、おじいちゃんはどんな人やったん?」
祖母:「お酒の卸業してたんやで。」
母 :「そうそう。ほんであたしがアンタくらいの時に死んでしもてん」
祖母:「せや、おじいさんのとこから本出てきたから、今度取りにおいで」

そう言われ、後日祖母の家に本を取りに行った。

これこれ、と言われ1冊の本を渡された。
本を受け取り題名をみて、ぼくはおもわず硬まってしまった。


竹鶴政孝 著「ウイスキーと私」だったのだ。


そう、ぼくが半年前に見学に行った蒸留所の創設者であり、日本のウイスキーの祖とも言える人の本だったのだ。
しかもこの本、昭和50年に刷られた第5版であり、非売品なのである。竹鶴政孝さんの意思と、おじいちゃんの生きたていた証が45年の歳月を経て孫の世代へ受け渡されたのだ。

もちろん同じ題名の同じ内容の物は既に文庫本として発売されている。しかし、このようなケース付きかつハードカバーの物は売られていないのだ。

つまりぼくのおじいちゃんは仕事の関係か、何か特別なルートで手に入れたことが推察できる。


私とお爺

「驚き」などという言葉ではあまりにも安っぽい、表現しきれない感情が全身を駆け巡った。半年前の北海道旅行やウイスキーにハマったこと。その全てが繋がった。そして腑に落ちた。普段あまり霊的なことは信じていないのだが、この時ばかりは本当に信じた。

そうかぼくは導かれていたのだ。と。
きっとウイスキーにも、ニッカの余市蒸留所にもぼくは導かれていたのだ。行くべくして行っていたのだ。
ウイスキーにハマったことも、特にNIKKAに肩入れしていることも、これで全て説明がつく。


ぼくはおじいちゃんに導かれ、お酒の楽しみかた、本物のお酒を教えてもらったのだと思う。

直接的な繋がりはなくとも、ぼくの中で「会ったことのないおじいちゃん」は生きている。「1冊の本」と「ヒゲ」によってぼくとおじいちゃんは結ばれていた。非科学的で信じがたいことだが、ぼくにとっては大きな意味のある出来事だった。


それ以来、ぼくは事あるごとにお線香を上げに行っている。今さら薄情者かもしれないが、これがぼくにできる精一杯の感謝の気持ちなのだ。


これが会ったこともないおじいちゃんとの繋がり、今まで家族間であまり語られることの無かったおじいちゃんの話。

知りもしないおじいちゃんとの繋がり、それが「ヒゲ」と「ウイスキー」だったのだ。




「ヒゲ」と「ウイスキー」
それは奇しくもニッカとも通じるところがあったのかもしれない。


番外編

当時の熱量そのままのInstagramの投稿がこちら

↓↓↓


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?