日報:2020年2月16日 ノムさんの話

はじめに

往年のプロ野球監督である、野村克也氏が、妻である沙知代さん(サッチー)のところに旅立った。

特段ショックを受けたわけではない。ちょっと前のテレビで野村克也特集が組まれていたとき、初めてサッチーに先立たれたノムさんを見て「もうこれは危ない」という印象を持ったからだ。

わたしは野球知識ゼロだが、ノムさんを敬愛している。
著書も何冊か持っているが、さりとて、「野村イズム」「野村の教え」をいうほど分かっていないかもしれない。どうかそのことを踏まえてお読みいただきたい。

ノムさんとの出会い

ノムさんといえば、ID野球、ボヤキ。
家族があまり良いイメージを持っておらず、どちらかといえばネガティブな印象を持っていた。

そんなわたしがノムさんと出会ったのは雑誌「Number」の「ノート特集」。

デザインスクールでを学んでいたとき、スクールを運営していた会社でバイトをしていたときは、よくメモを取っていた。

「アスリートってどんなメモを取っているのだろう」と気になり、中村俊輔が表紙の雑誌を買った。そこに、球界でメモといえばこの人物、野村克也、と大きく取り上げられていた。

球界で流布する、彼の極秘のノートには、体系化された野球理論、弱いチームだからこその戦術、感覚ではなく相手の心理・振り返りやデータを読む「考える」野球(ID野球)、そして「人間学」に至るまで説かれていたことに衝撃を受けた。

【人生観と仕事観】
「人生」という字は「人として生まれる」「人として生きる」「人を生かす」「人を生む」と読むことができます。その読み方一つ一つに大きな意味を含んでいると思えるのです。各々が「人生をどう生きたいのか?」「どういう人間になりたいのか?」という根本目標をはっきりと胸の中に秘めて、こつこつ地道に努力していくのです。
※Number 736 より引用

なぜ人間学まで説くのかと言うと、野球選手にとっての人生は、野球選手でないときのほうが遥かに長いからだ。

わたしはすぐ最初の本の「野村ノート」が読みたくなり、古本屋で見つけて買った。野球知識がないので、買ったばかりのスマホでググりながら。一字一句刻むように、当時暮らしていた大阪のアパートの一室で熟読していた。

野村の教えを実践できなかった会社員時代

振り返ると、ノムさんを敬愛していると言いながら、会社員だった頃には彼の教えを全くと言っていいほど、実践できなかった。実践できていればどんなに強くなれただろうかと思う。

まずメモを取っていない。
毎日終電で帰る日々の中で、仕事について「考える」ことも「振り返る」ことも一切できていなかった。

こうした言葉の数々が頭の隅の方に置かれながら、日々を過ごすことで精一杯で、引き出せることはまるでなかった。

ましてや、就職ができたことに満足してしまい、「自分がどう生きていきたいか」などまるで考えもしなかった。

人間は「存在するため」と「生きるため」という二つの使命を持って生まれてくるのです。

思えば、これまで、わたしは、「存在するため」だけで手一杯だったのかもしれない。

新しく本を買った

訃報を聞いたとき、体調不良で臥せっていたわたしは急に寂しくなったのか、本を衝動買いした。まるでちきりん氏の本のようなタイトルだった。これ、今年刊行されたものだと思うとびっくりする。

最初の本「野村ノート」は、野村の教えを知るには基本的な本で、他の本を読むと「これ野村ノートにあったわ」ということも少なくない。ただ、内容が濃い分、特に野球知識がない者にとってはかなり我慢を強いる本。

この本はと平易に書かれており、野球知識がなくてもだいたいついていくことができる。節が細かく別れているのでサクッと読める感じがする。

生き残るためのティップスと言うよりは、いかにして野球界で長く生き残ってきたのかという本だった。本によっては改変してないかと勘ぐってしまう編集に出会ってしまうのだが、大事だと思うことは丁寧にすくいあげられた編集だと思った。これから触れる人に大変おすすめである。

「考える」という武器を使えば、弱者であっても強者を倒すことができる。

野村再生工場

これから触れるというよりは、いまのわたしに必要なものは、野村の教えなんじゃないかと思いながら、追悼特番を見ながら書き進めている。

「失敗」と書いて「成長」と読む

他球団を戦力外などになった選手を見込みがあると判断して再度活躍の場を与える「野村再生工場」と呼ぶ。

わたしは勤めていた会社を解雇されてフリーランスになった。挫折して、メモを取っていた「何者にもなれていない状態」に戻ってしまった。

30歳を過ぎ、野球選手としてもデザイナーとしてももう若くない年齢での挫折。だからこそ、ひとつひとつの仕事について、はては人生について「考えて」いかなければいけない。

あの頃のメモをたくさんとって考えていた時代に戻ろう。

野球選手ではないし、この世のひとでもないので、直接教えを請うことは叶わなくても、「野村ノート」といった著書がある。自分の仕事論・人生論を確立したいと思う。

こんなことは愛弟子や息子の克則氏にも言わないと思うけれど「もう俺はいないから頑張れ」と言われているようだった。

多分わたしが一番好きな言葉はこれだ。

不器用は最後に器用に勝る

終わりに

いろいろと思い出すと書いても書いても書き切れなさそうなのでここで筆をおくことにする。

「野村ノート」を読んでとても意外だったのは、ノムさんはとても情にもろいというところだった。それを自分の弱いところだと言っていた。
「阪神には星野仙一氏のような怖い監督がいい」とも。

いま追悼特番で語られているサッチーとの関係もそうかも知れない。
あの世でサッチーと幸せに暮らしてほしい。ご冥福をお祈りします。

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