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こんな上司や先輩にご用心

「苦労は買ってでもしろ」という言葉ほど、無責任で傲慢な発言はないと私は考えている。なぜなら、その発言の背景には、自分が経験した苦労を美化し、それを他者に強要するという、極めて独善的な思考が潜んでいるからだ。

そもそも、苦労に価値があるとすれば、それは避けられない環境下で直面した困難を、いかに知恵と工夫で乗り越えたかという経験則にこそある。しかし、わざわざ苦労を買って出るというのは、ある種のマゾヒズムであり、決して賢明な選択とはいえない。むしろ、合理的な判断力を欠いた愚策といわざるを得ない。

このような発言をする上司や先輩に共通するのは、自身の過去の選択に対する正当化欲求が強いという特徴だ。要するに、自分が経験した無駄な回り道や、非効率な労働を、何らかの意味のあるものとして位置づけたいという願望が、こうした言葉となって表出するのである。

さらに厄介なことに、こうした思考の持ち主は、効率的な選択をする部下や後輩に対して、ある種の嫉妬心を抱きがちだ。「俺たちの時代は・・・」という言葉で始まる説教は、まさにその表れといえよう。しかし、時代も環境も異なる中で、過去の経験則を一方的に押しつけることに、どれほどの意味があるというのだろうか。

むしろ私が提唱したいのは、「無駄な苦労は避けるべきである」という価値観だ。なぜなら、ビジネスの本質は、限られた時間とリソースの中で、最大限の成果を上げることにあるからだ。その意味で、効率的な選択をすることは、むしろ賞賛されるべき姿勢といえる。

また、この「苦労は買ってでもしろ」という発言の背景には、日本特有の精神論的な価値観が色濃く反映されている。欧米のビジネスパーソンであれば、このような非効率な選択を推奨することはまずないだろう。なぜなら、彼らにとってのビジネスとは、あくまでも合理的な判断の積み重ねだからである。

したがって、このような発言をする上司や先輩に対しては、毅然とした態度で距離を置くべきだ。なぜなら、彼らの言葉に従えば従うほど、自身の成長や成功からは遠ざかることになるからである。

むしろ、現代のビジネスパーソンに求められるのは、効率的な選択と、戦略的な判断力である。時には、回り道や苦労を避けることで批判を受けることもあるだろう。しかし、それは単なる嫉妬や、古い価値観に基づく批判に過ぎない。

つまるところ、「苦労は買ってでもしろ」という言葉は、単なるパワハラであり、ビジネスの本質からかけ離れた、時代遅れの価値観でしかないのだ。そのような言葉に惑わされることなく、自身の判断力と価値観を信じて歩むことこそ、現代のビジネスパーソンに求められる姿勢なのである。

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