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自分らしい写真を撮るとはどういうことか
だれかのようにはなれないし、ぼくのようにもなれない。
前線を突っ走るクリエイターというのは、知ってか知らぬかそのことに気づいていそう。
このことにつながることで最近呟きました
人間味のある付き合いをしてくれる人たちが本当に好きです。
— Kō Okamoto |岡本 晃 (@ko_1988_) April 10, 2023
実際、個展に来てくださる方とかクライアントもそういう方が多い。
カッコつけて着飾るとか、損得勘定で付き合うとかじゃなくて。
だから、ぼくはノンフィクションで生きているものを撮ろうとするんだと思います。 pic.twitter.com/VpngJItqqy
だれかの作品のようなものを撮りたいと思うことは、多くの人が経験することだと思う。
そう思った次に何を見るでしょうか。
色、構図、場所、人、カメラ、画角、レンズ、フィルター。。。
何でこの写真が生まれたのかを考えると思います。
こうは考えますか?
これを撮った人はどういう人だろうか。どういう生き方をしてきたのか。
どういう想いを普段持っているのか。
写真は技術や知識でも撮ります。
でもそれは二の次だと思っています。
まずその人の人生の積み重ねの蓄積による、物の見方や感性、癖や触れ合い方、悪いところ、苦手なことといったものを含めて作品は生まれている気がしています。
それを昇華するために技術や知識がある。
自分は憧れのあの人にはなれない。
だからあの人と同じような写真は撮れても、まったく同じ写真は撮れないんだと思います。
真似をして撮ったこともあるけど、あれあれって面白くなるくらい違うものになるのです。
だから、自分らしい写真を撮るというのは今ある写真が自分そのものなんだということをまず認めることから始まるものなのかもしれません。
それに気づけない限り、前に進めない気がします。
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