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飾れる写真を撮れるようになりたくてsnsを意識することをやめた

こんばんわ。
こうです。

今日書きたいことは、タイトルのひと言でまとまります。

で、もちろん人それぞれの目的によって異なるのであくまでぼくの場合の話を今日も綴ります。

みなさんは、写真を始めたときどういう形で動き始めましたか?

ぼくの場合、InstagramやTwitterといったsnsで流行っている作風、色だったり、構図だったり、キャプションを意識していました。

誰かが有償で書いたnoteがあれば購入して読んだし、実行したりもした。

実際そうすれば、見てくださるフォロワーさんやいいねといったリアクションは増えたけど、いつからかそれでいいのかなぁって思い始めました。
  
そのきっかけは、色んな雑誌や媒体だったり個展だったり、snsの場にしても一流として輝いている人には、共通してその人らしさ感じる作品があることに気づいたこと。
 
今はほんとうに素晴らしい時代で、ちょっと調べれば何でも出てくる。秘伝のタレみたいなものも惜しみなく、そして無料。
 
そうした共有は、確実にクリエイティブなことをする業界を後押ししているし、日々色んな人がまだまだ出てくる。

すごいな、、、って思わされる毎日。
 
まぁそんなことは当たり前の事実ばかり書いてしまいましたが、ぼくはぼくがやることの意味を考える人間でして、始めた時のままの意識で続けることはいつまでも意味なんて見出せないと思ったのです。
 
そもそもなんだか熱量が見出せないことにも気づきました。

それから変わった意識が、飾れる写真を撮りたくてsnsを意識して写真は撮らないことでした。

なんというか不思議なことに、snsを意識した写真はsnsから抜け出せない、と感じています。
 
(意識という感覚的な言葉になってて、この部分はまだうまく言語化できないから、近いうちにできるようにしたい。)

1番変わったことは、撮ることの自由さ。
もし今撮ることに息詰まっている原因がsnsにあるとしたら、一度体を離して見ることをすすめたい。

写真=snsではないから。

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