「新郎新婦と一緒に過ごした写真があればアップロードしてください」
自分が撮った写真や自分が写った写真って何歳からありますか?
昔を振り返ってみて、思ったよりあったという人とまったくないなぁという人で分かれてしまうんじゃないかと思います。
ぼくがさす昔は高校生から下の年齢で、その時の僕に会えるなら恥ずかしくても、うまくなくても、特別な理由がなくてもとにかく撮っておけよっ、て言いたい。
カメラが無いと言われたら、写ルンですを買いに行きんさいと諭すだろう(学生時代なんて、おそらく800円とかそんなもんだったから)。
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今日のnoteを書いたきっかけは、小学校からの数少ない親友の1人から結婚式の招待状が届いたことがきっかけ。(今はもう手紙ではなくインターネットで参加か不参加を返事するから便利)。
名前や住所、アレルギーやバスの送迎有無、お祝いの言葉を書いていく。
ここまでは楽勝だった。あとは、出席ボタンを押すだけでいい。
と思っていたのに、「新郎新婦と一緒に過ごした写真があればアップロードしてください」で手が止まってしまった。
手強い敵に出くわしたのだ。
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ちょっと僕の学生時代の写真事情を簡単に振り返りたいと思う。
小学校の時はまだフィルムで、中学校の時はまだパカパカ携帯・ガラケーで、高校の時で写真で残すというとプリクラくらいだったと思う。
(あくまで僕が育った岡山のさらに、小さい圏内での感覚なのでもしかしたら、東京とは違ったのかもしれないけど)。
いずれにせよ、撮るということは頭になかった。
RPGでいうなら、そもそも自分の行動のコマンドに「写真を撮る」がなかった。
ぼくがそれをすることになったのは、人生という名のステージ第26くらいからで、ようやくそこで撮るを実装したのだ。
そこから今みたいに毎日カメラを持ち歩いて、あぁ今日もしょーもないもん撮ったと自分に言い聞かすようなその辺の草や瓦礫や猫や家族や雲や空に興味を向けて立ち止まったり、色んな方々を撮り始めた。
一応、これを書きながら当時を思い起こしてみるんだけど、やっぱり周りに写真を撮る人はいなかったと思うし、まぁそんな人がいても自撮りなんて意味わからんとか形で残すより記憶に残せす方がかっけーとか言ってたかもしれない。
まぁ、野球とかバレーボールとかスポーツしか能がなかったことが原因だと思うけど、とにかく写真を撮るはぼくにとって世界の違うことだった。
写真は見るだけのものだった。
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ちなみに冒頭の質問について、僕はというと生まれてから小学校まではたくさんありました。
両親が大事にアルバムにしてくれた。
友達との写真も遠足とかで引率したカメラマンが撮ってくれたものを買っていたから少しだけどある。
ただ、中学校から思春期だったからかなぁ。
親から距離を撮っていたし、なにより写ることを避けていたから極端に減る。
そんなわけで中学生から大学4回生くらいまで僕が生きた証明とか誰かと過ごした何かとかは、日々消えていく想い出の中でしか存在し続けなくなった。
そんなことに気づいて、とても虚しく、悲しく、後悔の気持ちでいっぱいになった。
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PS.最後にタイトルの問いに対しては、結局アップロードは出来ずに終わった。それがとても悲しくて虚しかった。
大多数からすれば何でもないことかもしれないけど、そうではなかったのでこんなnoteを今日は書いたのだ。
せめてもというか、だからといえばいいのか分からないけど、結婚式ではたくさん撮るつもりだ。
何十年後かにあの時を振り返った時に、未来の自分にまた、「とにかく撮れ」って同じことを言われたくもないから。
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