写真を続けるということが僕に何をもたらしているのか
結論をまとめておこうと思う。
「写真をはじめたことで、それまでの暮らしの濃度が急に濃ゆくなった」。
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「何かをやるなら、爪痕を残せ」
常に自分に言い続けていることだ。
人に残せなんてことは言わないし、求めない。
あくまで自分へのプレッシャー、逆にいうとモチベーションになっていると思う。
これなら続けれる、これなら何かやり切れるんじゃないかと思って続けているのが、写真を撮ること。
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気づけば、飽きもせずに夢中になっている。
表現することがしたくてはじめた役者活動から、撮る側を学びたくてはじめた写真は趣味だった。
デジタルカメラで撮りはじめた当初はプログラムオートだったけど、絞り優先モードになり、マニュアルモードで撮ることも増えた。
写真の基礎を知りたくて、フィルムをはじめて今はその奥深さや豊かさに魅了されている。どんどん深く深く潜っているようだ。
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新しい趣味を持つとたくさんの先輩に会ったり、友達にあったり、勝手にライバル視する人を見つけたり世界が広がる。
SNSでフォローする人を見つけることも同じかもしれないが、会えるならリアルで会うことをする。オンラインではない、オフラインでしかその人の熱量は感じ取ることができなかった。
そうして、自分の興味・思考が新しいものになり、表現の引き出しが増えていると思う(そう信じたい)。
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写真でも、ダンスでも、音楽でもいいけれど、何かを創作するということは誰かのマネごとをすることではないと思っていて、それをしているうちは何を撮っても自分の写真は撮れていないと感じている(もちろん、入門として完璧にマネをすることは大切だ)。
ちなみに僕は最近ようやく自分の写真が撮れるようになってきたと思っていてそのきっかけははっきりしている。
「憧れを捨てたこと」だ。
それは決して失望したとか悪い意味ではなくて、憧れのままだといつまでも追いつけないし、爪痕なんて残せないと考えたから。
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と8月になり、今年残りをどう過ごすかと思った時に一区切りしたくて今のところを整理してみた。
人を撮り、旅先を撮り、個展やグループ展を開催したり、少しずつお仕事をいただける機会もでてきた。
写真を始めていなかったらと思うと、人生損していたなぁとしみじみ思う。
だけど、まだ何も成せていないし満足もできない。
とにかく
「爪痕を残せ、自分」