写真で騙し合いをしているとしても
背中を押す人でありたい。
そう思っています。
ぼくにとってそれを表現する形の1つが写真。
全ての人を、、、、というのはどうしても難しいや。
まったく知らない人、何をしているのかわからない人、他の人を貶めるような人や欲しい、欲しいで人に何も与えようとしない人。
そういった人の背中を押すことはできない。
SNSでいうなら、無責任なリツイートやいいね、はできないししていないつもりだ。
でも、そうじゃない人の背中は見返りはどうでもよくて心から応援しています。
それが友人だろうが、なかろうが。
それが今を救う一つの道のような気もするんです、
昨年からの戦争や自然災害、長い病など先の見えない不安が世に蔓延っている中で、明るくいたいのに、人って他人の成功より失敗の方が興味関心があるし、確証もないことを広めたがる(炎上も最たる例だ)。
抜け出したいはずなのに、一人抜けするようなのが疎ましいのかもしれない。
人は嫉妬の塊で、それじゃあダメだとあがらうのもまた人で。
それが人だ。
人はきれいだ。
そう信じたいから写真を、人を撮り続けているのかもしれない。
それは時に嘘を重ねたものだとしても。
まるで騙し合いをしているかのような感覚を覚えたとしても、それでも信じたいものがあって撮り続ける。
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