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いよいよ本丸

皆のもの~~~!時は来た!出陣じゃ!!
ぅおおおおおおおおおおおーーーーーー!(雄叫)



アホか。



冗談はさておき、とうとう紹介状を書いてもらった大学病院に行きました。
雄叫び上げるほど気合い入れませんでしたが、ちっとはドキドキわくわくしました。
てか、雄叫び上げるなら手術時にやろう。すみません逸りました。


ワタシ、おかしなことに病院大好きなんです…。
普通嫌いですよね…。
でも、私の中で全く敷居が高い存在じゃないんです。

子供のころきょうだいが病弱で、入院ばかりしていました。
母に連れられてお見舞いに毎日行っていて、でも彼女がきょうだいに面会している間、ワタシは誰もいない、ソファしかない待合室でずーーーーっと待っていました。

その時間はとってもつまんなかったのですが、病院に行くことは、別に特別なことでもなんでもない、という感覚になってしまいました。

日常すぎたんです。
子供の時の日常って、他の人からしたら特別でも、子供にはそれが特別かどうかなんてわからないもんなんですね。

だから、ステージ1で命拾いできたのかもしれません。
まあ、そういう思いに至ったのは、この後、数年たってからの話です。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

この病気がわかるずーっと前、20代後半で父を亡くしている。
彼は、我々家族が朝起きたら倒れていた。
通報、救急搬送ののち死亡が確認された。

その時に救急搬送されたのが、今回紹介状を書いてもらった大学病院だった。
父の搬送時には、ワタシは同伴しなかったが、なんだか因縁を感じていた。


がん告知の日、紹介状を手に自宅へ帰った時、旦那に言われた。

「なんですぐに決めてきちゃうの?もっとちゃんと調べて決めないとダメだろう」

えー、だってどこにするー?って先生にその場で聞かれたからだもん。
近いしさー、治療毎日通うってよ?近いの一番じゃね?

「いや、その病院がちゃんとしたところかどうかわからん」

あーだこーだと言い合い、ぶちぶち文句を言いながら自宅のPCを立ち上げ、その場で

「乳がん 手術 病院 ××(地名)」

で検索をかけた。

有名なところがたくさん出てきた。
が、なんと、自分の選んだ病院が、割とちゃんと乳腺外科を運営し、手術件数もそこそこあることも分かった。

しかも、その上位に書いてある病院の有名な先生が、紹介状の病院へ移ったことも判明…。

「え?この辺だとこの病院が一番手っ取り早い感じじゃね?」

と、いとも簡単に旦那を納得させる材料がそろってしまった。

なんとなく納得のいかなそうな旦那だったが、エビデンス出されたらぐうの音も出ないといったところか。黙った。



勝訴。



そもそも、もし病院変えるならまた紹介状書き直しにクリニック行かなきゃいけないじゃん。

めんどくせ!!!
早くこのしこりとおさらばしたいのよあたしゃ。

そんなわけで、家族の同意も得て(得たのか?)、めでたくワタシは大学病院へ向かうことになった。


紹介状を出し、ブレストセンターに向かった。

乳がん予防の啓蒙活動がピンクリボンだからなのだろうか、壁などがうすーいペールピンクを基調とした、とても温かみのある内装になっており、とてもきれいだった。

「あそこに更衣室があるので、検査着に着替えてください。服はロッカーに入れてくださいね」

と、案内をされる。

ほほう、そうかブラとか外していろいろ検査しなきゃいけないのね。

そして、まずはマンモを撮られた。
紹介状にデータないんかい?と思ったものの、結局撮った。
(結局その後超音波も撮った)
ま、そんなもんだよな。


そして、いよいよ執刀医となる先生との初対面。
名前を呼ばれ、診察室に入る。
また男性医師。
中堅どころと言った感じの、若い先生だった。
先のクリニックの先生の名前を出したところ、どうやら学会だか横のつながりだかでよく知ってる同士らしい。
業界間のなんちゃらっすね、あるあるアタシの仕事も横のつながりあるわーなんて、思ったが、おそらく医大の先生のつながりはもっときちんとしたものだ慎め。

はじめましての挨拶もそこそこに、今どんな状態か、これから、どんな治療を行うか、今後のスケジュールは、などを説明してもらった。

また、ワタシからは治療にはどれくらいの期間が必要なのか、やってはいけないことはあるか、傷口はキレイになるのか、そして


子供が産みたいことを話した。


子供の希望を伝えると、治療のスケジュールが少し変わること、治療を行う前に卵子採取および凍結をして準備をする人もいることを教わった。
放射線治療は子宮や卵巣がある場所には当たらないので、被爆の影響はないとのこと。
ただし、ホルモン療法をした際、そのまま閉経するパターンもあること。

卵子の採取となると、まずはそっちをやってから、というスケジュールならば、手術が先延し。
手術の後にできるの?と聞いたら、ホルモン療法があるのでNGと言われた。
ホルモン療法遅らせたらいいじゃん、みたいなことを言ったが、ダメらしい。

うーん、それは嫌だ。
とっととこのコブと離縁したい。

その時点でワタシは悟りはじめていた。
そもそも、子供ができるかどうかなんてわからん。

だったら、後の人生健やかに生きたい。

優先順位は、おのずと決まっていた。
卵子の採取とか、ムダ金使って、その間にこのコブ育てたくない。
育てるべきは、子供であったはずで、悪性腫瘍育てるなんて言語道断。
ワタシは、自分自身をまず大切にしなければならない。

いろいろ確認をし、手術の日程を組んだ。
ワタシの手術は、7月の末になった。
おおよそ、告知から1か月ちょっとというところだった。

これから、手術に向けて検査が始まる。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


そういえばこの頃、一瞬セカンドオピニオンを考えたのですが、この診察で他に治療のやり方がないことがわかったので、無駄な金を使うことなくそのまま言われるがママにすることにしました。

乳がんは症例も多いのか、本当に確立された治療の段取りがあり、実はどこの病院行っても良さそうなこともあとで学びました。


※先生とのやり取りや説明など、うる覚え過ぎる&ある程度の脚色が入っております。
また、医療は日進月歩です。当時の情報が現状とは違う可能性があります。
何かご自身のお体にご不安がある場合は、専門の医療機関に問い合わせることを、強くおすすめします。

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