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ゲンロンSF創作講座自作まとめ

 受講生の方々は他の人の作品を読みこんでnoteやブログ、Twitterで感想を投稿してくださって大変ありがたい。一方で自作をどのように書いたかをまとめている人はほとんど見かけない気がする。それはまあ、自作の設定を丁寧に解説することのダサさとかはあるだろうけど、わたしは小説のあとがきを躊躇なく最初に読むような人間であるから、作者による自作のあれこれを読みたいと常々思っている。なので自分から書くか、というのがこの記事の趣旨です。2年間通ったのだしね。では、行ってみよう。


ゲンロンSF創作講座3期

3期第1回「AIあるいは仮想通貨を題材に短編を書け」

 3期第1回の梗概。というかまあまり2年以上まえのことなのでほぼ憶えていない。SF講座の一回目にサッカーを題材にしたものを書いてやるぜ、ということを思っていた気がする。1個のAIによってサッカーの勝敗が決定されるようになるという話。東さんの「こんなテクノロジーがあったらスポーツどころの騒ぎじゃないのでは」という講評をいただいて、それもそうだなとは思ったものの、いやでも好きなので書きたいと思った。が、実作は書かず。

 いま読み返すとまあ、その、いろいろ拙くて直視できない。造語のセンスをどうにかしようとこの梗概を書いたあと誓った記憶がある。あと初回なので1200字の文字数制限を守っていてえらい。

3期第2回「スキットがなきゃ意味がない」

 スキットってなに、と最初に思った。キャンプに持って行ったりするあれかなとか、そういうことを思いながらググった気がする。

 これは難産だった記憶がある。確か〆切当日に読んでいた本にウィリアム・ハーシェルの名前があって面白かったので、よしこれで行こうと書いた、ウィリアム・ハーシェルに完全に寄っかかった作品。第2回にして文字数制限を超過した。

 ウィリアム・ハーシェルという実在の人物が星の声を聞く、という。それでどうなるのというところが考えられていない。それは駄目だ。

 実は3期で書いた梗概のなかではかなり気に入っていて、実作を書くつもりは未だにある。が、ラストをどうするかとか全く考えていないので未定。

3期第3回「生き物を作ってみよう!」

 初めて梗概が選出された作品なので3期のなかでは一番憶えている。どういう生き物にしようと思っていたときに、東京都美術館でやっていたブリューゲル展で見たヒエロニムス・ボスの絵を見たことを思い出して、「超巨大生物の体内を好き勝手工事して住んでいる人」というアイデアをひねりだし、そこに特殊な死生観と葬送儀礼を考えて突っ込んだ。ルーシャス・シェパードの『竜のグリオール』シリーズも頭にあった気がする。

 自信作というわけではなかったから梗概講評の最序盤に新井素子さんに挙げて頂いて「えっ」という声が出たのは良い思い出。実作を読むのが、自分がSFを読むきっかけになった『Self-Deference ENGINE』の作者である円城塔さんだったこともあり、緊張しながら実作を書いた。ラストシーンの祝祭的なイメージは宮内悠介さんの「ハドラマウトの道化たち」の5章をイメージして、音が遠くの方で鳴っているけれど周りはやけに静か、みたいな文章を書こうとした。オープンワールドゲームにすると面白いのではないかと企画書をゲーム会社の採用課題として提出するも受けは悪い。

3期第4回「拘束下で書きなさい」

「屍者の裔」の実作を書くのに必死になり、ぼんやりとした頭で書いた梗概は読み返したくないランキング堂々の1位。講評では講師陣にほぼ触れられず。まあ当然である。

 一応キャラクターと作者の関係性をテーマにしているところに自分らしさが覗いていると言えなくもない。

3期第5回「来たるべき読者のための「初めてのSF」」

 アンドロイド2体の口からプラグが伸び、お互いのプラグが絡まるように繋がる、という「プラグキス」という偉大な発明をした作品。プラグキスが最高という話を大学の文芸部で披露したところドン引きされ悔しかったので講座で書いて、受け入れられた。これだけでもう気分は上々である。その上ラストシーンをゲスト編集者の都丸尚史さんに褒められ梗概選出となったのだから、それはもう有頂天であった。

 しかしスケジュール管理の甘さや具体的なシーンの構成に難渋した結果、選出されたにもかかわらず実作を提出できなかった。悔しかった。

 アンドロイドが部屋を出ていくというラストシーンはあからさまに映画『トゥルーマン・ショー』のラストを意識した。タイトルの「殻の内側の子供たちは」は、伊藤計劃さんが『伊藤計劃映画時評2』で押井監督のイノセンス評のときに書かれた「『攻殻1』が「GHOST IN THE SHELL」なら『イノセンス』は「SHELL OF THE GHOST」だ」という旨の文章からの連想。

3期第6回「キャラクターの関係性で物語を回しなさい」

 無人探査機の映画制作AIが載っている、という話。大学の文芸部で書いた「Ongoing」という短編を基にしたもので、キャラクターの関係性の発展がそのまま作られる映画を変化させる、ということがやりたかったのだと思われる。3期の梗概でも屈指の印象の薄さで特に言うことがない。文字数制限を400字以上もオーバーしていて、その点もあまりよろしくない。

3期第7回「経過時間を設定してください」

 魅力的なアンドロイドに少年が騙されるという話で、確かちょっとエロっぽいものを書きたいと思っていた時期だったはず。悪意を持たないアンドロイドがやったことが少年にとってめちゃくちゃ悪いことだった、というオチを狙ったもので、まず間違いなくアレックス・ガーランド監督作『エクス・マキナ』が頭にあった。3期は『エクス・マキナ』が好きだと言う人が多かった気がする。あの映画のさらっとした血が流れるシーンは必見。

 お題に全く応えていないのと、またもや400字以上文字数をオーバーしていることが問題点。「ユーワ」というタイトルは「融和」とかかっているのか、と文芸部の誰かから言われた気がするが別にそんな意図はなかった。

3期第8回「「天皇制」、または「元号」に関するSFを書きなさい。」

 いま読むと正直どんな話なのかわかりづらい。確か父子の確執の話だと思うが。タイトルの意味もよくわからないし。テーマをうまく落とし込めなかったという印象。

 この梗概を書くにあたってお正月に母の実家がある大阪に帰省する新幹線の中で天皇制に関する資料を読んでいたのだが、隣に座っていた人が『日本国記』を読んでいて話しかけられたらなんて返そうか悩んだことはよく憶えている。

 文字数制限はもはやあまり意味を持たなくなっている。

3期第9回「小さい世界を見せてください」

 箱庭的な世界がかなり好きで自分でも何作か書いたことがあるのだけど、この「スノードーム」がそのなかで1番箱庭らしい箱庭。スノードームのなかの話で結構かわいい。父が鹿撃ちだという設定はいまのいままで完全に忘れていたのだけど、おそらくこれを書いた時期に猟銃免許を取得したいと考えていたからだと思われる。あとは確かバイト先でもらった鹿肉がおいしかったとかそんなところだろう。鹿肉と柚子は合います。ちなみに猟銃免許のほうは、審査の過程で警察が周辺住民に「この家の人が猟銃免許を取得して、猟銃を家に置きたいそうですが、承認しますか」と訊いて回るらしく断念した。マンションでは無理だ。

 白昼夢みたいな話なので、その点含めて自分は気に入っているのだけど書いてもあまり評価されなさそうな気はしている。いつか書きたい。

3期第10回「最終実作」

「おっしゃラストじゃ、好きなものを詰めこむぞ、祝祭、格差、インド神話、巨大建築、アンドロイド、謎のテスト……」と意気揚々と作品舞台やキャラクターをぶち上げた結果、収拾をつかなくなり、梗概を大幅に書き直すこと数回、ようやく梗概をあげてもなかなか思うように執筆が進まない……。

 最終的には最終実作を提出できないという盛大な爆死で終わったゲンロンSF創作講座第3期だった。

 いまとなっては良い授業になったと思えるけれど、当時は本当に毎日朝起きるのが辛かった。「ああ、今日も書かなきゃ……」というね。自分には才能があるかも、みたいな幻想が木っ端みじんに砕かれたので良いのだが。

 上で梗概を大幅に書き直したとあるが、やはり好きな要素が詰まっているのでいつか書きたいとは思っている。


4期第1回「「100年後の未来」の物語を書いてください」

 2年目にようやく突入。ここからはそれなりに記憶が鮮明なので書きやすい、と良いなあ。3期は結局1回しか実作を提出していないけど4期はそれなりに書けたのも良かった。

 改訂版があるので読んでくださる方はそちらを読んでいただく方がよいと思う。そしてこれも箱庭系。少年少女が卵を獲ったりしながら森に住んでいるけどその場所はじつは巨大なシェルターのなかで彼らは凄腕の子供兵だという記憶を失くしていて……という話。ジョン・ヴァ―リイの「さようならロビンソン・クルーソー」の箱庭感と青春小説的な要素がすごく好きで、その影響がもろに見える作品になっている。高度な戦闘が可能な少年少女という設定とその少年少女がどこか達観しているというかあまり能動的な行動をしないのは『スカイ・クロラ』が頭にあった。

 文芸部の先輩に「上手になったね……」的なことをこの作品で言われたのは嬉しかった。戦闘のディティールを書いたのも自分にしては珍しい。ちょっとかかとを浮かせるところとか。内容に関するアピールでもあるように、キャラクターの対比は考えて書いたのだけど、すこしキャラクターが多すぎた。目玉焼きの半熟の黄身を割るのはなんか官能的、というところも書いていて楽しかったところ。

4期第2回「読んでいて"あつい"と感じるお話を書いてください」

 これは3期の「ピキューンとドカーン」と近い匂いがする。つまりやっちまったな、という。

 リーダビリティを重視しようという狙いははっきりあったが、というよりそれしかなく、よって内容はとくに考えられていない。怪文書ならまだましなのだがこれは怪文書にもなっていない。実作を提出したもののあまり記憶がないのも納得というものである。

4期第3回「強く正しいヒーロー、あるいはヒロインの物語を書いてください」

 これはお題の「強く正しいヒーロー、ヒロイン」というところでそうとう悩んだ。正しいってなに、という話。その結果、正義の話ではなく倫理の話になった。どこまで行っても脱出できないゲーム的な世界で、その世界を現実として受け止めることもままならない主人公は自身の倫理に従って行動し、結果あまりハッピーなことにはならない……という話は、自分の好きなお話の型なのだとこれを書いていて思った。押井監督の『アヴァロン』はもちろん頭にあった。「世界精神型の悪役」が好きなのも、作品世界からの脱出を志向するキャラクターが好きなのもこの作品を書いた収穫だった。

 そう考えると、「ゲームマスタ」以前に3期で書いた「ピキューンとドカーン」も無駄ではなかったということだ。あれも作品世界そのものとキャラクターとの闘いの話だったわけだ。梗概ではそのあたりが上手く書けていないが。

 また「From The White Asparagus~」もそういう話なのでぜひ。

 たとえば自分たちが暮らしているなかで、ある日急に空が割れ禿頭のおっさんが「みなさんが現実だと思っていたこの世界はゲームでした。頑張って真の現実世界へ脱出してちょ」とか抜かしたらどうするか。脱出を試みるかどうか。試みて脱出したらまた空が割れたらどうするか。延々とつづくループだとわかったときにどうするか。というのがこの作品のなかで考えたことだった。

 で、それでも脱出を目指します、というのが主人公の答えだったわけだけど、その動機をどうするかと考えたときに「それが主人公の倫理観なんだ」という解答しか思いつかなかった。こういった話は今後も書きながら考えることになるだろうなと。

4期第4回「「何かを育てる物語」を書いてください」

 いやー、これはなー。これを書いた前後で所属している大学の文芸部がゴタゴタしてたのでそれでむしゃくしゃして書いた、以上。みたいなね。

 他大学の文芸部の人からも聞くのだけど、大抵の文芸部は〆切を作って原稿を集めて部誌を制作して品評会(批評会/感想会)をする、というサイクルで回っているようである。で、往々にして問題が発生するのは品評会で、部員の書くモチベーションや動機が当然さまざまなので品評する人間とそれを受ける人間に熱量の差があると空気が最悪になる。

 それを無視して月日を経過させていくと分断寸前とかになるわけです。なりました。品評をするテクニック(人によって内容を変えるとか)と品評を受けるテクニック(品評を鵜呑みにしないとか)があることを学べるわけです。人間を育てる物語みたいだなと思う。

4期第5回「シーンの切れ目に仕掛けのあるSFを書いてください」

 幽霊になった女子大学生が次々に生前の自分のまわりを(時間的に)飛び回って、最後はダンスを踊るという話。テーマは「幽霊の巡礼と祈りについて」。この記事を書くために講座の動画を観返すと梗概講評のそうとう後ろの方で大森先生が「幽霊が時間移動するっていうのがちょっとだけ良い」ということをおっしゃられていた。

 個人的な実感としては、幽霊というものは社会性を喪失しており、それゆえに時間の制約を受けず好き勝手時間移動をするものだと思っていたので、大森先生のこの講評はけっこう意外だった(ただし空間的な制約はある、地縛霊とか)。

「彼は一年後に交通事故で死んだのだ。」という一文を発端として梗概を書いた。どなたかから「テッド・チャンの「あなたの人生の物語」ですか」と訊かれたのだけどそうではなく、これはamazarashiの「少年少女」という曲の歌詞にある「4番バッターのあいつは1年後の冬に飲酒運転で事故って死んだ」を高校のときに聴いて良いなと思ったというのが最初だった。なんとなく幽霊の視線なるものを意識しだしたのもそのころだと思う。

 いまこれの実作を書いている。

4期第6回「長距離を移動し続けるお話を書いてください」

 コミュニケーションを円滑に進めるソフトが電脳世界みたいなところで人間から必死に逃げるからそれを捕まえに行くバディもの。長距離移動というお題があったので場を持たせるために会話で話を進めることができるバディものにしようと考えた。はず。

 逃げるソフト、というアイデアはメギド72というソシャゲのストーリーでそういうものがあり、それが面白かったので取り入れたものだった。メギドのストーリーはめちゃめちゃ面白いです。ザガンが好き。闘牛士の衣装が良い。

「なんでこのソフトは逃げてるの?」と他の受講生の方に突っこまれて初めてそのことを一切考えていなかったことに気がついた。

4期第7回「「取材」してお話を書こう。」

 アンドロイドにプロジェクションマッピングを投影して落語をしていたはずがアンドロイドではなく実は……という話。

 お題が自分の知らないことを取材して書こう、というものだったので題材に落語を選んだ。選んだ理由はあまりSFに繋がりがなさそうなもので、大学で(一応)やっている民俗学ので大学に資料があったり詳しい人がいることが期待できたからだった。

 結局詳しい人は見つからなかった(実作を書いたあとに見つかった)のだが、藤山直樹さんの『落語の国の精神分析』という本を見つけたことで書ける確信を得た。「らくだ」という落語を土台に、どんどん不気味な方向にしようと思いつき、そこからほぼ悩まずに梗概は書けた。「らくだ」のあらすじを落語を聴きながら書き起こしたのが一番大変だったくらい。まあその分実作執筆時に苦しんだのだが。

 これは梗概選出されるのでは? と期待して提出したら本当に選出されたが、これが4期で唯一の梗概選出作品となった。たぶん現状、最も多くの人に読まれた自作だと思う。実作講評でアイドルファンの大森先生がアイドルにはまるまえは落語をかなり聴いていたということが明らかになった。

4期第8回「ファースト・コンタクト(最初の接触)」

 アンドロイドに付喪神が憑いて、内蔵されたAIとアンドロイドの人格のコンフリクトに主人公が巻きこまれるという話。自分でつけたのに主人公の名前が読めないという問題が。

 これはバーチャルYouTuberの身体構造を基にして短編を書こうと思ったのだった。特にリアルタイム配信形式を採用しているバーチャルYouTuberの多くは中の人の人格に多く依っているのだが、それがなんだかアンフェアに感じていた。そこでガワの方の人格というものを想定することができるのではないかと考えて出した結論が付喪神だった。中の人としてのAIとモノに憑く付喪神の対比は成立しているような気がしたし、アンドロイドに付喪神が憑くというアイデアも悪くないと思っている。付喪神なら大学に資料がありそうだというのも大きかった。しかし実作は書けず。

4期第9回「20世紀までに作られた絵画・美術作品」のうちから一点を選び、文字で描写し、そのシーンをラストとして書いてください。」

 この回は梗概を求められるのではなく、短編のラストシーンを書いてくださいというお題だったので、意識したのは「美術作品を中心に据えること」「余韻を感じさせる描写」「このシーン以前に何かが起こったのだろうと感じられる感」といったあたり。これより前のシーンを何一つ考えていなかったので実作が破綻して提出できず。

 全体のお話ではなくワンシーンに集中できたので書いているあいだはずっと面白かった。「見る/見られる」関係を主軸にしたのだと思う。

 デイヴィッド・シルヴェスターの『ジャコメッティ 彫刻と絵画』という本を資料として大学の図書館で借りて春休みに突入したのだが、コロナの影響でそれ以来大学に行っていないのでまだ手元にある。来週大学に行く予定ではあるのだが。

4期第10回「最終実作」

 こっちに5000字弱も書いたので。


まとめ

・アンドロイド多いな。これは人形としてのアンドロイドに興味があるからだと思われる。そういう意味では4期第9回の像も同じ扱い。

・もう少し自分の興味のあるサッカーとか民俗学とかそういう分野を出すべきだったかもしれない。好きな題材を書く人は強いので。

・講座に関するもろもろのだいたい7割くらいはつらく苦しいのだけど、3割があまりにも楽しかったのでぜんぶチャラ。

・実作を書いていない梗概はつまりストックだとも言えるので、書きたいものは書くと思う。

・アスタ・ラ・ビスタ!

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