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ショートショートnote杯 応募作品

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「#ショートショートnote杯」で、初めて小説のような何かを書きました。
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たった410字以内! 誰もが気軽に応募できる小説コンテスト「ショートショートnote杯」を開催します!

ゲームで遊ぶことをきっかけに、新しい作家さんがこの世に誕生してほしい。そんな想いからプロジェクトメンバーみんなで開発したカードゲーム「ショートショートnote」が6月に発売され、多くの方に遊んでいただきました。 発売から3か月、いよいよ発売当初から計画していたnote上でのイベントが始まります。 商品の発売元「株式会社パートナーズ」主催、本ゲーム監修の田丸雅智さんを審査員長に迎えて開催する、note上でのショートショートコンテスト。 題して、「ショートショートnote杯

空飛ぶストレート

初めてのバイトで、私は人を学んだ。 今年、母が働くスーパーでは、様々な決済ができる新型のセルフレジを増やした。その結果、使い方を聞く客が増え、本来の業務に支障を来していると母は嘆いていた。 何を思ったか、母は私を「レジ説明係」として店長に推し、バイトが決まった。 初めての接客は四苦八苦した。 幅広い客が尋ねてくる。1回の説明で使いこなせる人もいれば、私が代行せざるを得ない人もいる。態度は横柄な人も低姿勢の人もいる。身なりが良い人も悪い人もいる。 人はそれぞれ全く違う!

違法の冷蔵庫

片田舎での商談が終わり、駅に向かうタクシーで、僕は空腹の音を響かせていた。 下車の折、食事処のありかを運転手に尋ねた。 「そのシャッター通りに、食堂があるよ。」 運転手に礼を言い散策を始めると、通りに不似合いな真新しい店構えが現れた。 店に入ると、学生風の男が野菜を刻みながら「お好きな席にどうぞ」と言った。他に客はいない。 カウンターに座り、ピラフと野菜炒めを注文した。 旧型のテレビが映す番宣を眺めていたら、男は「そのテレビ、実は拾い物です。この辺は都会の不法投棄がよ

株式会社リストラ

A社長と共に興したテック企業で、新サービスの公開作業を進めていた 深夜、「資金が尽きたのでサービス公開は中止だ。会社は解散で人事代行に離職票を送らせた。」とLINEが来た。 翌日、離職票と「ラトスリ(株)人事代行 佐伯某」の名刺、「弊社のDXに協力願いたい」と書かれた一筆箋が、速達で届いた。 佐伯の取り次ぎで、ラストリ役員を訪ねた。 「当社は企業の不用品の整理や回収が主業で、変革に迫られている。DX人材の貴方を高待遇で迎えたい。」 帰り道、テック系プレスの通知でA社の

金持ちジュリエット

勤続35年、53歳で私は早期退職した。 子供たちも巣立ち、ふっと力が抜けた時に妻の後押しがあり、趣味の油絵を極めるため藝大を目指すことにした。 美術系大学進学塾の面接に向かいながら、先を思う。 塾で若者と切磋琢磨し、藝大に入学できたら、 とびきり大きな絵で公募展に参加しよう。 雅号は、本名をカタカナで書く「カナジ・ジュリ」。 我ながら好きな響きだが、漢字表記だとイマイチだと思う。 まず姓。私と同音同字の人は稀だ。 そして名。当時の人気歌手・沢田研二の愛称に因んだ「樹

数学ギョウザ

母校の中学には、20分の朝自習の時間があった。 曜日に教科が割り振られ、配られるプリントをこなす。 例えば、国語なら漢字、理科なら元素記号など。 1年生の数学は例外で、月1回数学ギョウザという日があった。 廊下に出て、歩く・止まる・横になる・座るを繰り返しつつ、2桁の計算を解く。 私は数学ギョウザが縁で計算にハマり、時を経て公認会計士になった。 昨夕帰省し、中学の同窓会に顔を出した。 母校の教員となったアヤが、餃子を摘んで「数学ギョウザは健在だよ」と口にした。 ダ

しゃべるピアノ

私の父は家の一角で、革職人として財布等の小物店を構えている。 いっぽう私は、こんな風に認められても、発話がロクに出来なくて不登校になった14歳だ。 私の登校を両親が諦めてから、家の古ぼけたピアノで四六時中遊んでいる。 ヨルシカの曲を真似るうちに、自然に旋律が浮かび手が動くようになった。 いつしかピアノは、私の心に共鳴し、気持ちを代弁する存在になった。 父の店は、ある日を境に客が殺到するようになり、東京のメディアが取材に来たりもした。有名人が父の革財布が愛用品とSNSで公