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「十界」について①

大乗仏教では世界を「十界」として十の世界に分類しています。
この「十界」について自分なりに考えてみたいと思います。


十界とは

十界は「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界」の六道と「声聞・縁覚・菩薩・仏」の仏道を合わせたものです。
「地獄界」から「天上界」までは輪廻するので迷いの世界です。対して「声聞」から「仏」までが解脱(輪廻を脱すること)の道です。

心は絵師のごとし

仏教では世界は心がつくりだしていると説きます。
したがって、十界とは、心の十様のあらわれであり、心が世界として具現化されたものです。

ですが、ここでの「心」とは個人的な内面という意味ではなく、唯識思想や『大乗起信論』でいうアラヤ識のことを指します。
アラヤ識は自己の身体および環境世界をつくりだしている根本の識(=心)になります。つまりアラヤ識にアーカイヴされた衆生の業データが現象化しているのが、「今、ここ」で体験されているこの世界です。

したがって十界の「界」は、”心(=アラヤ識)の業データが現象(=波動)としてあらわれたもの”として理解すると分かりやすいです。

スピリチュアルの世界でも「この世界は心の波動(周波数)によって映し出されたものである」ということが定説になっているようですので、現代のスピリチュアルに興味のあるひとには、こうした仏教の考え方もすんなり入ってくるかと思われます。

現代人が六道輪廻などと聞くと単なる昔の迷信のように思われがちですが、自分たちの心の波動(周波数)がさまざまなかたちで物質世界に現れたものとして捉えると、ある種のリアリティを持ってくるのではないでしょうか。

「地獄・餓鬼・畜生」の三悪道

それでは、六道について見ていきます。

文字を並べるだけで心が重たくなってきますが……「地獄・餓鬼・畜生」は三悪道と言われます。
三悪道とはつまり三毒の煩悩(貪・瞋・痴)に当てはまります(ちなみに、ここに「修羅」を入れて四悪道とする説もあるそうですが、ここでは三悪道説でいきたいと思います)。

〈地獄界〉

「地獄」とは説明するまでもないですが、恨みや憎しみ、恐怖や不安、嫉妬や軽蔑など、きわめて低い周波数をもった心の状態です。
他者に対するバッシングや暴力、自己批判、病気や自然災害もしくは戦争や政治・経済問題による不安・恐怖などなど挙げたらキリがないですが、身近なところに「地獄」の波動(周波数)は当たり前のように展開しています。地獄なんて実在しないとはとても言えません。ある意味この世はそのまま地獄です。三毒における「瞋」です。

〈餓鬼界〉

「餓鬼」とは強い執着心や依存心にとらわれた心の状態です。その心はどこまでいっても満足が得られず、対象(人、モノ、お金、信念など)にしがみつき続けます。その裏には恐怖や不安などが根強くありますから、これまたきわめて低い周波数のあらわれです。三毒における「貪」です。

〈畜生界〉

「畜生」とは動物的な本能欲求以外に興味のない心の状態です。ひたすら動物的な本能に掻き立てられ、それに抗うことも制御することもできないので、その心には知恵も何も生まれません。三毒における「痴」です。

以上が三悪道です。こう書くとひどい感じですが、この三毒による煩悩に少しも悩まされたことのない人などいないのではないでしょうか。
実際、テレビやネットの世界のほとんどは「地獄」「餓鬼」「畜生」のオンパレードと言っても過言ではありません(社会は煩悩のエネルギーによって経済を回しているので仕方ないのかもしれませんが……)。

「修羅・人間・天上」の三善道

次に「修羅・人間・天上」です。
これらは三悪道に対して三善道と言われています。

〈修羅界〉

「修羅」をどう扱うか難しいところですが、阿修羅(アスラ)とはもともとインドにおける神々の一つだった存在が天上界を追われて下界に落ちたものらしいです。それは、きわめて闘争心が強く、つねに天に闘いを挑む存在です。
天上界から来たものですから、世俗的には非凡な才を持ち、また強い闘争心(競争心)によってさまざな分野で能力を発揮するという心のあらわれです。スポーツや芸事、政治やビジネスなどの世界で活躍するのは「阿修羅」的な心の強い人なのかもしれません。いわば”天下を取ろう”というマインドです(天上に上がれないから天下を取ろうとするのかもしれませんが……)。
もっとも、失敗や悔しさをバネにどこまでも自分の限界にチャレンジするという意味では、それ自体きわめてポジティブな波動を持った心と言えます。ですが、すべてが実力で測られる勝ち負けの世界ですから、その中で負けることはある意味で死を意味します。
このように「修羅」の特徴としてポジティブな面とネガティブな面のギャップが凄まじいという点が言えるかもしれません。決して負けられない闘争心は、一歩間違えれば、そのまま地獄に転ずるおそれがあります(そうすると三悪道に真っ逆さまです)。企業や政治(もしくは宗教)の世界における権力闘争などは修羅の心がネガティブに働いた分かりやすい例だと思います。

〈人間界〉

「人間」は理性や道徳、社会性を重んじる心の状態です。ですが、そのためにルールに縛られ、組織の運営や人間関係などから来るストレスにいつも悩まされます。
そして、そこではその社会に合った「自我」が求められますから、いつも社会的な「私」を演じなければなりません。したがって人間界とは非常に神経症的な心のあらわれであると言えそうです。
人間界は学問や教育、法律などによって内に潜む三毒の心(「地獄」「餓鬼」「畜生」)を調停しようとしますが、それらが消えることはなく、どこまでもいっても悩み・苦しみは絶えません。
もしくは人間的な知恵や人情、団結によってさまざな困難を乗り越えていくという素晴らしい面もありますが、困難は次から次へとやってきて終わりはありません。なので、やはり悩み・苦しみの絶えないのが「人間」の心です。

〈天上界〉

「天上」は純粋に喜びに溢れた心の状態です。その心の世界である天上界には三つの位があります。
下位の天上界は肉体的な欲望にとらわれているため欲界に属します。中位になると肉体的な欲望に対する執着はないものの、まだ肉体的な制約があるため色界に属します。この世には環境や天賦の才に恵まれ、文字どおり天上人のような生活を送っている人びともいますが、それは下位もしくは中位の心のあらわれと言っていいかもしれません。
上位になると、肉体的な欲望や制約から解放されているので、無色界に属します。いわゆる精神世界(=神々の世界)です。ですが、それすらも心の制約からは自由になっていないため、輪廻を免れません。天人五衰という言葉があるとおりです。

以上が三善道です。「善」とはいえ、これらも輪廻する心の状態です。つまり「地獄」から「天上」までの六道をまとめて三界(欲界・色界・無色界)といいますが、すべて無常の世界です。”三界は火宅なり”です。

仏道はこれら六道そのものから解脱する道です。ですので、これら六道世界のなかで何かになる道ではありません。

長くなったので、仏道に関しては次の記事で書きます。

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