『反戦平和への希求』 その3

ところで、そもそも、当初の戦争関与は、どのような目的をもつものでしょうか?
 これは理念的位相と現実的位相の両面で指摘することができます。理念の上では、やはり共産主義体制・独裁国家体制から、自由主義体制を守るという思想的主張がなされるでしょう。また現実の上では、同盟国・韓国を、北朝鮮の侵略攻撃から守るという大義名分が語られるでしょう。

 次に、戦争関与の理由――なぜ日本は、戦争に関与することに至るのか? この問いに対する答えは、日米同盟の強化という観点と日本自身の大国主義・覇権主義の台頭という観点から説明することができます。
 日本が経済大国として一国で、世界に独立した座を占めるに至った当時、「ジャパンアズナンバーワン」との声が頻りに上がり、ナショナリズムもまた昂揚しました。その経済大国にふさわしいとされる国家像が保守反動派の政治家や知識人たちによって語られました。朝鮮半島における紛争に日本が積極的に関与する姿勢を示した背景には、この日本独自の国家意識の急速な形成があったとみなすべきでしょう。この大国主義・覇権主義はしかし、同時に、同盟国であるアメリカとのより緊密な関係の構築を求めるものでもあります。最終的には、日本のナショナリズムがどこに向かうのか、大いに注目せねばなりませんが、当面は、アメリカの核の傘の下にいるかぎり、その弟分としての分をわきまえつつ、できるかぎりの責務を遂行し、軍事的にナンバー2の座を確保したいと欲することになるだろうと、わたくしは憶測しておりました。この日本の立場は、米中関係の改善という新たな事態によっても、日本の支配層には、大きな危機感とともに、確認されたことでしょう。

 こうして、わたくしは、12年前の1987年春、日本が再び戦争に関与する国家体制の確立を志向し始めたことを指摘し、警告を発した次第です。

 しかし、当時、一般的には、日本が戦争に関与する事態などあるはずがない、という空気が支配的でした。
 平和憲法があり、平和国家・民主国家として戦後を歩んできた日本が、再び戦争に関与することが有り得るか――これが、一般の認識でした。
 しかし、この通説――<神話>は、わたくしにとっては、すでに20代に崩壊しておりました。
 わたくしは、学生時代の教科書において、日本が過去の歴史の侵略戦争と天皇制軍国主義を超克して平和と民主主義に徹する道を歩んできたと教えられ、そう信じておりましたが、それは甚だ欺瞞的な状況認識・時代認識であると、いつの頃からか、思い知ることとなりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?