石とおひねりは同時に飛ぶ
認めたくないけど病んでいた
2023年10月から今週にかけて、怒濤の日々だった。
9月末から10月1週目の秋休み明けにかけての、フリースクールのお問い合わせが激増。そこから会員として定期的にこちらに通えるようになった子が増え、当方フリースクールは一気にフリースクールらしくなった。
いつも誰か子どもがいるし、そこかしこで活動が起きる。子どもたちが増えたことで、子どもたち同士の人間関係の形成に頭を悩ませるのも嬉しい悲鳴というか、とにかくとても楽しい毎日だった。
反面、ここ1ヶ月を振り返ってみて、自身のあらゆるネット媒体における投稿数の激減に気付く。投稿すべきネタは尽きないし、ぜひ世界中の人に紹介したい当方フリースクールの生徒たちの成長もある。
それでも動くことができなかったのは、認めたくはないのだが、精神的にかなり参っていた期間でもあったからである。
基本的にかなりのポジティブ思考である。プラス思考だし、失敗を失敗とあまり感じず、くよくよもしない。過去には全然こだわらない。自分で言うのは変だが、フリースクール運営という仕事に向いた性格をしていると思う。
そんな私も、短い期間ながら不登校を経験しているし、不安やストレスにいつも耐え続けられるわけではないことを思い出してしまった。それくらい色々なことが立て続けに降りかかってきた期間だった。
他者は変えられないというのに
先述したように、過去にこだわらず、よいことも悪いこともすぐに忘れてしまう私が、ここ1ヶ月にしんどいと感じた具体についてこれから書き連ねることができてしまうのは、自分らしくないよくない傾向のように思う。なぜか書かねばならぬと感じるので、感じるまま筆を走らせている。
非常勤講師をしている小学校の保護者から、教育委員会あてに私を名指してのクレームが入ったそうだ。端的に言うと「木下は公立学校に潜り込んでフリースクールや図書館に来るように子どもたちに勧誘活動をしているのではないか」「実際に図書館を利用した子どもたちには優しく、それ以外の子は無視されているから指導してほしい」というような内容だった。
このクレームに対応する形で、教育委員会を通じて校長から直接指導があった。もちろんそれ自体はきちんと受け止めたが、それ以上に上記のような事実があると思われた背景について、深く考えさせられた。子どもたちに「今日図書館行ってもいい?」と聞かれたら「いいよー」と答える。それも外部から見れば勧誘活動になるか。「無視されている」「自分はあの子より木下に可愛がられていない」と感じた子がいたからそれが保護者に伝わったとしたら、どの授業の、どの部分に落ち度があったか。
私自身はフリースクール運営者としての信頼の担保として、「あの人は学校の先生でもある」というのがプラスに働くと思っていた。実際にプラスに働いてリーチできた子どもが何人もいる。初めて否定的な捉えを確認し、なるほどと思うと同時に、その否定的な捉えに対する回答もきちんと準備せねばならないと思った。
10月には、二地区の市町村教育委員会の担当者の先生方を対象に、講話する機会に恵まれた。その中にも引っかかりがあった。
ある市町村教育委員会の先生から質疑応答で「フリースクールと積極的に連携していくべきと感じるが、中には悪徳な業者も含まれているように思う。業者の善し悪しをどのように見極めるとよいか」と聞かれた。その後の細かなやり取りは割愛するが、この方は要するに当方も怪しいと思ってるんだなと感じる言い回しがあった。
その露骨さに、別の市町村教育委員会の先生方も「なんて言い方をするのか」という目を向けていたので、もちろん教育委員会全体の見方だなんて思ったわけではない。ただ、その見方があまりにも稚拙なものだったし、そういう見方をする人が教育界隈にも一定数いる(教育委員会にもいるくらいだから一般教員にも)と思うと、やるせない気持ちになった。
そう。この気持ちはやるせなさだった。やるせない気持ちが深々と降り積もるような保護者との面談も相次いだ10月だった。
大人同士の対話である。子どもの立場に100%立って話して、真っ向から対立してケンカになるようなことは避けつつも、それでも子どもの心身を守るために必要なお伝えをしていかなければならない。
しかし、どれだけ工夫した言い回しをしても、相手の立場に立った話をしても、開かない心の扉も存在する。大人には、エゴも、見栄も、自尊心も、プライドも、これまでにサバイブしてきた人生の辛酸も、本当に色々なものがこびりついていて、初めから「子どものため」とか言って「大人の側に立たない」人間の言葉なんて耳に入らないんだなということを、改めて突き付けられた感じだった。
同時期に、東近江市長のフリースクールをめぐる発言もあった。あの発言の撤回を求める動きと応じない構えの間にも、海溝の如く深くどうしようもなさを感じさせる隔たりがある。そして、その隔たりは、私と私のスタンスを受け入れるつもりのない人たちとの間にも同じように存在していて、私だけでなく他の誰もそれらの人の価値観を否定することはできない。
否定することなく考えを伝え合う、という段階ではない関わりに諦観を感じずにはいられないのだが、諦めたら子どもたちはどうなる?と、いかにも教育者らしいことを口走る私が、私の中にいる。それがつらい。
フリースクール運営上の、というか私自身が教育活動する上で「他人によって人は変わらない」という原則を忘れないように心がけていたつもりだった。
その人自身の感受性や内発的な動機のみがその人を変えるのであって、他者との関わりやかけられた言葉はそのきっかけでしかない。だからこそ教育活動をしていて目に見える変容がなくても落ち込む必要はない。すぐに変容があるなんて、考える方がおこがましい。そう思っていたはずだった。
しかし、どこかで変容を期待していたのだと気付く。地域の価値観の変容。教育界における教育という概念の変容。首長たる方の子どもへのまなざしの変容。関わる保護者の心の変容。それら全てが見込めないと分かった時、落ち込んだ私は、分かっているつもりで全然分かっていない存在だったのだ。それを自認してさらに落ち込んだし、疲れもあってかよくない思考が続いていた期間になってしまった。
助けてくれたのもまた他者だった
ここまで「らしくない」具体を書き連ねたのは、相対的に今は精神的に持ち直して、自分らしく活動をおこしていこうと考えられるくらいには前向きになれている理由も書きたいからだろうと、ここまで書いてきて気付かされた。アウトプットすることによる気付きは、深く鋭い。
非常に珍しくネガティブだった私が、心底疲れていた日々から今日までに「まだまだ地域のために頑張りたい」「地域教育に力を入れている自分の考えは間違っていない」と思えた一瞬一瞬にも、やはり他者の存在があった。
マルシェで立ち寄ってくださった地域の方。率直に「羽島によい場所をつくってくれたね」と声をかけてくださった言葉に救われた。この方がご高齢だったのも、価値観は世代を超えられる勇気をもらった。
駅前フェスでブースをのぞいてくださった地域の方。「不勉強でごめんなさい。不登校問題がこんなに深刻なのも、フリースクールが羽島にあるのも知らなくて。活動内容に感動しました」と言ってもらえて、こちらも感動した。
いつもお世話になっている教育委員会や連携のある学校の先生方。率直に市内の不登校の情勢について情報交換させていただけて信頼を感じた。「これからもよろしくね」と期待をかけてくださっているのを感じてやる気がみなぎった。
遠方からわざわざ当方の見学に来てくださった方。スタンスに共感してくださったのも嬉しいし、行動力を発揮した先に当方があったことも嬉しかった。何かめっちゃ褒められたのも単純に嬉しい。笑
当方の最高の同志スタッフの皆さん。全員が主役の地域教育に近づいてきているのをひしひし感じるし、それぞれに精一杯関わっていただけていて感謝と尊敬の念を抱かない日はない。フリースクールの生徒の中に、私ではなく同志の方にしか話していない話が出てきたのも非常に嬉しいこと。皆さんのおかけで「みんなの学び舎」になってきたと思う。
そして、日々の生徒たちの成長。すぐ近くで個別に成長を見られるという教師の贅沢を味わわせてもらっている。
一人で始めた「みんなの学び舎ことのは」には、すぐに限界を感じたけれど、今感じるのは無限の可能性。
地域の中には、当方のことをよく思わない人もいるのが当然。分かっていたけどダメージを受けたのは己の未熟さゆえと反省し、上記のように応援してくださる方々を、これまで以上に大切にして、子どもたちのためにもっと頑張りたい。今そう思えるのも他者の存在ゆえ。これが人生なんだなと思うし、これが人生なんだよと生徒たちに伝えたい気もする。
「人間は一人では生きていけない」という小学生でも分かる真理を、実際に経験してしかつかみ取れないものだと理解したことも、自身の教育観の「その子自身が体験から学び取ることを重視」していることにも直結している。
ようやく舞台に立った
「アンチコメントがつくようになったら、議論の場にあがるくらいには目立つ存在に成長してきたということと捉えるべき」と話していたのは、果たして誰だったか。ネットのドキュメンタリー番組だったはず。どうしても思い出せないが、この文章の前半を書きながら、思い出した言葉がこれだった。ようやく自分らしいポジティブな思考が戻ってきたと感じる。
岐阜県羽島市で「フリースクール」が、もしかしたら「私の教育観そのもの」が、舞台にあがったのだ。
「待ってました!」とおひねりが飛ぶこともあるだろう。「ひっこめ!」と石を投げる人だっているはずだ。色々な人が舞台上のフリースクールを見て、是か非か、善か悪か、可か不可か、無責任な議論を始める。結論は人それぞれでしかありえない。
どんなものが飛んできても、私たちは踊り続ける。
いずれかは多少石の数が減るといいなと願いながら。
おひねりも素敵だが(実際問題お金は必要)、その活動自体に対しての賛辞や応援があるといいなと思いながら。
つらいことも多いはずだが、この舞台から降りるわけにはいかない。
地域の方に100%に近い認知をいただき、どの方にも私たちの活動を鑑賞いただき、関心をもって無責任な議論に参加していただくまでは。私たちの地域教育の一丁目一番地には、絶対にこの議論が必要だ。舞台の上で、全ての議論が終わるまで居座り続けなければならない。それが「地域教育の拠点」の最初の役割なのだろう。
この度のメンタルの乱高下から、このような覚悟をもつに至ったこと。このことは忘れてはいけないことだから、ここに記すことができてよかったと思う。
2年かけてやっと上ってきた舞台の上で、次はどんなものを見せられるのか。石を怖がらずに、かつ卑しくおひねりを要求するようなことをせず、自分らしく踊り続けられるか。今度はそこが問われている。
今は「やってやろうじゃないか」という気持ちだ。そういう気持ちにさせてくださった、全ての出会いに対する恩返しになるくらいには、大活躍していきたいと思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?