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Aさんの卒業

紹介したいAさんの事例

 Aさんとの出会いは、約2年前。彼は中学1年生の終わりで、小学5年生からの不登校を継続していた。
 当方がフリースクールになる前のオープン間もない頃、「この街にはそういう場所がない」と嘆き模索していたお母さんが訪ねてこられ、そういう声もあって当方はフリースクールになった。その後すぐにお母さんと一緒に来たAさんは、完全に他者に心を閉ざしていた。聞かれたことには最低限答えるけど、それだけ。いつも真っ黒な長袖の服を着ていた。

 彼は勉強が得意である。しかし、学校は好きになれない。大きな音が苦手、大勢の中で過ごすのが苦手、ざわざわした雰囲気の中で食べる給食は気持ち悪くなってしまう。
 5年生時の担任の先生から配慮してもらえず、学校嫌いに拍車がかかった。友達と過ごしたい気持ちもあるが、ストレスが勝つ。学校に行く時間になると体調が悪くなり、万端に準備して学校に行くつもりで玄関で靴を履くと動きが止まる。そうして毎日家から出られずにいた。

 Aさんとは色々な話をしたが、基本的には一緒にゲームしていた時間が長いような気がする。ゲーム巧者でこちらも真剣に取り組まないと相手にならないことが多かった。少しずつ話せることが増えて、自分から自分の話をしてくれるようになった。
 子どもの中で起きる変化はいつも目立たず、裏腹にダイナミズムを秘めている。少しずつ心に何かがたまっていく。そしてある日突然、それが目に見える形になって現れる。ずっと我慢して我慢して、ある日突然、学校に行きたくないと言い出すのも同じだ。
 好転する時もまた突然なのである。Aさんの家から当方まで結構な距離があるが、何の前触れもなく、自転車で一人で来るようになった。不登校になり自己肯定感が低下し、家からでなくなった後、自力移動ができなくなることで精神に最後の大きなダメージが入る。それがまた自分で移動できるようになったのはすごく元気になった証拠だ。
 また、急に真っ白な半袖のTシャツとおしゃれなデニムを着て登校してきたこともあった。私はAさんと一緒に「黒もいいけど、それめっちゃ似合うやん」と笑った。

 どんどん元気になったAさんは、それに伴って自分から勉強する時間ももてるようになった。高校にも大学にも行きたいAさんは、週2回のフリースクール利用の中でできる限りの勉強をやった。テスト前は特に熱心に取り組んだ。テストの日だけ何とか学校に行き、別室でテストを受けて5科目450点台をたたき出して帰ってきた。数学は100点だった。
 ただ、テストでこれだけの点数をとっても、提出物を全て揃えても、通知表は「3」だった。理由はもちろん授業に出ていないからだ。私は試験や試合は「それに至るまでの課程を充実させるためのきっかけ」に過ぎないと思っている。だから、テスト結果ももちろん素晴らしいが、自分で勉強して努力してきた時間が何よりすごい、通知表は気にしなくていいと声をかけた。

 でも、彼はどうしても納得がいかなかったのだ。
 Aさんの学校の校長先生と相談してzoomで配信されている授業を見てレポートにまとめたものを提出することで「5」が付く可能性を示してもらうことができたが、元来「意味もなく強要される感想の記述」のような学校的な要素が苦手なAさんは、これを継続することはできなかった。
 先述のように、彼の中に色々な葛藤があったろうと思う。それをまた突然のタイミングで表出した。
「先生のことも、この場所も好きだけど、僕はここにいて自分を甘やかすわけにいかないと思った」
 中2の終わりに、彼のフリースクール利用は終わった。

 この1年後が、先週の公立高校の合格発表日だ。
 お母さんから久々に連絡があった。「本人が報告したいことがある」と。
 久々に再開したAさんはずいぶん背が高くなり、目元を隠すために伸ばしていた髪を切り、明るい色の服を着て、笑顔だった。
 県内の公立進学校に合格したとのこと。
 「2年生の時はお世話になりました」とお母さんに持たされたと思われる菓子折りを差し出す手を取って、しっかりと握手を交わした。

 Aさんと久々に色々な話をし、いくつか印象的な言葉を聞いた。
「高校に毎日通えるかどうかの不安はまだある」「友達がほしいから何か部活に入ってみたい」「大学は医学部に進みたい」
 淡々と自分のことを話すAさんに、しっかりと自分をもち、自分の弱みも強みも分かって、その上で進んでいこうとする素敵な大人の姿を見た。

成功事例だと言い切れる理由

 このAさんのエピソードは、誰が何といおうと「成功事例」であると思う。ある人は「志望校に合格した」という点に成功を感じるかもしれないが、私はもちろんそうではない。

 一つ目に、彼の特性に対する配慮をした「Aさんが在籍する公立中学校」と「合格した公立高校」について。
 3年時、Aさんははじめ別室登校で徐々に教室に入れるようになっていったとのこと。担任の先生はじめ多くの先生方が、その対応に尽力いただいたのを感じることに、多忙を極める中での中学校の底力というか、多忙でもやはり一人一人の子どもを大切にしているという教育者としての気概を見た。
 また、受験に関しての話を聞くと、不登校状態だったことや特性があることについて「自己申告書」を提出し、別室での受験を許可してもらえたとのこと。はじめからそういう生徒の切るようなことはしない教育的な配慮が高校でもあるのが嬉しいことだと思った。
 このどちらも「公立」であることも意義深い。これらの対応は、本人がしっかり意志を示していけば誰にでも実現するということを伝えている。

 二つ目に、Aさんの意志を信じて尊重した保護者の方について。
 家から出るのがやっとでフリースクールに通っている子どもが、公立進学校に合格するまでに、どれほどの焦燥感や不安感に襲われたか、想像に難くない。
 小学5年生からの5年間で、本人の浮き沈みとともに一緒に苦しんでおられた保護者の方が、フリースクールに行くことも、フリースクールでただゲームだけしている時間も、突然フリースクールをやめて学校に行くことにしたことも、全て受け入れてAさんを信じて応援し続けたことには頭が下がるばかりだ。
 「信じる」ことは口で言うほど簡単ではない。抜けるまでにどれだけかかるか分からない長いトンネルを進む気持ちで、子どもの意志や気持ちを尊重して信じていたエネルギーの大きさは計り知れないものがある。

 そして、何より三つ目に、自分の納得感を譲らずに努力を続けることができたAさんの力。その力を引き出したのは、先述の先生方や保護者の方でも、本人がやはり頑張り切れたのは本人の手柄である。私は一人の人間として、素直に彼を尊敬する。卒業おめでとう。合格おめでとう。

全ての保護者の方と共有したいこと

 何度も言うようだが、私はこの話をただの「合格体験記」とは思わないし、そういうつもりで書いていない。進学校に合格した点はどうでもよくAさん自身の納得感が伴う合格であったことが素晴らしいと思う。
 私自身の「学歴」感についてはこちらをどうぞ。

 Aさんの話が成功事例であることに異論のない方は、保護者として子どもに関わる際に大切にしたいことがもう見えているのではないだろうか。
 Aさんのことを書こうと思ったのは、それを子育てに関わる全ての保護者の方と共有し、Aさんのように自分で進んでいく子どもを増やしたいがためである。

 抽象的な言い方になるが、保護者にできることは「信じて待つ」ことと「動き出してから押す」の2つくらいしかない、いや、この2つに全力を注ぐべきだと思う。その前段階として、「きっかけをちりばめる」こともできることの一つだ。

 もしも「子どもの進路や将来に関する理想像」を保護者の方がはっきりともってそれを少しでも期待しているとしたら、そこから間違いが始まると思った方がよいだろう。
 理想の押し付けに未来はない。理想の押し付けは、相手に個人の尊厳を許容していないことと同義である。子どもとの関係だけでなく、恋愛でも仕事でも、人と人との関係において、全てにあてはまると言えることだと思う。
 私自身も、2人の子どもをもつ保護者として感じるのは、気を付けて自分の心から「理想」を排除しなければならないということ。油断するとふつふつと「理想」が頭をもたげてくる。意識的に注意を払って理想をもたないでフラットな眼差しを子どもに向けるのはスキルを要することだ。
 信じて待てる、大人でありたいと思う。フリースクールでそれを実践できる教育実践者であることはもちろん、その大切さを広めることもしていきたいと思う。


 また、Aさんに会いたいと思う。どんな形であれ訪ねてきてくれたらいいと思う。
 卒業して自分の道を歩み出したからといって、一人で生きていくわけではない。自立とは、一人で生きていくという意味ではなく、社会の中で他者と関わり合って生きていくスキルを身に付けたということだ。
 当方はただのフリースクールだが、何かあった時に「ちょっと話聞いてほしい」と頼れる存在としてあり続けたいと思う。そんな形で子どもたちの自立を支えられたら嬉しい。
 Aさんという成功事例に出会えて、大きな学びを得た私ができることを、この地域でもっとやり続けたいと思っている。

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