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目を開けてお祈りしましょう

中学の入学式のとき、彼に初めて出会った。

百合みたいに真っ白で素朴なチャペルでのこと。建物の中にあるオルガンの音が、神聖に響く。

建物に入ったとき、上級生がピンクのバラをくれた。緊張している新入生たちの胸ポケットに、花を挿していく。自分の存在が歓迎されているのを感じて嬉しくなった。

そこには受験戦争を終えた少女たちが集まっていた。期待と不安でいっぱいの子。ここにくるつもりは無かった、というプライドを隠せていない子。ソワソワしてあたりを見渡す子。

いろんな気持ちが渦巻く中、私は緊張が勝って、そんな周りの様子に気を配るどころじゃなかった。

舞台には、校長先生たちと、真っ黒な服の人が座っていた。入場したときにもらった冊子を見返すと、「入学礼拝」と書いてあった。

そう、その真っ黒な服の牧師先生が、彼だった。

彼はときどき私たちを見渡したり、先生同士で話をしていた。他の先生が笑顔を見せるなか、彼は真顔のままで、怖く見えた。

「入学礼拝」が進んでいくと、ふいに牧師先生が立ち上がった。大きな目が、少し茶色や灰色に透き通る。

「目を閉じて、お祈りをしましょう。天の父なる神さま…」

と、目を閉じて手を組んだ。

よく通る、びっくりするほど低い声だった。一語一句聞き取れるよう、大きくゆっくり言葉を述べていく。ただの不愛想な人だと思っていた私は、しばらく驚いて、ぼうっとしてしまった。

声を聞いて恋に落ちたのは、それが初めてだった。

舞台に立つ先生たちも、周りの少女たちも、彼にならって目を閉じた。一同に祈りを捧げる。

けれど、「目をつむるように促す彼の言葉に従うことは今後も無いのだろう」そう思いながら、前をまっすぐ見たまま手を組んだ。この景色を、きちんと覚えておきたかったから。

学生生活は息をつく間もなく過ぎていった。楽しい日も、辛くて仕方ない日もあった。勉強面でも変化があった。小学校では、授業を聞いて宿題を出しさえすれば100点が取れた。その時代は終わった。今まで満点だった目標は、平均点より何点上回れるかに変わってしまった。

そんな生活の中で、彼と会えるタイミングをずっと探していた。中学の間は授業を受け持ってもらうこともなく、接点はほとんど無かった。たまに先輩と話している様子を、他学年のフロアで見かけるくらいだった。

挨拶すら、ろくにできなかった。彼のことは、声が低くて素敵ということしか知らなかった。見かけるたびに「どんな人なんだろう」と妄想をふくらませた。

この距離は縮まらないのだろうか、と諦めかけていたが、高校に上がるとツキが回ってきた。彼の授業を受けられるようになったのだ。

「黒板が日差しで見えにくいから」とか何とか言って、私は視力が1.5にも関わらず、前から1、2列目の席をキープした。

彼の授業は黒板の書き写しがメインで、ノートの提出も必要だった。マジか。私は急いで書くと文字が汚くなってしまう。けれど、先生に汚い文字をさらすのはいやだ。私は必死になって、丁寧に文字を書いた。

正直、先生の教科は好きではなかった。受験に使える教科でも無い。信仰してもいない宗教の話をされるのは嫌だった。それは私にとって、興味のない芸能人の話を永遠とされるようなものだ。けれど反抗する勇気もなかった。

クラスメイトは、聖書や讃美歌を机の前のほうでバリケードにして、こっそり他の教科の課題をしていた。ゲーム機でマリオカートをしたり、スマホでフィギュアスケートの試合を観ている人もいた。私はそこまで要領よくはできなかった。

要領よく勉強に取り組めていれば、もっと成績は上がっていたのかなと思う。学年があがるにつれ、受験へのプレッシャーもどんどん増していった。桜やヒマワリが季節を告げる姿が、受験へのカウントダウンに思えて苦しくなった。

そんな生活での数少ない息抜きの時間が、先生の授業だった。先生が話している内容には、まったく興味は無かったけれど、その声が好き、先生が好きという理由だけで、丁寧に文字を書いていた。

彼には、サボっている子たちの姿は丸見えだったと思う。でも叱ることはなかった。おしゃべりに花を咲かせる子たちがあまりにも騒がしいとき以外、声を荒げもしなかった。生徒を当てるときも教科書の読み上げが主で、意地悪な質問など、理不尽なことは全くなかった。

彼は関東出身で、関西で生まれ育った生徒たちには、所作、特に話し方が新鮮に映った。

「先生の標準語ってかっこいいですよね」

「そう?関西弁も可愛いよ」

彼はそういうことをサラリと言う人だった。

彼のことを知っていくうちに、私は授業を受け持ってもらうだけでは、段々満足できなくなっていった。

そんな女の子は2月になると、チョコレートを渡したくなってしまうものだ。バレンタインデーになると、教室は生徒たちが持ち寄ったチョコレートの香りで充満していた。

私も、友達とチョコを交換するだけのような顔をして、先生の分も、せっせと作っていた。小麦粉、ココア、チョコ、バターの重さを計って、混ぜて焼いた。

親には、友達に配るとしか伝えなかった。「何人分つくるんだっけ?誰ちゃん用?」と聞かれたときは、渡す予定のない人の名前を出してごまかした。

当日はもうドキドキだった。教室につくと、まず友達にチョコを配る。先生のことを好きだということを伝えている子には「いつ渡すの?」と聞かれたりして。

先生はよく教科用の準備室にこもっていたので、そこまで渡しにいった。

「先生、チョコ作ったのでどうぞ」

本命だとか、そんなことは言えなかった。

「あら、ありがとう。いただくね」

先生は自然に受け取った。

会話があまり続かなくて、すぐに退室した。走って逃げたかったけれど、そちらの方が不自然に思えて、何事もなかったかのように振る舞うのがやっとだった。

バレンタインが終わると、ホワイトデーがやってくる。私はバレンタインのお返しを期待して、不要に職員室の近くをウロウロした。無事「偶然」私を見つけた先生は、教科準備室に私を呼んでくれた。

私のためにお返しを用意してくれたんだ!

けれどドアを開けると、そこにはたくさんのラッピングされたお菓子の袋が並んでいた。

「どれでも好きなのを持っていっていいよ」

彼にとって私は、慕ってくれている生徒のひとりに過ぎないのだと、痛いほど思い知った。私はあいまいに微笑んで、お礼を言うしかなかった。

その準備室は、ワンルームマンションの一部屋くらいの広さだった。ドアを開けると、余った生徒用の椅子が来客用に置かれている。左右の壁には本棚があり、古い紙特有の懐かしい匂いがして、窓の外には大きな木が一本あった。

高校3年生になると、先生に「たまにお喋りしに行ってもいいですか?」と了解を得て、月に一度、その部屋に遊びに行くようになった。

今更だが、彼が結婚していることは察していた。女子生徒たちとの会話にまったくオドオドしないところ、ほめられても軽く「ありがとう」と流す様子がそう思わせた。

望みのない恋だった。でも彼のことを知りたいという気持ちは止められなかった。そのためには、彼だけでなく、彼の家族の話を聞く必要があった。

奥さんといつ出会って、普段その人は何をしていて、二人の間にはどんなお子さんがいて…。「昨日は私が皿を洗ったんだ」とか、他愛の無いことを聞くのが大好きだった。

私が彼のことを好きなのは、彼の周りにいる素敵な人たちが、彼を魅力的にしているからだと、そのころには知っていたから。

そんな大事なことを知っていたくせに、恋心を上手く扱う方法は知らなかった。勉強をしていても、心はいつもあの部屋に置いてきたみたいに上の空だった。

学力は緩やかに下がっていった。あの人のことが好きすぎて集中力が下がったから、だけでは無い。けれど、3年生の冬に迎えた大学受験では、第一志望の学校には合格できなかった。

でもあの部屋での時間は何より大事だった。子どもなりにぶち当たっていた人間関係の悩みを打ち明けて、黙って話を聞いてもらえるのが嬉しかった。彼はトゲトゲした思春期の心を尊重したうえで、自分の考えをそっと伝えてくれた。

大学生になってしばらくたった頃、彼が母校を去ったことを知った。関東に戻ったこともわかった。彼との連絡の手段は完全に絶たれてしまった。

そんなとき現代っ子はどうするか。
カナヅチだけどインターネットの海を泳ぐのが大得意だった私は、5分もかからずに彼のSNSアカウントを見つけた。我ながら少し気持ち悪い。

彼との連絡手段を見つけることが、良いことだったかはわからない。けれど探さずにはいられなかった。

連絡をするのは、勇気がいった。学校という場所で時間を共有していた頃とは違い、話のネタが全く思い浮かばなかった。

苦肉の策で、恋愛の話をすることにした。

そのころには、私もデートに行くようになっていた。彼を忘れるくらい、人を好きになることはなかったけれど。

「こんな人にご飯に誘われたけど、どうしましょう?」
「逆にこちらからご飯に誘うにはどうしたら?」

なんて、目の前のデートそっちのけで話をした。

「まずは相手を知ること。仲よくなってみては?」

など、彼は普通に相談にのってくれた。

本当は、恋愛の話で彼の気を引きたかった。そんなことしても無駄なのに。全くこちらになびかないから、余計に夢中になった。

社会人になってからも、彼とのやり取りは続いた。たまにメールで相談する日々。そのころには、仕事の相談もするようになった。

友達には、業務の悩みや、職場の人間関係についての話ができないでいた。プライドが邪魔をして、弱みをさらすことができなかったのだ。彼に対しては、正直に悩みを話すことができた。

でも、彼との波長がだんだん合わなくなっていった。彼の態度が変わったわけではない。いつも通り相談にのってくれていた。

おそらく、いままで私の人生を支えていた彼の言葉が、その役割を終える時が来たのだろう。それからしばらくして、彼に連絡することはなくなった。

今は、あの人のことを好きだったことが、まるで夢だったかのように生活している。たまに母校に足を運ぶこともあるけど、ただ懐かしいだけで、さびしくは無くなってきた。

あの人との関りは、SNSに写真をあげたとき、たまに「いいね」が来るだけだ。それが丁度いい。私たちは、それぞれの人生を歩んでいるのだ。

たまに、今日も彼はどこかで祈っているのだ、とぼんやり考える。そんなとき、私は少しだけ目を開ける。眉をひそめて聖書をめくる姿が、そこにある気がして。

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