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目を開けてお祈りを 第9話


「たまに準備室にお喋りしに行ってもいいですか?」

次の週、先生に思い切って言った。あと一年しか、彼の生徒で居られない。会える機会が減っていくのは嫌だった。正直腹が立っていた。恋心をコントロールできない自分にも、無駄に魅力的な先生にも。

受験勉強も全然上手くいかなかった。方向が定まっても、きちんと進めるかは自分次第。勉強しているつもりでも、さっぱり結果は出てくれない。このモヤモヤを発散するには先生と喋って気分転換するしかない。やけくそだが、そう考えた。

「まあいいよ」
「わ、ありがとうございます」

五分五分の結果になると思ったが、意外にもあっさり受け入れられた。

「高三にもなると、進路に迷える仔羊が増えるね」
「うっ。まあ雑談とか、気分転換しに来たい感じです。相談もすると思うけど」
「どうぞ。他の子たちにも、進路指導室に行くよう進めているんだけど。私と話すほうが気楽な子もいるよね」

先生はキーボードを叩きながら言った。え、それってどういうことだろう。

「他にも先生に相談しに来てる人いるんですか?」
「何人かね」

なんと…!ライバルは多かった。部屋のコルクボードに、羊の群れをしたがえた羊飼いが棒を高く掲げているポストカードが貼られてあった。先生に群がる私たちは羊なのかしら。まあ純粋に相談しに来てる子もいるんだろうけど。次の週、私は誰かに居座られる前にと、先生の部屋に行った。

「参考までに聞くんですけど」

好きバレしないように予防線を張る。

「奥さんとはどこで出会ったんですか」
「ぜんぜん進路の話じゃないじゃん」
「えと、今日は気分転換に遊びに来たんで」

彼は私の気持ちを見透かしているのかもしれない。ドキドキした。

「大学の後輩だよ」

先生はパソコンから身をずらしてこっちを見た。目と目が合う。耐えられなくて目をそらした。

「そういえば牧師さんになるには特別な大学に通うんですか」
「神学部があるんだよ。もっとも奥さんと出会った頃は普通の学部に通ってたけど」

そうなんだ、たしか進路室にも神学部のカタログがあったっけ。

「奥さんってどんな人ですか」
「質問攻めだな、じゃあ君の好きな人はどんなひと?」

彼はニヤリと笑って頭の後ろで手を組んだ。悪趣味だ!もう気持ちはバレているのでは?

「先生みたいに話をはぐらかさない人です」

そう言うのが精一杯だった。

「そういえば近所の男子校に友達がいるんですけど」

無理に話題を移す。

「友達が『私に気がある』って言うんです。ありえないのに」

この話題を持ち出したのは、先生に嫉妬してほしかったのもあった。

「思春期だからね。可能性はゼロではないと思うな」

先生は嫉妬の「し」の字も見せない。悔しくて、バレない程度に唇を噛んだ。

「そうかな、普通に仲がいいだけなんですよ。通学時間が被ると話するくらいで。まあチョコは欲しいと言われたけれど」
「その感じだと、気があるとも無いとも、どっちとも取れるな」

先生は全く興味を見せなかった。ただ、

「男はオオカミだから気を付けてね」

と一言忠告された。

「それも聖書の言葉ですか」
「さあね」

先生は笑った。

「あ、はぐらかす人はタイプじゃないんだったけ」

部活終了時間を告げるチャイムが鳴る。居づらくなった私は、その日はもう帰ることにした。駅に着くと、ナオキ君がホームのベンチに座っている。

「あれ、今日も遅いんだ」
「うん、ちょっと調べ物してて」
「そっか、部活帰りかと思っちゃった」

今日は彼がいつも抱えていた大きなサブバックは見当たらなかった。電車に乗る。車内は満員だ。

彼と肩が触れる。先生に言われたことを思い出して、チラリと彼を見る。ナオキ君はそっぽを向いていた。うん!何にもなさそう。私はホッとした。恋愛なんかで友人を失うのは嫌だ。疎遠になったマナのことをふと思い出した。

「受験勉強は進んでる?」
「イマイチかな、ぜんぜん結果が出ないのよ」
「諦めちゃだめだよ、筋トレと一緒」
「その例え、挫折しそうで嫌なんだけど」
「ごめんごめん」

ナオキ君は苦笑いした。

「私たち、志望校が違うから、受験の話をしてもピリピリしにくくて良いよね」
「そう?ならよかった」
「うん、学校の友達は推薦だから、ピリピリしないのは同じなの。でも受験する人の苦労は伝わりにくいから、ナオキ君とは近い目線で話ができて嬉しい」

彼は頭をかいていた。

ーーーーー

「ところで、本命のチョコって誰に渡したの?」

電車が学校と家の間の半分を超えたころ。電車の中はだいぶ空いてきていた。彼はじっとこっちを見る。そのとき、私は電車の外の夕日が、雲間から何本もの光の筋になって街に差し込む様子に見惚れていた。

「何急に。学校の先生だよ」
「え、どうだったの」
「相手にもされなかったよ。そのほうが清潔な関係でいいけど」

「それって豪華なクッキーの人?」
「確かにあれオシャレだったよね。でもクッキーって義理って意味なんでしょ?ハッキリしてやがりますよ」

「お菓子の意味、知ってたんだ」

ナオキ君はごくりと息をのんだ。

「じゃあマドレーヌの意味も知ってるの?」

嫌な予感がした。彼の顔は夕日のせいで真っ赤に照らされている。

「『もっと仲良くなりたい』でしょ。私たちは良い『友達』だよ」

予防線を張ったつもりだった。

「そうじゃなくて」

彼はそんなこと気にもしなかった。

「『特別な関係になりたい』んだけど」

嘘でしょ。
気付くと夕日は沈んでいた。あたりは真っ暗闇になった。

「初めて会った日から、どこか気になってて。たぶんずっと好きだったんだと思う。」

その続きを言わないで。

「お願いです。付き合ってください。」

どれだけ間があったんだろう。

「ごめん、今は受験に集中したいかな」

私はそう答えるので精一杯だった。

「それってさ」

窓の外は街明かりが瞬いている。電車は夜の工場地帯に差し掛かる。白い煙に赤や白のライトが当たっていた。

「遠まわしに断られてるんだよね」

私は何も言えなかった。

ーーーーー

「最悪だ~」

翌日私は教室の机に突っ伏した。

「だから言ったじゃん」

アケミはむくれる。彼女の言うことを信じなかったのが不服らしい。

「で、付き合うの?」
「だから断ったんだって」
「まだ先生にご執心?」
「それ以前にナオキ君ともう会いたくない」

アケミは呆れた。

「ついにウチとあの男子校とのカップルが誕生だって秒読みしてたのに」
「秒読みって何」
「みんな期待してたんだよ」

今度は私が呆れる番だ。

「みんなって何。なんでそんなことになってるの」
「そりゃ駅でイチャイチャしてたら否が応でも周りの目に入るでしょうよ」
「イチャイチャなんかしてない」
「アンタはそのつもりでも、周りにはそう見えるんだよ」

どうやらそうらしかった。学年で私と彼のことを知らない人はいなかったらしい。先生たちも、あそこの男子校との関係に波風を立てるなよ、と気をもんでいたとか。

「そんなの全然知りませんでした」

私は準備室で先生に言った。

「教えてくれてもよかったじゃないですか」
「でもねー。私も興味無いから知らなかったし」

先生はつれなかった。
「興味がない」。分かっていたが改めて言われると傷つく。

「もっと気にかけてほしかった?」

いつもみたいに、先生はパソコンの横から頭を出して、私に微笑みかける。先生と目が合う。私はそれだけで頭が真っ白になってしまって、何も考えられない。

「娘もそんな風に悩んだりするんだろうな」
「娘さん何歳なんですか」
「そろそろ小学生。もう好きな子くらいいるだろうけど」

先生はチラリとスマホを見る。娘さんの写真を待ち受けにでもしてるのだろう。

「先生が牧師だからなのかな、うちの父は『受験に集中しろ!恋愛なんてもってのほか!』ってかんじですよ」
「聖書を読んでるとね、そんな言葉は無駄だってわかっちゃうからね」

先生は机に置いていた聖書を手に取り、眉をひそめてパラパラとめくった。

「そういえば、娘の名前もサナエっていうんだよ」
「え、ホントですか」

つまり家では私の名前を読んでいるのだろうか。何だか恥ずかしくて、叫んで足をジタバタさせたかった。

「え、由来は何ですか」
「アブラハムの妻サラがいるでしょ、そこから」
「うーん、いましたねそんな人」

残念ながら、彼女が何者か全く覚えていない。

「忍耐も、自己主張もできる人だよ」
「そうだったかも」

先生はため息をつく。

「アブラハムと最後まで添い遂げる女。自分のために、夫のために、神様のために、侍女を夫の側女にさしだしたり、離縁させたりした人」
「そんなメチャクチャな人いましたっけ」
「そういう形の愛もあるの。頭のノートにも綺麗に書き込みなさい」

普段私がちゃんとノートを取っていることはわかっているみたい。嬉しいな。

「『サナエ』と『サラ』って雰囲気が全然違くないですか」
「ひねりが無いのは嫌でね。あともっと親しみのある名前が良くて」

彼は紙に漢字を書いた。「沙苗」だった。

「『沙』にちょっと『サラ』っぽさがあるでしょ」
「でもこの『サナエ』、全然見かけませんよ」
「それはいいのよ」

適当だ。そんなところも好きだった。

「この沙苗ちゃんはねー、僕や奥さんの良いところも悪いところもグングン吸収していっちゃうんだよね」
「子どもって、そういうものなんでしょうね」

私のことは名前で呼ばない癖に。ちぇっ。
先生が奥さんや娘さんの話をするときの目は、本当に優しい。入学式のときとは大違い。

「初め、先生のこと、もっと怖い人だと思ってました」
「あながち間違いではないけどね」
「でも家族の話をする先生を初めに見てたら、そうは思わなかったはず」
「それだけ周りにいる人に影響されてるってことかな」

その瞬間、私はハッとした。まるでアダムとイブが知恵の実をかじった時みたいに。牧師先生がこんなに魅力的なのは、奥さんと娘さんを心から愛しているからだと痛いほどわかった。

そんな大事なことには気づけても、恋心はコントロールできなかった。勉強をしていても、心はいつもうわの空だった。なんで私が彼の隣にいないんだろう。もっと早く生まれていて、奥さんより早く出会っていたら。

その日の帰り、学校の最寄り駅、いつものようにナオキ君は駅のホームのベンチに座っていた。彼はいつも私を待っていたのか、その時やっと私は気づいた。

参考書を読んでいた彼は私の気配に気付いた。ぱっと思わず目をそらす。彼から一番遠いベンチまで歩いた。その日は結局塾でも会った。また目をそらして、彼から離れた机に座った。

「なに?別れたの?」

塾の先生は相変わらず無神経。

「付き合ってもいません」
「じゃあ何に時間使ってんの。勉強している人の点数じゃないよ」

先生から模試の結果を突き返される。ぐうの音もでなかった。
本当に、何に時間を使っているのだろう。机に向かっていても、心はどこかに飛んで行ってしまう。

ーーーーー

三年生の冬、一月、国公立大学のための試験を受けた。問題を解きながら、私は志望大学について、ちゃんと親に説明できなかったことを後悔していたんだ、と気づいた。あのとき逃げずに親に説明できていたら、私の受験生活はどうなっていたんだろう。

「しかたないな、国公立以外も受験していいぞ」

自己採点で絶望的な点数が判明した次の日の朝食、父は言った。途端に私は、体が固まって息ができなくなってしまった。

「よかったね、お許しが出て」

母はホッとした表情。喜ぶべきなんだろうな、でもできなかった。

「今更なんなんですか」

思った以上に大きな声が出てしまった。父も母も驚いて私を見る。反抗期がやっと来たみたいだった。私は涙がとまらなかった。

「苦手な英語に三年も苦しんで。思うように受験勉強の時間も取れなくて、興味のない大学しか受けることができなくて。国公立大学の勉強さえなかったら、私は行きたい大学の勉強を思う存分できたのに!!!」

半分八つ当たりだったけど、半分はホントだった。

「なんだその口の聞き方は!」

父の怒鳴り声が響く。耐えられなくなった私は家の外に飛び出した。
田舎道を運動靴で走り出す。今着てる服、外でも問題ないかな、と頭の片隅で思ったりして。

外は寒くて薄曇りだった。コートも着てくればよかったな。稲刈りもすっかり終わった、乾ききった田んぼの真ん中を走る。わき腹が痛くなって、ゼエゼエと立ち止まった。

ふと振り返っても、誰も追いかけては来なかった。ふと、(マナがテストをビリビリに割いて教室を出て行った日、追いかけてよかったのかも)と思った。

その日家に帰ると、仁王立ちした父が待っていた。
無視して、自分の部屋にこもる。けどそんなことできるはずもなく、部屋から引っ張りだされた。食卓テーブルで父と向かい合う。クドクドと話し続ける父。私はうなづくふりをしながら、テーブルの下で手の甲をつねった。

勉強しようにもイライラして集中できない。机に向かっているのに、全くペンが進まない。仕方ないので行きたい大学の勉強ばっかりしていた。結局第一志望の大学には合格できなかった。

卒業式の日、私の進路はまだ決まっていなかった。下級生が、白いバラを胸ポケットにさしてくれる。入学式と違ってブラウスの一番上のボタンは開けていたのに、何だか息苦しかった。不安で、みじめで。「卒業礼拝」の冊子をパタパタしてやり過ごした。

礼拝が終わると、牧師先生にツーショット写真をねだりに行っている子が何人もいた。私は、そんな気分にもならなかった。

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