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2013年月組「ベルサイユのばらーオスカルとアンドレ編」

 宝塚大劇場「ベルサイユのばらーオスカルとアンドレ編」。明日海さんのオスカル、龍さんのアンドレという配役で。実は他組からの特別出演のない月組メンバーだけでのベルばらは、初見。つまり、美弥ベルナール、珠城ジェローデルなども、初めて。
 明日海さんは、ちょっとせりふを噛んだりはありましたが、凛々しく美しく、いいオスカルでした。龍さんのオスカルが、随所で女らしさを見せているのに対し、あまりそういうことをせずに突っ走ったような感じです。しかし、パリ前夜、そしてペガサスでは、柔らかなしなだれかかる姿を見せ、その時の色香には、ぞくっとしました。

 龍さんのアンドレは、とてもよく似合っているようでした。包容力、男気、凛々しさが素晴らしい。常に肩を張って緊張している様は、オスカルの生き方そのもののようです。 ただ、流れに乗ってくると、ということなのか、セリフの最初の音を長く伸ばすのは、癖なのでしょうか、少し気になります。

 オスカルが衛兵隊で悪口雑言を浴びせられる場面、アンドレの目が見えないことをアランに明かされ激昂し、他の隊員になじられる場面が、これまでの公演に比べて不愉快でなかったのは、まずアランの星条海斗の激しく前のめりな恨みや怒りの感情にリアリティがあったからでしょう。これほどのアランであると、そもそも彼がオスカルに反発し罷免さえ要求したのは、オスカルを衛兵隊で厳しい戦場に行かせるのを防ごうとしたのではなかったのか
などと、あらぬ物語さえ作ってしまいます。アンドレに対しても、目の不自由さを暴露することで、彼の危険を防ごうとしたのだし、その屈折が悲しみを誘います。

 憎まれ役を一手に引き受けたのが、ブイエ将軍の越乃リュウ。彼女にこの役のいやらしさに対する躊躇や嫌気が少しでもあったら、この舞台は濁った不愉快なもので終わったでしょう。役を越えて、フランスの権威、旧体制そのものとして聳え立つことをした、彼女の胆力に感服です。

 フィナーレは、愛希れいか、美弥るりかの銀橋、明日海の扱いも含め、バランスのよいキャスティングだったと思います。 ボレロでは、女役の龍もなかなか魅力的ではありましたが、やはり男役の龍と女役の明日海というカップリングは、見目麗しく、背徳的な危うさも感じられ、息もあっているようで、官能的で濃密な時間でした。

 全体には、時間の都合もあったのかどうか、繰り返しが少なくあっさりしたことが複数ありました。子ども時代のオスカルとアンドレの剣の手合わせの場面、アンドレの目が見えないことがわかった衛兵隊士たちがアンドレに声で指示を出す場面などです。

 しかし、何かもっと根本的に、これまでのベルばらのしつこいエグミのようなものが抜け落ちたように思います。それが一体何だったのか、なかなか言い当てることができないのですが、セリフのスピードが上がり、セリフ回しがフラットになっているように思っています。ナチュラルになっているというか、様式性よりリアリティを重んじるようになっているというか。おそ
らくこれまで、過剰に絡みついていたものが、削ぎ落とされているのだと思います。

 ところが、「ベルサイユのばら大全」などというダイジェストで見る限りですが、実は初演のベルばらは、二本立てだったこともあるのでしょうが、実にスピーディです。いつからか、ベルばらは、過剰な抑揚や大げさなふりをつけた、もったいぶった作品になってしまったのではなかったか。そんなことを思わせる、新版でした。

 この、いわば軽量化したベルばらを、物足りなく思う人もいるかもしれません。でもぼくは、この変貌は、観客の想像力を十分発揮させ、舞台芸術としての完成度を高めるために、必要なことだったと思います。そこに新しく演出に加わった鈴木圭がどれほど寄与したか、前任が谷正純だったことを重ね合わせると、想像できようというものです。

http://kageki.hankyu.co.jp/revue/310/index.shtml

2013年1月27日 (日)

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