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2020年を振り返る

2020年は自分にとって間違いなく一番の変革の年であった。
月ごとに出来事と思考の変化を振り返ることによって今年一年を振り返り、来年をより素晴らしい一年にするための目標を整理するのがこの記事の目標である。

*本当は12/31に投稿したかったのだが、間に合わなかった。


1月

私はこの頃、総合理系に属していた。
なんとなくビジネスを学びたいという大学生あるあるに乗っかり文転に向かってただ目の前の課題をこなしていた記憶がある。

2020年自分が大きく変わるきっかけとなったのは1月18日。
ベトナムで2週間インターンシップを行う武者修行プログラムの事前研修いわゆる”変態前夜祭”に参加した。
和也さんの想いに触れ、仕事ってこんなに楽しいものなのかと固定観念をぶっ壊された。
ともに参加していた仲間たちはNPOのインターンに参加していたり、学生団体をやっていたり、自分とは違う世界で生きていた。
まぎれもなくキラキラした人たちばかりだった。
この頃の自分が考えていた大学生活を豊かにする方法は、サークルに入って友達と飲み明かし、バイトでお金をためて旅行にたくさん行くことだった。
それしか考えられなかった。
なぜならそういう人しか周りにいなかったからだ。
でもずっと悩んでいた。
本当にそれをやることで心から楽しめるのか。
後悔はしないのか。

武者に参加したことでその悩みは消えた。
自分がキラキラできるのはこっちの世界だ。
そう思った。
前夜祭に参加した帰りは興奮が止まらなかった。
学んだことが多すぎたし、早くベトナムに行きたかった。
まるで止まっていた自分の歯車が動き出したかのような感覚に陥ったが、12月31日に当時を振り返ってみても、その感覚は変わらない。
間違いなくこの日は自分を変えた。

2月

免許を取った。

3月

ブログを始めた。
自分は大学に入ってからたくさんの後悔をしてきた。
そのため、後輩となる全国の大学1年生、特に北大の1年生に向けて役立つ情報、知識を発信するためにブログを作った。
終始、楽しかったし何人かの後輩からDMが飛んできたりもしてやりがいもあった。
その中の一人とはいまだに連絡を取り合っている。
しかし、結局2か月ほど続けて辞めてしまった。
辞めた理由は読者のニーズと自分の書きたいことが一致しないことであった気がする。
趣味の日記ブログというよりはゆくゆくは収益を得ることも考えていたため、読者に価値提供するブログを書きたかった。
しかし、書くネタを考える作業につかれてしまった。
ブログは在学中にまたチャレンジしたいと思っている。

第一志望であった経済学部に行くことができなかった。
前期の怠惰のせいであろう。
教育学部に行くことになったが、結果的にこの出来事は自分にとってとてもポジティブなことであったと思う。
当時教育学部を第二志望にしていた理由は一つ。
日本と海外の教育を比較してみたかった。
強く思っていたわけではないためあまり詳細には思い出せないが、日本の画一的な教育に不満を抱えていたためにこのようなことを考えていたのだろう。

3月一番の大きな出来事はベトナム行きが中止になったことである。
人生で何も成し遂げたことのなかった自分は武者修行に賭けていた。
とにかくガムシャラに働き成長し、何かを成し遂げたかった。
自分の無力さに焦っていたのだ。
そんな期待がコロナウイルスによって打ち砕かれた。
さらなる無力感が自分を襲った。
19年間で最大の挑戦のチャンスを奪われた自分は何をすればいいのかわからなくなっていた。
当時立てた大学生活のプランが音を立てて崩れた。

そうは言ったものの、持ち前の切り替え力ですぐにやる気を取り戻したのを覚えている。
絶対に海外に行きたかったため、次の照準はバックパッカー世界一周になった。
好きな世界遺産を見に行きたい、写真を撮りに行きたい、世界中に心の通う友達を作りたい、そして自分の知らない世界を見てみたいという欲望が世界一周への思いを強くした。

3月は二つの大きな買い物をした。
一つ目はカメラだ。
カメラを買ったことによって積極的に外に出ようと思えるようになった。
これは意外と大きい変化だ。
そして自分なりに考えた構図で撮った写真を編集ソフトで自分好みにすることができることにとても興奮した。
その一瞬で感じた印象を写真で表すことができるのは本当に魅力的だ。
2021年もたくさん写真を撮っていきたい。
二つ目はメモ帳である。
日々の学びを記録するためにNOBLE NOTEを買った。
すごくおしゃれなため、持ち歩くことが全く苦にならない。
ここに自分が抱えている悩みを書いたり、経験した出来事を書きだしたりして自己分析もおこなった。
自分が感じていることをノートにアウトプットする習慣がついたのは本当に大きいことであった。
インプットとアウトプットは常にセットである。

4月

4月も壮絶な一か月だった。
まずは、たけはるさんの誘いで就活支援団体のTKFに入った。
2年生の自分を誘ってくれたのはすごくうれしかった。
そして就活を頑張る多くの3年生と出会えたことがすごく大きかった。
これからもお互いを刺激しあえる仲でいられそうな人がたくさんいてワクワクしている。
そしてたけはるさんのアツさ、やり抜く力を感じれたことで自分の最大値を置く基準がかなり広がった気がする。

もう一つの大きな出来事は起業しようとしたことである。
きっかけはバズっていたあるツイート。

「コロナでこんな時代なんだから、大学生はzoomを使ってオンライン家庭教師のビジネスをやればいい。」

このフレーズを見た瞬間に起業しようと決心した。
母校の中学校、高校に電話して実際の生徒目線のニーズを分析したり、プラン内容考えたり、約款を考えたり、一緒にチャレンジしてくれる仲間を集めたり、事業者用の口座を開設しようとしたり、和也さんにプレゼンしてボコられたり笑
実際に動いたのは1週間ちょいだった気がする。
今考えたら鬼のように短い。
ただ、間違いなく熱中していた。
しかし、大きな問題点が発覚してしまったのだ。

これは自分がやりたいことではない。

という事だ。
漠然と家庭教師をやりたいという思いはあったが、オンラインで教育を変えたいというような強い課題意識は持っていなかった。
とりあえず自分の力で金が稼げればよかったんだろう。
それに気づいてからは一気に熱が冷めてしまい、起業を諦めた。
英断だったと思う。
この経験からは本当に多くのことを学んだ。
・なぜそれをやりたいのか
・自分を知ること
・仲間集めの重要性

5月

英語の勉強を始めた。
当時はフルオンライン授業で個人的な活動もしていなかったため毎日3時間というルールを4か月近く継続していた。
忙しくなったためそのルールは撤廃したが今日までの約7か月間で593時間を英語に費やしたらしい。(歩きながらのPodcastはノーカン)
英語ネイティブと何の不自由もなく会話できるレベルを最終目標として勉強を始めたため、資格試験の勉強はほとんどしていなくて自分の伸びがあまり測れていない状況だが、こと英会話に関してはある程度上達したような気はしている。

6月

学生団体を作って高校生のキャリア教育に携わりたいと考えていた。
何なら今も考えている。
正直言って自分は高校時代、大学で学ぶという事について深く考えていなかった。
北大を志望校に決めたのも家に近くお金もかからないし、ネームバリューがあるという理由だった。
しかし当時は理解できていなかったが、大学生である期間は人生においての通過点でしかない。
もっと長い目で見て大学を選ぶべきだと今の自分は思っている。
さらに高校生は大学の先にある”働く”をもっと知るべきだと思う。
志望校選択や働くを知るという部分のキャリア教育の支援団体を作りたいと考えていた。

長期インターンの面接を受けることにした。
この頃は割と全国のいわゆる意識高い系の人たちとの交友関係が広がっていたため、自分がいかに何も考えずに生きてきたか、スキル経験がないかを痛感していた。
そのため、そのすべてを補うために長期インターンとして企業で働き、働くことについて考えながらスキルを磨き、経験を積もうと考えた。
JBAというコンサルティング会社が募集をしていたため、そこの面接を受けた。
なぜそこにしたかというと、そもそも札幌には長期インターンが少なく、限られた候補の中ではそこが一番キラキラ働いている感があり、事業内容も楽しそうだったからだ。

そう。とても適当な理由でこの会社に決めた。

面接経験もほとんどなかったため、ろくに面接練習、志望動機の深堀をせずに面接本番を迎えた。
結果は不合格
そりゃ落ちるよなという感じであった。

7月

EDUFESに関わり始める。
学生団体を作りたいけどノウハウがない。
長期インターンもしたいけど落ちちゃったからどうしよう。
そんな時に教育系のインターンをすればいいのでは?という事を思いついた。
いつもお世話になっていた篠原先生に嶋さんを繋いでいただいた。
なんかとんでもなく優秀な人だというのが第一印象。
しっとりしているねと言われてしまい焦ったため、EDUFESにジョインしたいことを資料にまとめてプレゼンした。
最終的にはインターン生として活動することになった。
当時はここで学んだことを活かして学生団体を作りたいと考えていたが、そんなに甘くはなかったため諦めた。

8月

EDUFESでワークショップを作るという初めての仕事を任され奔走していた。

9月

EDUFESでワークショップを開催した。
目的はチームメンバーがお互いを知り、仲良くなることとEDUFESの存在意義、目指したい世界、行動指針を話し合うことだった。
はじめてイベントを企画する立場となったが、事例のリサーチから、プランニング、集客、リハーサルなどやることは盛りだくさんで本当に大変だった。
正直当日までは楽しい部分があまりなかった。
しかし当日、参加者の方と一緒に楽しくイベントに参加できたことによって今まで感じたことのない満足感を得ることができた。
giveする側に慣れた貴重な経験であった
そして涼平さんが言ってくださったこと。

「何すればいいですか?と先輩に聞いているようじゃ成長はできない。」

この日を境にこの言葉を使わないようにして生きてきたつもりだ。
まずは自分で考えること。
これが大前提である。

リジョブのインターンに参加した。
SUKIMAのイベントで興味を持った企業でインターンの声をかけてくださり3daysにオンライン参加してきた。
3日間みっちり事業立案をしたため、本当に疲れたのだがめちゃくちゃ楽しいインターンだった。
企業・NPO/NGO・行政という三つの視点から社会課題に向き合うことができてすごく勉強にもなった。
しかしこの三日間で学んだことは知識レベルの話ではない。
チームで働くという事だ。
チームメンバーが全員、課題に対して真剣に向き合い、時には意見をぶつかり合わせて全員が納得するまでは妥協をしない。
そこにこだわることのできるチームこそ成功するチームなんだと感じた。
仲良しこよしがチームワークなのではない。
お互いが本気で真摯に向き合うことのできる関係性こそ真のチームワークなのだ。

ESDという学部のオンライン国際交流プログラムに参加した。
サハリンや北京の大学生と一緒にSDGsなどについて考えた。
そして彼らのレベルの高さにひどく感心した。
英語レベル、プレゼンスキル。
日本人はすべてにおいて劣っていた。
自分はそれがすごく悔しかった。
周りの日本人学生を見たときに彼らは悔しさを感じてなさげだったことも悔しさを増幅させた。
日本教育を変えなければならないと感じた。

わらじ荘に行った。
これは自分史上歴史に残るフットワークの軽さを発揮した出来事であった。
わらじ荘というシェアハウスを函館でやっている大学生をFacebookで見つけ、面白そう!と思ったためすぐさまDMを送り、1週間後には深夜バスに乗り一人泊りに行っていた。
EDUFESでの働き方に関する不満、世界一周に対するスタンスの不満など自分がよくわからなくなっていた時期に訪れた。
わらじのみんなは自分の話をよく聞き、たくさんのことを引き出してくれた。
そしてたくさんアドバイスをくれた。
そのことによって不満はほぼ解消された。
わらじに行って感じたのは環境を整えることの重要性である。
たとえば自分はストイックに仕事を楽しめる人間になりたいという理想があったとする。
そういう時は自分と同じ理想を掲げている人たちがいるコミュニティに入ることが大切である。
そうすることによって妥協することなくお互いを高めあうことができる。
わらじはそれを共同生活しながら実現していた。
本当に最高の家だなと思った。

10月

津別に1泊2日した。
https://note.com/sjkcmblue/n/n7186f3d3a39d
詳細はこちらに書いてあるのでぜひ読んでみてほしい。
人に会いに行く旅は本当に楽しい。

11月

Twitterを始めた。
始めた理由は二つ。
①意識高い内容のツイートをプライベートアカウントではなかなかできないため、自分のすべてをさらけ出せるアカウントが欲しかった。
②学んだインプットをアウトプットする場が欲しかった。

結論Twitterを初めて本当に良かったと思っている。
タイムラインに挑戦好きで人生を全力で生きている人たちがあふれている。
こんなエネルギーをもらえるタイムラインはないと思う。
これも環境を変えるという事だと思う。
そしてTwitterなどのSNSアプリは利用しまくったもん勝ちだと感じた。
もし自分の気になる人がいるならDMを送ればいいのだ。
こんな手軽なことは無い。
自分の人生を豊かにするためにはとにかくたくさんの人の話を聞くことは重要だ。
行動力はツールでしかない。

12月

トビタテに応募することを決めた。
元々トビタテは魅力的に感じていたがコロナの影響でチャレンジできないと思っていた。
しかし、急に応募が始まった。
援助を受け世界に羽ばたけるチャンスをもらえるのに、選考を受けない理由はあるのだろうか?
なかった。
まずは使命感を持たせるためにツイートをした。
https://twitter.com/8_jda/status/1335742144208719872
そしたら想いの外たくさんの人に応援してもらえた。
挑戦ってやっぱりワクワクすることなんだなと感じた。
そこから、トビタテのOB、学校教授、エージェントなどにコンタクトを取りまくり爆速でプランを立ててきた。
そしてどうしてもチャレンジしたいことが見つかった。
それがシンガポールでの海外インターンである。
そこであれば自己分析して見つけた自分のミッション「自分らしく生きる人を増やす」を完全に満たすことができる。
まだいけることが確定したわけではないが。全力で目の前のことに立ち向かい挑戦していくつもりだ。
絶対にトビタテを利用してシンガポールに行く。

総括と2021年目標

2020年は本当にいろんなことにチャレンジした一年だった。
自意識過剰に他人の目やプライドを気にするのは本当に無駄なことである。
もちろん感謝の気持ちやバランスを忘れてはならないが、自分の意志で自分の人生を豊かにしていくマインドが必要である。

2021年の目標は「生き急ぐこと」である。
楽しい毎日を無駄にしたくない。
ゆったり生きるのもいいが、自分は最高時速で生き急ぎたい。

具体的には
・9月までにTOEIC満点
・トビタテ採択&シンガポールインターン採用
・Twitter2000人フォロワー
・自力でお金を稼ぐ
・年間50冊読書
・note毎月1本更新
・友達と遊ぶときは思いっきり遊ぶ


以上である。
史上最高の一年にする。
6000字以上書いてしまったが読んでくださった方は本当にありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

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