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グライダー

前回、退院促進ピアサポーターの最初の仕事の事を書いた。「誰でもすぐに退院できる方ばかり」というのが違っていたこと。自分にはそれでも仕事としては大変ではなかったこと(当時はそう思っていた)。そしてまた別のケース。仕事が入ってくる日々。

印象に残っていること。病棟内での暮らしに適応して穏やかに過ごしている人が多いこと。外の社会とは違う、別の世界とでもいうべき場所で退院できるという事を忘却するしかないということ。看護師さんは優しい人も意地悪な人もピンキリ、当たり前に普通の人たちだということ。そして医師も看護師もMSW(病院に勤めるソーシャルワーカー、メディカル・ソーシャルワーカーという)も長期入院の患者さんにそれほど特別な感情を抱いていないということ。つまりここで何十年も暮らしてることに何の疑問も持たないということ。まぁ個人差はあるよね。異論は認める。

帰る場所のない入院患者さんとは別に、スタッフは仕事が終われば自分の家族の元や自分の部屋へ帰る。社会人、普通の人間として当たり前で疑問を感じることは当然ない。患者さんは盆も正月もほとんどの人が病棟内で過ごす。それも当たり前で疑問を感じることは当然、ないのだ。

自分は強烈に違和感を感じた。同じ人間なのに、何故なのかと。まぁ研修なんかで意見聞いたら同じ人間として見てなかったってのがわかったんだけど。人間には帰る家のあることが当たり前の人々と、帰る場所がないのが当たり前の人々とに分かれている。それは変える必要もない立場の違いというようなものだ。

自分は患者さんたちと同じように精神障害を患っているので病状が違えばあちら側に行くのだろうなという想像ができてしまう。それはつらいことだなと。スタッフは毎日この現場で患者さんを見ているのでそういう疑問を感じていては仕事にならないだろう。この人たちはこれが当然と思えばよいのだろう。人間とはなんだろうな。今でも思う。

視点を世間に暮らす人々から見た場合どうだろう。精神障害?そんないつ犯罪を犯すかもしれない奴らは一生入院してて当然だろ?なんで外に野放しにする必要がある?精神障害者は犯罪を犯しても無罪だろ!ふざけんなよ!

まぁ目にする言葉と言うのは犯罪を犯しても無罪になる精神障害者、という体のものが多いのでそんなものになる。普通に静かに暮らしている精神障害者というのは想定されてはいないし考えたこともないだろうなと。じゃあ自分も犯罪者予備軍としてこの社会で暮らしていてはいけないのだろうか。そんな風に思う当事者は多くいる。つらいが仕方がないと諦める。諦めること絶望することは生き延びる為のスキルだから。

生きること、生き延びることは、病や障害を持つ者にはとても辛いことだ。辛いことばかりじゃない、楽しんでる、喜びもある、そういうのもあるけどね。基本的には歯を食いしばって目を閉じて心を塞いで言葉を無くして耐えながら生きていく。戦うみたいに生きる日々。得るものは幾ばくかの強さ。悲しみ。喪失感。欲しいものではないけれどどうしようもない。どうしようもないけれどどうしようもない。誰も助けてくれる訳じゃないのだから。

そんな背景の日々を背負いながら、長期入院患者さんに退院を促す仕事をしていた。そんな娑婆でも入院しているよりはマシなのだという。自由に食べたいものを自分の意志で買い、自分の意志で行きたい所に行き、好きな時間にお風呂に入り、好きな時間に寝て起きる。当たり前で特別じゃない生活が彼らには願っても得られなかったものなのだ。

精神科病棟に何十年も入院しなければならない人々が、この社会の見えない場所に何万人も存在する。知られることも無く。そんな日々はどんなものか、見てきた自分にも想像はつかない。自分は入院経験がないので精神科病棟での入院生活というものはこの仕事と友人知人から聞いたものしか知らない。今の自分がそういう立場になったら耐えられるだろうか。しかし耐え忍び諦めて絶望している人々がいるのだ。



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