愚痴のような思考の垂れ流し(長文注意)特にオチもないよ?

感動ポルノを見ると感受性が死ぬ、あと思想性が低いから価値がない、という話を聞いた(←YouTube)
分かる人には分かっちゃうwww話題になった動画のヤツ。

それは、こんなに明確には言語化出来てなかったけど自分も感じてたことだった。「見る予定はないな」って予告見る前から思ってたし、予告見て尚更強く思った。

ちなみに原作は履修してる。原作それなりに面白かったけど長新太のが面白い。

先日からすんごい寝不足で、理由は「心が死んだ」からなんだと思ってる。
超つまんない一日を過ごした。というか、つまんない上に搾取されボロボロ状態。結局「喧嘩」にならない為に言いたいことをおくびにも出さず、心を殺して一日過ごしたら身体が絶不調になったから泣く動画見まくって感受性のリハビリをした。
サシャが何回も殺された……
進撃のキャラはみんな好きだし嫌いだからマジ人間関係みたい。

リハビリが必要なほど感受性が死んだのは、自分の中に「なんでこんなことしなきゃいけないんだ」って想いが強くあるからなんだと思うのね。
だって感受性を殺したのは自分だから。自殺なのよ。理由が「相手と喧嘩しないため」であって、
結局他人とのイザコザより自殺を選ぶのよ自分は。そういう自分に殺された自分が怒ってる。アレルギーみたいなもん。自分で自分を攻撃してる。

でもそれは殺した方が悪いよ、やっぱ。感受性が怒って自分の体調を悪くさせるのよ、二度と殺されない為に。
わかっててボクは再犯するのよ。だから困ってる。結局自身を少し殺したり傷付けることに長けてしまってる。これは事実として受け止めて、少しずつでも改善していかなきゃならない。
じゃないと本当に死んでしまう日が来るかも知れない。

ボクはボク自身を殺すことに、あまり躊躇いがない。それは良くないことだし、殊更に気を付けないといけないのはそれらは無意識で行われているということ。
無意識で自分を犠牲に、他人や他人との空間を守ろうとしてしまう。癖みたいなもんだから、気を付けながら改善していかなきゃならない。

親からのタバコやモラハラについては我慢しないよう気を付けるようになった。態度で、言葉で「嫌です」「止めてね」をキチンと伝えるようになった。昔はただただ耐えて我慢してたんだけど、身体が拒否反応すごくなってきちゃって。
我慢するって、結局自分で自分をいじめることに他ならない。最近は特に何かあった日じゃなくても寝る前にいつもごめんね、って言って慰めるようにしてる。
感謝と謝罪は言葉にするのが大事。

それでも、気を付けてても無意識に殺してしまうから、本当自分には申し訳ないと思ってる。いつもごめん。ごめんな。


冒頭の話に戻るけど、
思想性とは相反する正義や思想の対立、また相反する自分自身への葛藤を描くことだ、みたいなことを話していて。

まぁまさしくボクの中には「他者とイザコザしたくない」「自分自身の欲求を通したい」という二律背反が同居したまま自分をいじめていて、

その他「合わない他人なんか価値がないからバサバサ切ろう」「自分ひとりじゃ面白くないから周りと一緒に遊びたい」「全部かわいい!」「全部捨てたい!」「とりあえず寝たい」「面白きゃなんでもいい」みたいなバラバラな自分がそれぞれの道理みたいなものを持っていて。

それが自分の当たり前だから、みんなもそうだと思ってるのね。
たくさんの自分を飼い慣らして、他者に見せる部分をコントロールしながら生きてる。

でも自分がひとりだけで、その場その場で感情のままに表現して見せている人もいるみたい?なの?ちょっと信じられないんだけど。

少なくとも、思想性の低い作品が生まれる背景にはそういう人がいる。対立しない自己、ひたすら一本道な世界。
そしてそれに共感する心もそうなんだろうか。一本道の単純で分かりやすい世界。たまにいるよね、そういう生き方の人。話が合わないからあんまり深い話をしたことがないんだけど( ̄▽ ̄;)
他者に見せる自分って、自己演出入ってるのが当たり前だからさ、本心からそう思って生きてるわけじゃないとは思うんだ。さすがに。

そして例の映画が心に刺さって何度も泣けるって人はやっぱり一本道な世界を生きてるのかしら?という疑問。煽りとかじゃなく純粋に教えてほしい。気になる。知らない世界だわ、それは。

ボクの友達に「このシーンが好きってだけで話自体はそんなでもないけど、好きな映画にカウントしてる」って人がいるので、そういうことかも知れないんだけどさ。でも何度も泣くってことはお話も演出も刺さってるってことなのかな?って思ったから。聞きたいな~。わからないことは教えてほしい。

ピカソ好きな人にピカソの良さ教えてほしいってのはずっと思ってる。昔ピカソ展に行ったことあるんだけど、スケッチから昔の作品、キュビズム期、造形まで色々あったけどどれも刺さんなかったもんで。
テレビで誰だかが「ピカソに親しむと肩の線ひとつでピカソがどの年代の人物を描いているかがわかる」って言ってて、それは面白そうだ!もっと教えて!って思ったんだよね。詳しく聞きたかったなぁ。


そろそろまとめるよ。

ボクは毎日自分と向き合うだけでも「人付き合い」をしている気分。だから人よりちょっとだけ人付き合いが上手い。でもすごく疲れるからあんまり人付き合いは好きじゃないの。大して疲れない、好きな人とだけ会いたいし、喋りたい。難しいけど

普段、ボクはしまっておかなきゃな自分を自分で宥めたりあやしたりしてるのね。それは至極当然のことだと思っていて、やっぱり本心じゃ色々思ってても出していい時と悪い時があるから。

そのあたりの分別ちゃんとしたい派なんです。だから自分で自分の機嫌をちゃんと取れない人が苦手。ボク自身普段から普通にやってて、大変だけど当たり前だよね?って思ってることだから「大変だからやらない」って態度でもう「あぁ人種が違う」って思っちゃう。

大変だから、つい出ちゃうのはわかるしうっかりは許せるのよ。でも最初から放棄は許せない。続けること、頑張ることでしか鍛えられない。筋トレと同じで継続が大事。

最初に話した『超つまんない一日』は、その頑張りをしない人とのお付き合いだった。ボクは許せなかったんだよね。なのに「うんうん、わかるわかる」みたいな態度を取り続けるボクにボクは怒ってた。

改めてごめんな、自分。ボクもあいつは好きじゃないよ。でも用事があったし、あいつはそれに必要だったじゃないか。へらへらしてたのはボクも悪かった。喧嘩にならない為にそうしてたけど、もっと早く解散するべきだったよな、本当にごめん。ごめんなさい。


あ、オチはないですよ?ボクからボクへの苦情とそれに対する謝罪の場でした。お疲れ様です。

こんな話を最後まで読めちゃうような、何かと心当たりのある人は自分をちゃんと慰めてあやして、ちゃんと謝罪してくださいね。じぶん、だいじに。

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