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家族の話4 親子の食事嗜好

私が子どもの頃、よく父の食事風景を見て、
「自分には無理だな~。絶対に食べられない・・・」
と、思うことがいくつもあった。

父はよくご飯に何かを乗せて、ぶっかけ丼のようにして食べるのが好きだった。

かつ丼とか天丼なら私も抵抗はなかったが、生のたらこ、イカの塩辛、海苔の佃煮をご飯にたっぷり乗せて食べていたのは抵抗があった。

たらこは、カリカリに焼いたものをよく母が、小学校のお弁当に持たせてくれたので、たらこというものはカリカリに焼いてから食べるもの、という基準が自分の中にあったのです。
生のたらこはちょっと生臭い感じがして食べなかった。

また、イカの塩辛は、買ってきた新鮮なイカを父が自分でさばき、肝を取り出して開き塩をまぶして、味の素を入れ、切ったイカとよくかき回して作る。
父はそれをコーヒーの空き瓶に入れ冷蔵庫で二~三日寝かせた。
私はその工程を見ていて、あの生臭いグロテスクな肝を不気味に感じていたので、とても食べ物としての認識ができなかった。

海苔の佃煮は、炊き立ての真っ白いご飯の上に、真黒な海苔の佃煮が乗っている姿がとても気持ち悪く、わざと黒く汚したご飯を食べるような感覚がして、食べ物としての許容を越えていた。

私は、中学・高校の頃まで、親子ながら父の食事風景を見て、「よくあんな気持ち悪いものが食べられるな~」と懐疑の心を持っていた。

しかしです。
社会人になってから、私の食事の嗜好は変わった。
真っ白いご飯の上に、生のたらこを乗せて食べるのは、たまらなく美味しい。
また、熱々のご飯の上に、イカの塩辛を乗せれば、何杯でも食べられまた美味しい。
さらに、白いご飯に海苔の佃煮を乗せて食べれば、これまたご飯がよく進む。

何故、あんなに嫌いだったものを食べるに至ったかは今では不明だが、こうした体験はひょんなことからです。

昔見ていた私の嫌いな父の食事風景は、今の私の食事風景と何ら変わらない。

母が好きだったクサヤに関しては、私は三十歳頃に克服できました。

「それがDNAを引き継ぐ親子というものなのか」
と、還暦過ぎた今は納得しています。


みさと公園で撮った十月桜

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