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泡沫冬景-クリスマスティナ-

 中国で『泡沫冬景-クリスマスティナ』-というノベルゲームが発売されたという話を聞いたのは、半年ぐらい前のことだった。ねこねこソフトの片岡とも氏がバブル期をテーマにシナリオを書いたのだという。なにかのネットニュースでねこねこソフトの残党が中国でゲーム会社を立ち上げて、事業を開始したという紹介をしていた。まるでジオン公国の残党のデラーズ・フリートのようだなと思った記憶がある。その時点ではノベルゲームが受けれられるぐらいには、中国の上流階級の人たちは時間的な余裕があるのだなあという感想を抱いたぐらいだった。

 それから9月に入って間もない頃、クラウドファンディングがまだ日本へのローカライズの出資者を求めていたのでなんとなく出資をすることにした。中国でヒットしているゲームがどんなものなのか体験したいと思ったし、古い知人がひたすらに過去だけを懐かしんで生きているのを見て、ちょっとつらくなってしまい、新しいコンテンツに触れたいと思ったのも理由のひとつだったりする。クラウドファンディングの出資者は通常の配信日より一日早くプレイする特典を受け取ることができた。2800円の出資だったので、それほど期待していたわけではないけれど、実際にプレイしてみると『クリスマスティナ』は2020年にふさわしいゲームだった。これはお世辞ではない。素晴らしいゲームだと心から称賛したい。

 むかし、エロゲーがオタク文化の中心的存在だった頃のノベルゲームの大部分は区切りという区切りがなくエンディングまで物語が進んでいくという形式がスタンダートだったように思う(しいていうなら『With you』がアニメのような区切りが演出的に入った気がする。『Wind -a breath of heart-』は後半になる前に一区切りがあった。他のゲームはちょっとわからない)

 『クリスマスティナ』はもともとスマホ向けに作られたノベルゲームということもあり、物語がチャプター制で進んでいくという構造になっている。手軽にプレイできるようにチャプター制にしたのだろう。ひとつのチャプターあたり15分から30分ぐらい文量で丁度いい。これは読み手側にとっても、シナリオライター側にとっても良いシステムだと思う。読み手の集中力を中だるみさせることなく、またシナリオライターとしても30分枠のアニメや、1時間のドラマのように起承転結をわかりやすく作りやすい。

 そこそこの長さの小説や脚本またはシナリオを書いた経験のある人はわかってもらえると思うけれど、読み手の集中力を維持したまま物語を持っていくのはすごく難しい。半年ぐらい前に三幕構成についてちょっとだけ勉強して理屈は理解できたが、三幕構成の手法を実施することは思っている以上に難しい。ぜんぜん三幕構成はできていない。俺たちは雰囲気で小説を書いている。

 話を戻すけれど『クリスマスティナ』はバトルものでもなければ、セックスありきなエロゲーでもない。生まれ育った環境が異なる中国人と日本人が廃線となった駅舎で、共同生活をしながら、言葉が通じないこと、文化や価値観によるすれ違いや、相手のことを思うがゆえに口喧嘩をしてしまったり、弱い部分を見せたくないという、人間なら誰しもが持っている感情から相手を拒絶してしまったりする。そんな想いを淡々と蓄積していく物語だ。この手の物語は積み上げていった感情が、最後に爆発することで大きな感情が生まれる。事件という事件はあるのだけど、世界が滅ぶとか、街が核兵器で消滅するような、そういう大きな事件はない。『クリスマスティナ』はどこにでもいる人が抱えている、どこにでもあるちょっとした悲しみや、どこにでもあるちょっとした苦しさや、生きづらさと向き合って、それを乗り越えて前へ進んでいく人間の物語だ。だから、プレイヤーである読み手には、飽きさせずに最後まで淡々とした物語を読んでもらう必要がある。繰り返しになるけれど、この手の日常を積み重ねていく物語は、最後まで読まないと面白さは伝わらない。

 そうした意味で『クリスマスティナ』はよく考えられた設計をしている。先程、書いたようにチャプター制で物語が区切られていて、記憶があやふやになってしまった場合は、過去のチャプターを参照できるようになっているのは親切だと思う。僕が学生だった頃のエロゲーはユーザが暇な大学生だったので、一気にゲームをプレイしてクリアすることができたけれど、その頃の大学生は社会人となって、ゲームをプレイできる時間はほんのわずかな時間となった。隙間時間にちょっとだけプレイできるチャプター制を採用しているのはとてもいい。

 ここまで『クリスマスティナ』のシステムについてつらつらと書き連ねてきたけれど、『クリスマスティナ』という物語の一番の売りはフルボイスで、中国人の主人公と、日本人のヒロインがそれぞれの母国語で会話をする点だと思っている。画面に表示される文章は日本語だけど(中国版は中国語表記)、喋り言葉はネイティブスピーカーが母国語を喋る。だから、相手の国の言葉を喋るときは、どこかイントネーションがおかしい(それは日中どちらの人がプレイしても思う部分だろう)それはすごく自然で中国人の人は主人公に、日本人の僕らはヒロインに感情移入することができる。中国語は英語以上にイントネーションが難しく、専門教育を受けている人でもないかぎり、簡単な単語すら聞き取ることができない。

 神の視点で見ている僕らには、彼と彼女が何を言おうとしているのか理解できるけれど、ふたりにはお互いの言葉を知るすべはないのだ。物語の中でふたりはジェスチャーを使い、状況に応じてノートとペンを使いコミュニケーションを試みる。でも、複雑なニュアンス感はやはり言葉を尽くさないと通じない。これは小説媒体ではできない表現手法で、文字として書いてしまうと、ふたりが抱えているもどかしい気持ちを実感を持って理解することはできないだろう。フルボイスで、日中両国の声優さんが熱量を持ってボイスを当てているからできる演出だ。

 言葉が伝わらないことは大変だ。でも、言葉が伝わらないからこそ、相手に言えることがある。言葉が伝わらないから、打ち明けられる悩みがある。正直になれる気持ちというものがある。僕が何を言っているのかわからないかもしれないけれど『クリスマスティナ』をプレイしてほしい。この物語にはそれだけの価値がある。

 またバブル期という時代を選んだのも素晴らしい。みんなが好景気に騒いでいた時代にも、影で泥に塗れながら懸命に生きていた人がいる。そうした人々へと『クリスマスティナ』はスポットライトをあてている。僕らは誰しもがみんな痛みを抱えて生きている。それはどれだけ恵まれた人でも、恵まれていない人でも同じだ。『クリスマスティナ』の登場人物は全員が痛みを抱えながら、それでも一生懸命に前へ進もうとしている。僕はそういう戦う姿勢をやめない人々が大好きだ。私は常に敗者でありたい。

Christmas Tina ―泡沫冬景―

https://dlsoft.dmm.com/detail/udrev_0001/

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