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第59回:「喜び」とは自分時間を生きること

今回は、「喜び」とは自分時間を生きること、ということを書いていきます。

どういうことかというと、「喜び」を感じている時間は、自分のための時間であるということであり、「喜び」を感じていない時間は他者のための時間になっているということです。

したがって、もし人生という長い時間を有効に使うのであれば、出来る限り「喜び」を感じながら自分時間で生きていたほうがいい、ということになります。

そして、人は「喜び」という自分時間を生きれるようになると、それだけで輝き出すようになっていくことでしょう。

時間は他者との共通理解のためにある

そもそもなぜ時間が生まれたのかを考えてみます。

たとえば、もし私が無人島で一人で暮らすことになって生活し始めることになったとすると、時間の感覚がなくなっていくことでしょう。

なぜかというと、ひとりで無人島で暮らすとなると、何時に何をするという決め事がなくなるからです。おそらく時間的な感覚として、朝、昼、晩、夜という感覚は残りますが、きっと一人で暮らしている限り、時間を意識する必要がなくなっていくことでしょう。

もちろん、無人島でなくても自宅で仕事をして一人暮らしで生活していても時間を意識することは減っていくことも考えられますが、やはり、周りに人がいると時間を気にするものです。

たとえば、自宅で仕事をしていたとしても、何時までに書類を提出しなければならないといったことがあったり、買い物をするには何時までにお店に行かなければならないとか、友人と会うときには何時に集合するといった具合に必ず時間の概念が必要になるからです。

つまり、時間の先には必ず他者が存在するということになるため、時間とは他者との共通理解のためにあるということになります。

そういった意味でも、もし無人島で一人で暮らすという場合であったとしても、テレビを見るとかスマホを使って他者と交流するということになると、そこに他者が存在することになるので時間の概念が残ることになります。

そう考えると、私たちは完全に一人で生きるという事態になることはありえないので、この世界で生きている以上、時間という概念は必ずついて回ってくると考えられます。

退屈な時間は自分の時間ではない

私たちは、誰もが時間をできるだけ自分のために有効に使いたいと思って生きているはずです。

先日、実家に帰省したときに感じたこととして、夜に見たいテレビ番組がないときなどに、ものすごく時間を無駄にしている感じがしたりしました。

実家には残念ながらネット環境が整っておらず、かといってスマホの契約は動画をたくさん見れるようなものではなく、またスマホで何かの文章を書く習慣がないので、スマホで文章を書く気にもなれないため、東京で一人暮らしをしているときのように、好きなときに好きなことができない状態であり、実家で空白の時間が生まれてしまうと、そこに退屈な時間が生まれてしまいます。

私は現在、テレビのない暮らしをしていて動画はすべてネットで見ていて、テレビの時間に自分を合わせるということはしていなかったりします。こういった事情があるため、私は実家に帰省すると、空白な退屈な時間が生まれてしまったりします。

きっと、誰もがこういった退屈な時間を過ごしたくないと感じて生きていることだと思います。だからこそ、現代の人は、退屈さを忘れさせてくれる様々なツールを持っているネットを手放すことができないといっていいでしょう。

いずれにせよ、ネットのあるなしにかかわらず、人は退屈を嫌うものであり、誰もが基本的には好きなときに好きなことをして生きたいと考えているはずです。

とはいえ、この「退屈」な時間は、「退屈」を埋められるようなことをすることで解消することができます。たとえば「退屈」を感じたなら本を読むとか、「寝る」とか自分のためになるような何かを見つければ済むことです。

しかし「退屈」を感じていても、自分のためになるような「代替」が効かない状況に置かれてしまうことがあったりします。

たとえば、学校の授業中であるとか仕事中とか、集団行動をしているときに「退屈」を感じているときなどは、「代替」が効かない状況といってよく「退屈」に耐えなければならない時間といっていいでしょう。

あるいは、ひとりで勉強や仕事をしていても、その内容が楽しくないと感じている場合は「退屈」に耐える時間ということになります。

この「退屈」という言葉は、他のネガティブな言葉に当てはめることができ、「やりたくない」とか「好きでない」といった言葉をあてはめることもできるでしょう。

こういった「退屈」や「やりたくない」、「好きでない」という言葉が出てくるような時間を過ごしているということは、自分の時間を生きていない、といっていいでしょう。

人には「喜び」を感じる時間が欠かせない

ネガティブな気持ちで過ごしているときは時間の流れが長くなるものです。学生の頃、興味の湧かない授業の最中は、何度も時計を見て時間の長さを感じたものです。

しかし、何か夢中になって過ごしているときは、時間が経つのは早く感じられるし、場合によっては時間の経過すら忘れてしまったりします。また、夢中になっていると時間を気にせず、ひとつのことを飽きることなく集中してすることができます。

こういった夢中になって過ごせる時間は、まさに「喜び」の時間です。一人で何かをしているときだけでなく、気の合う友人と過ごして時間を忘れて会話をしていたりするも「喜び」の時間といっていいでしょう。

もちろん、学校の授業中や仕事中の他者といる時間でも夢中になることができるなら、それは「喜び」の時間です。

では「喜び」を感じない時間は誰のための時間かというと、自分のための時間ではないため、他者のための時間といってもいいでしょう。

なぜかというと、先述した通り、時間とは他者との関係性の中で生まれる性質があるため、「喜び」を感じない時間は他者のために時間を提供していることになるからです。

たとえば楽しくないと感じて仕事をしていたりすると、その仕事は他者のために時間を提供していることにになります。もちろん、楽しくないと感じている仕事でも、それをすることで収入を得ることができるので自分のためでもありますが、そこには「喜び」はないため時間の意味に他者性が含まれてきます。

しかし、楽しいと感じている仕事は他者のためにも自分のためにもなるので、まさにWin-Winの関係を生み出すことができ、楽しい時間はどちらかというと他者のためというよりも自分の時間のように感じられるものです。

では、学校の授業で退屈していたりする場合は、誰のための時間かというと、もちろん単位を獲るという目的があるため自分のための時間ですが、年間通して相当数の時間を無駄と感じて過ごすことになります。

そう考えると、退屈と感じる授業は誰のためにあるのかというと、学校に通わせてくれている親のためとか、学校の規則のためといったような義務感が生まれ他者性の思考性が強まっていきます。

こういったことから、楽しいと感じない仕事も退屈な授業も自分のためにすることですが、時間に苦痛を感じているということは、他者のために自分の時間を捧げているという意味合いが強くなるといっていいでしょう。

では、このような「楽しくない」や「退屈」と感じる時間をどのように対処していけばいいかというと、楽しくなかったり退屈さを感じる中にも楽しみを見つけ出しそれを「喜び」に繋げていくか、その場を離れて「喜び」を得られる場所へと移って行った方がいい、ということになります。

そういった意味でも、人には「喜び」を感じられる時間が欠かせないといってよく、生きる上で「喜び」という自分の時間を生きることがとても重要だということが分かります。

「喜び」で生きると人生が輝き出す

人は「喜び」を感じながら生きることができるようになると人生が輝き出します。なぜかというと「喜び」とは、自分の内側から発せられる自然のエネルギーだからです。

私たちは、他者からやる気を貰うことができても、エネルギーは自分の中から生み出さなければなりません。また「喜び」を感じて生まれるエネルギーは、嫌々ながら何かをするときのエネルギーの何十倍も、場合によっては何百倍もあるといっていいでしょう。

そうやって自分の中からエネルギーを発することができるようにいになると、そのエネルギーが目には見えないオーラとなって輝きに変わっていくことでしょう。

それは、デートのときに気持ちを整えて着飾ったりするときと、惰性でコンビニに買い物に行くときのオーラが異なるようなものであり、そこに「喜び」があるかないかの違いだけで、その人が持っているオーラが変わってくるものです。

したがって、毎日を好きな人とデートするようなワクワクした気分で生きていれば人が輝かないはずがありません。

そういった意味でも、自分が「喜び」と感じるようなことに「恋」をするような気持ちで向き合うことができるようになると、その人の人生は必ず輝き始めるといっていいでしょう。

さらに、そうやって輝いて生きている人を周りが放っておくはずないので、「喜び」で生きている人は、自然と他者から求められるようになって、さらに輝きを増すことになるはずです。

こういった感じで、人は「喜び」という自分時間を生きることができるようになると、生きることが楽しくなるだけでなく、それだけで道がよい方に開いていき、どんなことでも自然と上手くいくようになっていくことでしょう。

こういったことから、自分の人生をよくしていくコツは「喜び」という自分時間をたくさん持つことということになります。

そこで、「喜び」という自分時間をたくさん持つためには、日々の些細な選択であっても、「喜び」を基準に選んで生きることが大切です。ちょっとしたことでも妥協せずに「喜び」を感じられることを選ぶ習慣をつけていくことで人生を最善の方向に誘っていくことができるようになっていくことでしょう。

さらに「喜び」という自分時間を生きることができるようになると、ストレスレスの生活が送れるようになっていき、「喜び」によってどんどん自分が磨かれていくものです。

そういった意味でも、少しでも多くの時間を「喜び」を感じて生きていくことが、長い人生を豊かにしていくコツとなるはずなのです。


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