第95回:楽しめば共感され、喜べば喜ばれる。
「今を生きる」ということは、精神世界では根幹をなすものだけど、現代社会の在り方からすると、現状ではまだまだ主流にななり得ないのかもしれない。
今の社会の大半は、半期ごとや一年ごとの目標を決め、それを達成すること前提で成り立っている。
大人だけでなく、場合によっては子どもの頃から、受験に向けてそれを達成するという目標を置くケースもある。
個人的な経験でいうと、高校受験を終えてほっとしていた束の間、入学早々、大学受験に備えて今から勉強をしなさいといわれて、何のために生きているのか分からなくなった。
もちろん、勉強したいことがあって、行きたいと願う大学があったなら、素直にそう思えたのかもしれない。
残念ながら、高校では夢中になって勉強することはなかった。
話を戻すと、今の社会は、まず長期目標を立ててそこに向かって達成するということが前提で物事が進んでいる。
目標が未来にあるから、自然と意識は未来に向けられるようになる。
達成しなければならない目標があると、そこに向かって行動しなければならないという気分になるから、場合によっては何気ない休日でさえ心が落ち着かなることもある。
目標の期限に近づけば近づくほど、意識はそこへ向かっていく。
行動は目標から逆算して計画を立てる。
そんな習慣がずっと続いているから、今でもそういった思考で物事を考えてしまう。
以前、ある講演会で、禅のお坊さんが「3日以上先のことは考えない」、というようなことをいっていて、その言葉がとても印象的だった。
3日先以上のことを考えないというと、日々の生活はどうなるかというと、必然的に今を生きるしかなくなるもの。
遠い未来に目標があるゆえに、それが気分を重くさせたりするけど、3日先のことなら大それた目標は必要なくなることだろう。
もちろん、未来に目標を置いて、そこに向かって生きることを楽しめる人はいい。
しかし、それが重荷になる人にとっては、目標が生きづらさになる。
自分で目標を設定して、そこに向かって行く分には楽しめるかもしれないけれど、他者によって目標を設定され、それを達成しなさいというような、指令、命令で動く場合は、本人がよほど納得しない限り、それが重くのしかかる。
売り上げ金額の設定をクリアしたら、今度はさらに高く設定するようになるものだから、いつまでたっても終わりがない。
終わりがないから、いつまでたっても心が休まることはない。
今の社会は未来志向であり、達成することで評価される。
しかも、幼少の頃から未来に向けて行動する仕組みになっているから、場合によっては、幼少期から定年を迎えるまで、未来の目標を達成するために生きることになる。
もちろん、今は社会が変化しているから、そういった傾向もだいぶ変わってきていると思う。
しかし、会社組織という点で考えると、規模が大きくなればなるほど、組織のシステム上、目標は常に未来に置かれたりするものだ。
目標設定を自分がするなら全く問題ないけど、そうでない場合は、そういった目標が心の枷になることだろう。
目標は、本来、自分の「喜び」を達成するものであり、「喜び」のない目標は苦痛でしかない。
未来に「喜び」があるのであれば、目標に向かって歩んでいけるけど「喜び」のない目標に向かっていては疲弊を招く。
「喜び」はパーソナルなものだから目標は自分で決めて、その「喜び」に向かって生きていけるのが一番いい。
しかし、現状ではなかなかそうはいかない。
では、「今を生きる」とはどういうことか。
今を生きるということは、今に夢中になるということだ。
夢中になるということには、「喜び」や「楽しさ」が欠かせない。
夢中になって何かをやり終えたあと、達成感を感じながら心から休息をとる場合も「夢中」の範疇に入るといっていいだろう。
やり終えたという達成感を得て、作業から解放される「喜び」を味わう。
「夢中」には、「動」の夢中と「静」の「夢中」があるといっていい。
一日をこの二つの「夢中」で充たすことができると、生きることが楽しくなる。
こういった充実感で毎日を生活できるようになるのが、生きることの理想といってもいいかもしれない。
毎日を充実感を持って、半期先や一年先、数年先の目標に向かって生きていけるなら何も問題ない。
そういった意味では、長期目標が必要になる仕事や勉強も、それをする本人が「好き」「楽しい」「面白い」という思いが必要なのだと思う。
しかし、「好き」「楽しい」「面白い」といった思いがなく、目標を達成しなければならない状態だと、それが苦痛になることだろう。
であるならば、やはり目標は「好き」「楽しい」「面白い」ことが重要ということになる。
出発点が「好き」「楽しい」「面白い」でなければならない。
「好き」「楽しい」「面白い」があれば、長期目標も楽しめる要素となるだろう。
しかも、本気で「好き」「楽しい」「面白い」で生きていれば、それは共感してもられるものでもある。
これからの社会を、誰もが「好き」「楽しい」「面白い」で生きられるようにしていくならば、社会の構造を変えなければならないし、社会の構造を変えるためには、今の人の考え方を変えていかなければならないだろう。
多くの人が「好き」「楽しい」「面白い」で生きられるようになれれば、「今を生きる」人が増えるわけであり、今を生きている人は充実感を持って生活できているから、笑顔になるし人に優しくなれる。
「好き」「楽しい」「面白い」と感じることは、単に個人的な満足ではなく、他者の役に立つことでもあるから世の中が上手く循環していく。
そのためには、老若男女問わず、与えられた課題をこなすのではなく、自らの力で「好き」「楽しい」「面白い」を見つけて、実践していけるようにならなければならないのかもしれない。
「好き」「楽しい」「面白い」を発見できる力も必要だし、それらを出来る環境を創っていくことも必要になる。
現状では、そういった環境を創ることは国や会社や学校では難しいから、個人単位で、あるいは家族単位で実践していくしかないだろう。
規模が小さければ小さいほど、自由度が増すしルールが少なくて済む。
いずれにせよ、「今を生きる」ことができる人が増えていけば、世の中は少しづつ変わっていくことだろうから、まずは自分から実践していくべきなのだろう。
理屈で考えると「好き」「楽しい」「面白い」だけで生きてはいけない、と思うかもしれないけれど、理屈を超えた働きがこの世界に存在している。
しかも、そういった働きは「好き」「楽しい」「面白い」で生きていると、よく働くものでもある。
そういったことに説得力を持たせるためにも、まずは自分から。
「好き」「楽しい」「面白い」という感情は、いつも「今」にあるから、未来に大きな目標があってもなくても、こういった感情を持って生きていれば、どんなときでも楽しんで生きていけるようになる。
「今を生きる人」が増えていくように貢献したい。
ある一定の条件に自分を合わせるのではなく、自分の思いに自分を合わせて生きる。
自分の思いとはメッセージでもあるから、そのメッセージに合った生き方をしないと、生きづらくなってしまうことだろう。
メッセージは楽しんだり、何かに納得することで生まれるものであり、人はそういった思いを人を伝えたという衝動を持つ。
楽しんでできたものほど、周りの人も共感して貰えるもの。
楽しめば共感され、喜べば喜ばれる。
今を生きる効果として、そういった「喜び」の循環が生まれるのではないかと思う。
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