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80) 元気になれば、やりたいことは自然と見つかる

昨日の記事の最後に、「好き」「楽しい」「面白い」を見つけられない人はどうすればいいか? ということを書いて終えたので、その続きを。

個人的な経験でいうと、「好き」「楽しい」「面白い」を見つけられないときというのは、疲弊しているか、自己否定しているかの2つのパターンの状態だと考えられる。

人は、元気があって毎日を楽しく生きていけると、興味を持ったことをすっと始めることができるもの。

ちょっとでも「面白そう」と思えば、それだけで身体を動かすことができたりする。

そうやって、直観で興味を持ったことを挑戦し続けていると、自然と自分にヒットするものが生まれてくるものなのだ。

でも疲弊していたら、まずは身体を休めることが大切だから、そもそも何もする気が起きない。

何かをしなければと思うことがあっても、その気持ちに身体がついていかない。

そういうときは、何かをすることよりも何もしないでいる時間が大事だし、そういった状態で無理に何かを始めても、上手くいく可能性は低いだろう。

なので疲れていて何もしたくないと思うのであれば、何もしないのがベストであり、まずは心身ともに溜まった疲れを回復することの方が重要だったりする。

とはいえ、身体が元気になっても自己を否定していたりすると、新しいことに挑戦することは難しい。

自己否定の意識は、前に進みたい思いを引き留めようとする力がある。

「でも」や「だって」という思いが、前に進みたい気持ちを引き留める。

そういったときは、何かアクティブなことを始めるのではなく、「自分癒し」が必要だったりする。

自己否定の思いは、多分に外部の影響を受けていることが多い。

たとえば、無人島で一人で過ごしていたとした場合は、自己否定はできない。

食べ物の豊富で自然豊かな無人島に、寝食に困ることなく一人で生活っできると考えた場合、自由に暮らせているなら自己をする必要がない。

自己否定の感情は外部との関係性によって生まれる感情だから、自分癒しは一人になる時間を作って、自分を肯定出来るようなことをしていくと、それがきっかけでやりたいことも自然と浮かび上がってくるもの。

そのためにも、アクティブになろうと思わずに、ひとりの時間をしっかりと味わって自分を癒しをした方が、回り道に思えるようだけど近道だったりする。

ただだらだらとテレビを見ていてもいいし、寝たいだけ寝て過ごしてもいい。

そうやって、自分を否定せずに、その時々でしたいことしていると次第に自分を肯定できるようになっていくもの。

そういった無為な時間が、実は自分を癒す力となったりするものであり、やがて無為な時間を過ごすのにも飽きてくるから、何かしようと思うようになるもの。

とはいえ、そういった状態で無理に何かをしようとしても、「でも」とか「どうせ」という思いが生まれてくるものだから、身近なことで出来ることから始めることがいいし、静かな時間を味わうことが効果的だったりする。

中でも本を読むことがおすすめで、ある一定の時間を決めて本を読んでいくと、ふとした気づきが生れたりする。

なぜ本がいいかといいとネットとかテレビとかだと、余計な情報に目が行ってしまうから、気が散ってしまい気付きが生まれにくくなってしまう。

ネットもテレビも「誘導」の仕掛けが満載だから、ついついそういった誘導に乗ってしまったりする。

でも本であるなら、自分と本と対峙することになるから、集中することができるし、そういった集中から新しい気づきが生まれ、それをきっかけに行動できるようになったりする。

自分癒しに必要なのは静な環境であり、一人で過ごすことで自分を癒し、気づきや思い付きを生みやすくすることだったりする。

また、そういった状況に本屋に行って、買おうと思う本は、その人の好みの現れでもあるから、書店に行って本を選ぶ行為というのは、その人のその後の人生を左右するような対象になる場合も多い。

ある意味で、実店舗の大きめの本屋さんは、潜在意識を刺激してくれるから、一時間くらいぶらぶらとしていると思わぬ気づきがあったりする。

もちろん、本に限らず、散歩をしたり、ジョギングしたり、その対象は何でもいいけれど、自分が癒されることをすることがベストといってもいい。

一人で自然の中に身を置くのも自分癒しになるし、子どもの頃にしたかったけどできなかったことをしたりするのもいい。

いずれにせよ、一人で何かをしている限り、自由であるから、その自由さを味わっていると、自分癒しがでいるよようになっていく。

自分癒しは、他者を気にしせず行うことが大切であり、自分癒しの対象となることの中から、「好き」「楽しい」「面白い」を見つけられるようになったりもする。

自己否定は、マイナスな意識を自分に向けることで生まれるものでもあるから、意識を外側に向けて自分から離れることができると、それだけで楽になるもの。

面白い本を読んでいるときは否定してしまう自分の思いから離れることができるものだし、自然に身を置いて風を感じたり、一人になってやりたくてもできなかったことを達成させるだけでも、自分癒しになる。

子どもの頃に作ることの出来なかったプラモデルを夢中になって作るのものも癒しになったりするもの。

そうやって、ある程度の期間、自分癒しを続けていくと、自然と心身ともに元気が湧き出してきて、徐々にアクティブなことにも挑戦できるようになっていく。

上手くやろうとせずに楽しむことだけを意識して、何かをしているうちに、自然と自分の内側から衝動的な欲求が浮かんでくるようになるものでもある。

他にも、人は環境に左右される生き物だから、何かしたいことがなくても、肯定的で前向きな人達の集まる集団の中に身を置いて、他者からいい影響を受けることも、「好き」「楽しい」「面白い」を見つけるきっかけになったりする。

他者からいい気を貰って、心地よい気持ちになることができれば自分癒しになる。

やりたいことがなくても、気持ちのよい人が集まる集団で過ごしているだけで、たくさんの気づきを貰えるようになるものなのだ。

いずれにせよ、人は身体が元気になって心が元気になれば、自然と自分は何がしたいのかが分かるようになってくるもの。

人は目的を持ってこの世界に生まれているものだから、心身ともに健やかでいれば、自然と自分がすべきことが分かるようになるといっていい。

心身ともに健康だからこそ、昨日の記事の「博士ちゃん」のような年齢でもやりたいことに夢中になることができるのだ。

疲弊と自己否定が、自分の内側から湧き上がるような衝動に蓋をしているといっていい。

伸び伸びと生きている人とそうでない人の違いは、思考をどこに合わせているかに違いにある。

「博士ちゃん」たちは、思考を「好き」「楽しい」「面白い」に合わせている。

しかし、疲弊していたり自己否定をしていると、思考を「なんで、ダメなの?」「どうして、できないんだ?」というところに合わせてしまうことになる。

「博士ちゃん」たちの思考のループは、「豊の循環」であり、後者の思考のループは「負の循環」なのだ。

人は誰でも「思考のループ」を「負」から「豊」に変えることができる。

そして、「思考のループ」を「負」から「豊」に変えることができれば自然と「好き」「楽しい」「面白い」が見つかるものなのだ。

そこで、もし「好き」「楽しい」「面白い」が見つからないのであれば、まずは心身ともに健康になって「豊」の感情を抱けるようになるところから始めるとよかったりする。

「博士ちゃん」たちは、伸び伸びと過ごせる環境にある。

「好き」「楽しい」「面白い」を見つけるためにも、彼らを見習って、たとえ短い時間でも自分を伸び伸びとさせる環境を作るところから始めることをお勧めします。



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