第25回:生きるために「喜び」が欠かせない理由
今回は、人が自分自身を承認できるようになる仕組みを解説していきながら、生きるために「喜び」が欠かせない理由を、書いていきます。
人は自分を自分で承認しない限りポジティブに生きていくことができません。なぜかというと、自分を認められないということは、自分を否定することであるため、自己承認ができるようにならない限り、ずっとネガティブな状態でいることになるからです。
しかし、このネガティブな状態が生まれてしまう原因が分かれば、意識をマイナスからプラスへと変えられるようになっていきます。
自己を承認できるようになる方法
人が生きる上で大切なことは、「楽しい」と感じることをすることで得られる「達成感」や、達成感を得たことで感じる「満足感」です。
人は「楽しいこと」をしているとよいアドレナリンが出るため気分がよくなります。このアドレナリンによって自分自身が十分に充たされると、達成感が生まれ満足感が生まれます。この満足感が「喜び」です。
この満足感という「喜び」を得られるようになると、人は自分の存在に満足できるようになり、自分自身を承認できるようになっていきます。人は満足感で充たされて生きるようになると、自分をどんどん好きになっていくため自分が自分として自分らしく生きられるようになっていきます。
そういった意味では、生きている時間の大部分をシンプルに「楽しい」と感じることをしていた方が、より自分らしく生きられるようになるといえるでしょう。なので、もし人生をより自分らしく生きようとするならば、我慢して生きること辞める、といった決断をしなければなりません。
人は生活の大部分を仕事に費やすことになるので、その内容は自分が興味のあることや楽しいと感じられることをしたほうが自分のためになります。1日8時間働くとして、この8時間を楽しい気分で過ごせると、自分をますます好きになっていきます。しかし、仕事の内容に不満を持っていたりると、1日の3分の1の時間をネガティブな気持ちで過ごすことになるので、自分を承認できなくなってしまうのは当然のことといっていいでしょう。
人が体調を崩してしまう原因は、気持ちと行動の不一致です。仮に一日8時間、週に40時間、月に160時間という時間に不一致を感じていたら病気になったり体調不良を起こしたりするのは当たり前といっていいでしょう。したがって、もし自分を承認できるようになりたい、健康になりたいと思うのであれば、「楽しい」と感じる仕事をすることが必須になります。
人は「楽しい」と感じていると。自分の気持ちと行動を一致させることができるようになるため、ストレスを感じることがなくなります。また、人はストレスを感じなくなると、気分が軽くなって自然と、自分自身を承認できるようになります。
というのもストレスは自分を否定する意識から生まれるものであるため、自分を否定するような行為をやめることができると、自然な形で自分を肯定できるようになっていきます。そして、人が「喜び」に向かって動き出せるようになると、今度は自分を承認できるようになっていきます。
「喜び」は「結果」ではなく「目的」である
「喜び」に向かって行動するということは、その行為自体も「喜び」になるため、目的と行動が「喜び」で一致します。また、目的と行動が「喜び」で一致すると、結果もまた「喜び」になります。
人が「喜び」で生きるようになると、結果はさほど気にならなくなります。「喜び」で生きるということは、「喜び」を感じている状態を得ることが目的だからであり、結果を得ることが目的ではないからです。
たとえば、週末に草野球をして「喜び」を感じるのは、目的が野球をすることであり、勝つことが目的ではありません。仲間と身体を動かしながらワイワイ楽しく野球をするのが真の目的です。もちろん、試合で勝利することができれば、更なる「喜び」を得られるかもしれませんが、毎週末、野球をするのは、あくまでも野球をすることに「喜び」を感じるからであり、野球をすることができた時点で目的と結果が一致します。
私が毎日のように文章を書いている理由は、文章を書いている最中に脳内にアドレナリンが駆け巡るからです。実をいうと私はこの「脳内にアドレナリンが駆け巡る」という感覚によって自己承認ができるようになったと思っていたりします。
とはいえ、以前は文章を書くことが辛いと感じ時期もありました。というのも、そう感じていた頃は他者に認められようと思って文章を書いていたからです。
他者に認められたいと思って文章を書いていたりすると、その内容が受け入れられるかどうかを考えてしまい、リズムよく文章を書けなくなってしまうため、その結果、脳内にアドレナリンが駆け巡ることを妨げてしまいます。
しかし、他者に認められるかどうかよりも、自分が思うことをリズムよく書くようにしたら、思いもよらない気づきを得られるようになったため書くことそのものを楽しめるようになっていきました。
そういった意味では、現在、私が暇な時間を見つけては文章を書いているのは、脳内にアドレナリンが駆け巡らせて「気づき」を得るためにしているといってもいいでしょう。
「感じる」ことが「自分」そのもの
夜、ビールを味わって飲むときに、自分の存在を感じることができるのは、そこに「喜び」を感じている自分いるからです。美味しいという「喜び」を感じているのは自分であるため、「喜び」によって心地いいという自分を感じることができます。もちろん、まずいと感じるものを食べているときは、まずいと感じている自分を感じることになるため、不快感によって不快な自分を感じることになります。
つまり、感じたことが自分自身に直結しているため、よいと思えることをたくさん感じることができれば、それだけで自分をよいと思えるようになります。逆に、普段から悪いと感じることをたくさん感じていると自分自身を悪いと思ってしまうようになっていきます。
こういったことから、もし自分自身を肯定し承認できるようになりたいと思うのであれば、「喜び」を感じることをたくさんしていけばいいということになります。つまり、普段から「喜び」を感じられるようなことを率先して行っていけば自己承認は自然にできてしまうのです。
自己肯定感を得られない理由
私が大学に入った頃に感じたことの話をすると、私は大学に入れば自分の興味のあることをすぐに学べるようになると思っていた節がありました。しかし、実際に専門的なこと学べるのは大学3年になってからであり、それまでに一般教養課程があることにうんざりした記憶があります。大学に入って興味のあることを具体的に学べると思っていた矢先に、高校の頃と同じように、また興味のないことを学ばなければならないということに徒労感を感じたのです。
そういった意味では、現在の教育システムは、やりたいことをさせてもらえないシステムといってもいいかもしれません。小学校から大学3年になるまで、興味のあることを学べる時間はごく僅かであり、興味のないことをしている時間が圧倒的に多かったりします。
人生で最も多感な時期のさまざまなことを吸収できる時期に、つまらないと感じている時間を多く過ごすということは、つまらないと感じている自分をたくさん感じることになります。そういった視点で、現在の教育システムをみてみると、その構造は自己肯定感を育むものではなく、自己否定感を育むシステムであるといってもいいかもしれません。
しかし、もし人間の持っている能力に従って、教育のあり方を考えるのであれば、興味のあることを集中的に学んでいった方が、本当に必要と思えることを効率的に学べるようになると思います。
たとえば大学での教養課程で二つの外国語を学びますが、私の経験では、二つの外国語を学んだことで実際に役に立つことはありません。しかし、自分が興味を持ったことに外国語が必要ならば、それは自ら学ぶようになるものです。たとえばフランスで絵を学びたいと思ったなら、自分の意思でフランス語を学ぶようになるものなものです。本当に必要なものを必要なときに学んでいった方が効率的だし理解も早いといっていいでしょう。
もし人が自己肯定感を持って生きられるようにするのであれば、興味のあることをしていく中で、必要なことを身に付けていく方法がベストといっていいでしょう。その方がつまらないと感じる時間を減らすことができるため、つまらないと感じている自分を感じることもなくなるし、好きなことに集中できる時間も増えるため、自然と自己肯定感も得られるようになっていくはずです。
「風の時代」は「喜び」の時代
ここまで書いてきことをまとめると、人が幸せになるためには「喜び」が欠かせないものであり、「喜び」を多く感じられるようになると、それだけで自分という存在を承認できるようになっていく、ということになります。
そういった意味では、今あるシステムの中に身を置いていると、「喜び」を感じられる時間が限られてしまうため、もし貪欲に「喜び」で生きていきたいと思うのであれば、出来る限り「自由」な立場で生きていく必要があると思います。
現在は、風の時代に突入したといわれ、風の時代が個人の時代であるといわれるのもそういった理由があるからだと思います。そこで、次回は「喜び」の時間をたくさん持てるようになって、「風の時代」を楽しんでいけるようになっていく方法について書いていこうと思います。
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