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第13回:「喜び」が「平和」を生み出す

前回は「喜び」と「情熱」について書きましたが、今回は「喜び」が「平和」を生み出すということを書いていきます。

当然のことですが、人は「喜び」で満たされていると「平和」な気持ちで過ごせるようになります。このことはとても大事なことであり、裏を返すと、この世界が「平和」になるためには、世の中の多くの人が「喜び」を持って生きなければならないということだったりします。なので、これからは少しでも多くの人が自分の「喜び」に従っていける世の中になっていけばいいなと思います。

「喜び」を感じることをする決意

たまにお店に行って印象の良くない店員さんがいたりしますが、きっとそういった人は、お店での仕事が楽しくないのだと思います。しかし、そういった人でも自分が楽しんでできることなら、きっと他者に対しての関わり方も前向きなものになるはずです。

そういった意味でも人は「喜び」を得られるようなことを仕事にするべきなのだと思います。マイナスな気持ちで仕事をしていると、自分も他者にも悪影響をもたらしますが、ポジティブな気持ちで仕事をすると、自分も他者も高め合うことができるようになります。

こういったことは、私自身の反省の意味も含まれています。これまで心から楽しいと思ってしていた仕事に出会えなかったため、私の仕事に対する姿勢が、周囲によい影響を与えていたかどうかは、正直いうと疑問だったりします。

そういった経験を反省し、私は楽しいと感じることしかしないといった決意をしています。自分が楽しいと思えることをしていると、周りによい影響を与えられるようになるので、「喜び」と感じることを積極的に選んで生きていきたいと思っています。

自己実現ができやすい時代

20世紀の終わり頃には、21世紀は精神の時代になるといわれていました。では、現在が実際に精神の時代になっているかというと、表面的にそうは見えないのが事実です。

とはいえ、これからはどんどん精神性が優位になっていく人が増えていくように思います。なぜかというと精神性を優位にしていかなければ、生きることの意味を見い出すことが難しくなっていくからです。

なんとなく曖昧な気持ちで生きていたりすると、その行動もそれに伴う結果も曖昧なものにしかなりません。しかし、「喜び」という精神性を明確にできると何をすればいいかが明確になるし、それに伴って結果も付いてくるようになります。

では、なぜ今の社会で、曖昧な気持ちで生きてしまう人が多いかというと、何かやりたいことがあったとしても、それを始める前に諦めてしまう人が多いという側面があるからといっていいでしょう。

しかし、今は情報を得ることも簡単になっているし、何かを始めるにしても以前に比べると簡単にできるようになっています。企業するためのハードルも下がっているし、そのためのノウハウも得ることも可能になっています。何かを学ぶにしても、必ずしも学校に通わなくてもネットを使えばある程度の情報を得ることができるようになっています。

そういった意味では、現代は、本人のやる気次第では、自分の欲しい情報を得られる時代であり、その気持ちに比例する形で結果も出せる時代でもあるといえます。

野球で例をあげるなら、少し前は目標とするピッチャーの投げ方を真似するのも一苦労でした。しかし、現在は動画投稿サイトがあるお陰で、自分の体格に似たピッチャーを探せば、そのピッチャーの様々な角度で撮られた動画を見つけて真似することが簡単にできたりします。つまり、現在は自分にとってのモデルとなる対象を具体的に研究することが可能な時代なのです。

このことは野球に限らず、様々な分野に当てはまっていて、比較的簡単に欲しい情報が手に入る時代になっているので、自己実現がしやすくなっているといえるし、そうやって自己実現に向かっていいく人が増えていくということは「喜び」で生きる人が増えるということでもあります。

また、自己実現ができる人が増えるということは、「喜び」に満たされる人が増えていくということでもあるため、その結果、「平和」な世界になっていく可能性は高くなっていくといえます。

内なる声に耳を傾けなければ「平和」は生まれない

「平和」を実現するには、まずは一人ひとりが「平和」な気持ちで過ごせるようにならなければなりません。社会的な「平和」は、個人個人の「平和」の総和で出来上がるものであるため、一人でも多くの人が「喜び」で生きられるようになることが望ましいといえるでしょう。

「私」という個が「平和」になるためには、自らの内なる声に従って生きることが必須です。人が内なる声を無視して生きている限り、真の平和はやってこないといえるでしょう。内なる声は絶えず「私」に何かを訴えています。その声を逃さずに聞いてあげると、心は徐々に平和になっていきます。

スピリチュアルの世界では、インナーチャイルドといった言葉が使われますが、このインナーチャイルドは内なる声といってもいいでしょう。内なる声とは、自然に生まれる感情であり、そういった感情は子どものような無邪気さがあったりするのでインナーチャイルドという名称が与えられているように思います。

私たちはの心は大人であったとしても子どものような無邪気さを持っています。しかし、大人になって理性を持つようになると、そういった無邪気さを押し殺してしまいます。大人としての理性がインナーチャイルドという内なる声が聞こえなくなってしまったりします。しかし、人としての理性で物事を感じられるようになると、内なる声を聞いて暮らせるようになるでしょう。

自分にとっての「喜び」は、こういった無邪気な声を聴いてそれに答え続けていくことで見出すことが可能になります。最初はどんなに些細なことであったとしてもそれを逃さずに答え続ける必要があるのでしょう。

「喜び」とは自分の欲求を満たしたり、達成させることで生まれるものです。このため、些細なことでも欲求を満たすことができないと、そこに不満が生まれてしまいます。

こういったことから、とても小さな欲求であったとしても、それを叶えていくことで人は「平和」な気持ちになるし、そういった積み重ねの果てに、自分にとってのかけがえのない「喜び」が見つかるようになり、個人としての「平和」も見出すことができるようになるでしょう。

自分が満たされると他者に寛容になれる

自分が満たされると他者に寛容になれます。逆に自分が満たされないと他者に対して攻撃的になってしまうものです。もし他者に攻撃的になっていると気づいたら、自分が今満たされていないということでもあるので、自分を喜ばせることをしなければならないでしょう。

そして、自分を喜ばせ続けることができると攻撃性もおさまっていきます。なのでもし、怒りの感情を多く感じているならば、率先して自分を喜ばせることが大切です。そうやって自分を喜ばせていると、次第に「平和」な気持ちになることができるのです。

「意識のマップ」

この表は以前にも紹介した「パワーか、フォースか」の本にある「意識のマップ」のです。この表の「レベル」のにある「平和」と「喜び」は上下に位置しています。このことは、自分を「喜び」で満たすことができると「平和」になるということを意味しているといってもいいでしょう。また、ネガティブな意識である「怒り」も「喜び」の下の方にあるため、自分を喜ばせ続けることができたなら「平和」にたどり着くことができるようになります。

「喜び」で生きるのが新時代のスタンダード

新しい時代は誰もが「喜び」で生きている時代になるといえるでしょう。なぜかというと、人は「喜び」で生きていると、意識が軽くなっていくため、人生が楽しくなっていくからです。

当然、「怒り」の意識よりも「喜び」や「平和」の方が軽い意識であり、そういった意識でないと人生が楽しくなりません。上の「意識のマップ」で見るならば、赤い線より上の意識でいないと人生を楽しむことは難しいかもしれません。

もし、これから先、社会に二極化が起こるのであれば、この表の赤い線を境としたポジティブの社会とネガティブの社会に分かれていくのかもしれません。

二極化が実際に起こると、幸せな人はどんどん幸せになっていくし、そうでない場合は、ますます意識は下降していってしまうように思います。

いずれにせよ、もし意識を上げていくのであれば、「喜び」の意識が不可欠であり、「喜び」そのものをたくさん持っているとそれだけで意識が軽くなり楽しい人生を歩めるようになっていくことでしょう。

といったわけで、少し長くなってきたので、次回は「喜び」で生きるのが新時代のスタンダードということを書いていきたいと思います。どういうことかというと、これからは主体性を持って喜びを選んで生きるのが新しい時代の生き方ということです。そういったことについて書いてみたいと思います。


*こちらは、記事の中で紹介した「パワーか、フォースか」です。読み応え十分の本です。


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