リピートする快感
ネットフリックスでドラマ「ブラッシュアップライフ」(全10話)をいっきに見た。
2023年に日本テレビ系列で放映された連続ドラマだ。
安藤サクラ主演、脚本がバカリズムという一癖も二癖もありそうなドラマなのだが、見始めたら止まらない、とにかくめっぽう面白かった。
安藤サクラ演じる主人公のあーちんこと麻美は若くして事故死するのだが、死後案内所で受付係(バカリズム)から来世は南米のオオアリクイだと告げられ、ショックを受ける。
「いやなら今世を生きなおすこともできますよ」とのこと。
左に行けば来世のドア、右に行けば今世のドアだ。
麻美はもう一度今世の麻美自身に生まれ変わるべく右のドアを開く。
可笑しいのは麻美が前世(正確には一周目の今世)の記憶をすべて持ったまま生まれかわることだ。
だから生まれたときから知能レベルはすでに大人なのだが、周囲に怪しまれないようにその時点の年齢の自分を演じながら成長していく。
麻美は自分自身の一周目の過ちを修正し、周囲の人間に起こる予定の不幸やトラブルを回避するために尽力する。徳を積めば積むほど、来世で人間に生まれ変わる確率が高まるからだ。
一方で、麻美にとってなにより幸せな一周目の経験は、小学生の頃からの親友のなっち(夏帆)、みーぽん(木南晴夏)とともに他愛なく過ごした時間である。その幸せな時間を麻美は慈しむように繰り返す。
一周目の事故死を回避した麻美だが、別の事故でやはり若くして死んでしまう。死後案内所の受付で告げられた来世はまたしても人間でなくて。
そして麻美は三週目、そして四週目の今世を生きなおすことになる……。
気がつくと、そんな破天荒なドラマにすっかりはまってしまっていた。
はまりながら、ふと考えた。
このドラマのいったい何がこんなにも楽しく、面白いのだろうか?
なんとなく出てきた結論は「繰り返す」ことの快感ではなかろうか、というものだ。
麻美は生きなおすたびに同じ場面に遭遇し、同じ問題に対処すべく奮闘する。そして視聴者も麻美とともにその同じ状況を何度も追体験する。
そんな単純な繰り返しに、なぜか胸がしめつけられるような「いとおしさ」を感じるのだ。
「同じ状況を繰り返す」と言っても、周回を重ねるごとに麻美の人生は様々に変化する。
たとえば麻美の職業は生まれかわるたびに変わる。また、人間関係(特に友人関係)も微妙に変化していく。
しかし、大筋としては同じ人生である。なによりも麻美自身の気持ちはずっと変わることがない。だから本人は人生を百何十年も生きているような気持になる。
もちろん、同じことを繰り返す麻美の人生に「いとおしさ」を感じるのは、このドラマが平凡ではあるが幸せな日常を描いたコメディであるからだ。
たえがたい苦痛や悲しみが何度も繰り返されるドラマなど、とても見ていられないだろう。
いわば予定調和の世界における「繰り返し」の快感であることは間違いない。
いずれにしても不可解だ。
「些細な生活の断片が繰り返されるということ」「それを主人公とともに追体験すること」、それだけのことに、なぜこれほどにも切ないいとおしさを覚えるのだろうか?
無理やり説明しようと思えば、できないことはない。
人はだれもが一回限りの人生という「有限の時間の枠」に閉じ込められている。麻美はその枠を超えて同じ時間を何度も生きる。そこに有限の時間からの解放という人間の夢が実現される喜び、快感が生まれるのだ。
たとえばそんな解釈が可能であるかもしれない。
しかし、現実にこのドラマを味わう心地よさの前では、そんな解釈の当否などどうでもいいような気もする。
むしろ、この短い文章では、ただ「リピートする快感」という「秘密」の発見にとどめておきたい。
*
さて、連続ドラマの放映期間は通常三カ月。回数で10回程度でしかない。いつまでもループを繰り返すわけにもいかない。
「ブラッシュアップライフ」はドラマの終盤で劇的な展開を迎える。
今世を繰り返し生きる麻美は大きな問題に直面してしまうのだ。
そして麻美にとっての今世の最終周、彼女は同志のまりりん(水川あさみ)とともにその「大問題」に敢然と立ち向かう。
「よりよい来世のためでなく、よりよい今世のために」力を合わせて闘う二人の姿は、特に麻美の奮闘ぶりは、なんとカッコいいことか!
最後まで面白さが持続する連続ドラマはめったにないものだが、このドラマは最終回まで十分に見ごたえがあった。
バカリズム(脚本)と安藤サクラ(主演)のタッグは、まさに「最強のふたり」というしかない。
※タイトル画像はなるみさんからお借りしました。ありがとうございました。
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