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てんかん月間に寄せて

唐突だが、十月は「てんかん月間」だ。
そのことを、実はつい最近、日本てんかん協会事務局長の田所裕二氏のコラム記事(『日本経済新聞』10月26日付)を読むまで知らなかった。
自分自身がてんかん患者であるにもかかわらず……。

私がてんかんを発症してから、もう六年ほどになる。
正確には、発症が判明したのが六年ほど前で、兆候はそれより前からあった。
その日、私は風邪気味だったため、残業を早めに切り上げて職場から帰宅した。自宅マンションのエントランスを通過したことは覚えていた。その直後に意識を失って倒れた(らしい)。
気が付いたのは、救急車で新橋の慈恵医大病院に搬送された後だった。
前のめりに倒れて顔面を強打していたが、けが自体は大したことはなかった。
ただ、その日の検査では意識を失った原因が分からず、後日、別の病院の精密検査で「てんかん」であると判明した。

「てんかん」という病気は説明が難しく、私自身、周囲に上手く説明できずにいたのだけれど、田所氏の記事の冒頭にある以下の説明は、たいへん簡潔で分かりやすい。

脳では微弱な電気が流れ、身体を動かす指令が出ている。電気が突然大量に流れ、脳の機能が一時的にまひする。この症状を繰り返す病気がてんかんだ。

私の診断結果は「側頭葉てんかん」だった。
側頭葉は、人間の脳の中で記憶や言語をつかさどる部分とされる。
このため、側頭葉てんかんの症状として、言語障害や記憶障害が現れる。

私の場合は、発症判明以前から、短期的な記憶の欠落といった症状がみられた。例えば、前日に行った仕事の打合せの内容を忘れてしまうというものである。
欠落してしまう記憶がかなり過去の出来事の内容にさかのぼることもある。
また、朝起きたときに「あれ今日は何曜日だっけ?」としばらく思い出せないこともあった。
これらの症状は、治療を開始してからは改善している。

「ことば」については、モノや人の名前がなかなか出てこないことがしばしばだ(ただし、これは老化現象のためと半々だろう)。
少し混み入った話をするときは、簡単なスピーチ程度であっても、あらかじめ原稿を書いたり、予行演習をしないと上手くできない。
もともと人前で話すことが苦手な性格であるが、病気のせいで、さらに輪をかけて口下手になった気がする。

もっとも、日常生活をおくる上では、ほとんど何の支障もない。
現在、定期的に都内のてんかん専門の診療所に通院し、四種類の薬を処方され、毎日服用しているが、おかげで、六年前の大きな事故以来、自覚しうる限り、これといった発作は起きていない。
私の主治医は非常に優秀な「てんかんの権威」なので、おそらく絶妙なさじ加減で最適な薬を処方してくれているのだと思う。

主治医の先生からは、側頭葉てんかんという病気の性質上、日常的な心構えとして、なるべく文章を読んだり、日記を書いたりするように勧められている。(先生によれば、「書く」行為については、特に「手書き」が有効だそうだ。)
このため、新聞は毎日かなり時間をかけて読む。一度読んでも文章の内容が頭にすんなりと入らないことがしばしばあるので、二度三度と読む。
また、手帳に記す日記代わりのメモは、あえて翌日に、前日あったことを思い出しながら書くようにしている。

note への投稿も、私にとっては、記憶を定着させ、言語感覚を健康に保っていくための作業でもあるのです。これからも、投稿を続けていきます。

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