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孤独な男の話

その男が元首相を狙撃したのは、決して、恨みや憎しみからではなかった。

むしろ、男は、元首相をある程度評価もし、尊敬もしていた。ひょっとしたら愛していたかもしれない。
男が元首相の遊説先にたびたび現れたのも、半ばファン心理のようなものがはたらいていたと言えなくもない。

男は孤独だった。

孤独の中で怒りを増幅させ、攻撃的な想念を際限なく膨らませていった。
その怒りと報復の対象は、当然ながら元首相などではなかった。
その矛先は、まぎれもなく、彼の家庭を崩壊させ、理不尽にも彼の人生を滅茶滅茶にした教団に向けられたものだった。

男は同時に冷静でもあった。
どのような打撃を加えれば、教団に最も致命的なダメージを与えられるかを冷静に検討した。その結果、男は元首相を殺害するという使命を自らに課した。
元首相の非業の死は、国内のみならず世界中を震撼させ、とてつもなく大きな注目を惹きつけることになるだろう。
同時に、男の真の意図、真の攻撃目標が明らかにされる。
そのときこそ、教団の悪逆非道、無法の限りの実態が白日の下にさらされるのだ。

元首相が標的にされた理由は、実はそれだけではなかった。

もとより、男は自分の生命と引き換えに、教団を告発しようとした。
この先の自分の人生にはなにひとつ未練などなかった。
しかし、孤独な男は、ひとりで往くことが堪え難かった。道連れが欲しかった。
不幸にも、その道連れに選ばれたのが元首相であったのだ。

おそらく男は、白昼堂々、元首相の殺害を成し遂げ、同時にその場で射殺されることを願っていたのではないだろうか。
そのためにも、SPや警護要員に囲まれた元首相を標的にすることは好都合であった。
男が死んでも、彼の自宅のPCに残された犯行声明がすべてを物語るだろう。

詰まるところ、男のねらいは、元首相と心中する形で、教団と刺し違えることであったのだ。

もちろん、厳重な警護のすきをついて、犯行を成就させるには高いハードルを越えなければならない。
そのために、男は周到に計画を練り、持てる能力と資金のすべてを準備に費やした。手製の武器をいくつも試作し、実地にその性能を確かめ、実行の機会をうかがった。
そのような作業に没頭していた日々は、ひょっとしたら、彼の人生の中で、もっとも充実した、生の実感に満ちた、幸福な日々であったのかもしれない。

男は、ねらいどおりに元首相を殺害し、それから連日のように教団の話題がマスコミをにぎわすことになった。男は首尾よく目的を果たしたのだ。

男にとって唯一の誤算は、その一瞬の栄光の中で、元首相とともに華々しく散ることができなかったことだ。

世界には、戦争、疫病、内紛、インフレ、経済格差、分断、異常気象、環境破壊、エネルギー危機、食糧危機等々、問題があふれかえっている。
飽きっぽい世間の関心をとらえようと、マスコミもSNSも、次から次へと新たなニュースや話題の発掘・提供に余念がなく、世間もそれに乗り遅れまいと飛びついていく。
中途半端に暴かれかけた教団の闇も、やがてうやむやになっていくのだろう。

いま、男の胸中には達成感などみじんもない。
ただ、おおきな穴だけがぽっかりと空いている。

孤独な男は、死ぬこともできず、孤独なまま生き残っている。

(この話はフィクションです。)

※  LayersによるPixabayからの画像を使用


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