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小林秀雄『ドストエフスキイの生活』(1)

小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』(新潮文庫版)を読んだ。
ドストエフスキー(1821-1881)の伝記を読んだのは初めてではないが、本書が衝撃的であったのは、この世界的な大文豪の「異常な人間性」を大胆に俎上に載せていることだ。ここでは、本書に基づき、そのようなドストエフスキーの異常性を二回に分けて取り上げる。

ドストエフスキーは処女作『貧しき人々』(1845)の成功により一夜にしてペテルブルクの文壇の寵児となった。小林は、そんな若き日の文豪の様子を物語る同時代人の回想をいくつか引用している。それらの中から、非常に興味深い文章の一節を以下に抜粋する。

「或る夜、ドストエフスキイが、ネクラアソフとグリゴロヴィッチと一緒にやって来た。極端に神経質な感じ易い人である事は一と目でわかった。痩せて、背は低く、髪はブロンドで病身らしい様子だった。灰色の小さな眼を不安そうにあちらこちらに走らせ、蒼白い唇は妙にひきつっていた。居合わせたものは大概もう彼に面識のある人達だったが、彼は明らかに窮屈そうな様子で、会話には加わらなかった。どうかしてくつろがそうとして皆んなしてやってみたが無駄だった。その後、夜、度々訪ねてくるようになってから、意地の悪い、しつこく人を困らせる人だという事がわかって来た。誰彼となく議論をはじめて、ただもう強情に相手にさからった。若さと神経質との為に彼は自分を持て扱い兼ねていた。彼は自分の才能を買被り、これ見よがしの有様だった。はじめて足を踏入れた文学界での、思い掛けない花々しい成功に呆気にとられ、お歴々の賞賛に圧し潰され、他の新人達より自分は偉いのだという自尊心が、彼には隠し切れなかったのである。若い作家達が、この集会にやって来るが、そういう人達のお笑い草になる人は不幸な人だ。ドストエフスキイの気難しさと尊大な調子は、からかわれるお誂え向きの機会を提供したようなものである。人々は早速彼をいじめ始めた。彼の自尊心を針でチクリチクリとやる。この道にかけてはツルゲネフは大家で、ただドストエフスキイを怒らせるのが目的で彼と議論した。ドストエフスキイがわれを忘れて言い出す馬鹿げた意見を拾いあげてはツルゲネフがからかうと、ドストエフスキイは怒って夢中になって弁解する。……」(パナエフ夫人「文学の思い出」1889年)

ドストエフスキーとツルゲーネフの不和は有名な話だが、その確執の根は非常に早くからあったようだ(もっとも、ツルゲーネフの方にはさほど悪意はなかったのかもしれない)。
いずれにしても、華々しく文壇にデビューした若きドストエフスキーは、その過剰な自尊心と神経質な性格が災いして、社交能力の欠如を露呈したことが伺われる。

本書で引用される同時代人の証言の中から、もう一か所紹介したい。以下は、ドストエフスキーが生前発行した雑誌の協力者であり、寄稿者でもあったストラーホフがトルストイに宛てた手紙からの抜粋である。

「……ドストエフスキイは、意地の悪い、嫉妬深い、癖の悪い男でした。苛立たしい興奮のうちに一生を過して了ったと思えば、滑稽でもあり憐れでもあるが、あの意地の悪さと悧巧さとを思えば、その気にもなれません。(中略)スイスにいた時、私は、彼が、下男を虐待する様を、眼のあたりに見ましたが、下男は堪えかねて、『私だって人間だ』と大声を出しました。(中略)これと似た様な場面は、絶えず繰返されました。それというのも、彼には自分の意地の悪さを抑えつける力がなかったからです。彼は、まるで女の様に、突然見当外れな事をしまりなく喋り出す、そういう時には、私はたいてい黙っていましたが、ひどく面罵してやった事も二度ほどあります。そういう次第ですから、何んの悪意もない相手を、怒らせて了う様な事も無論幾度もありました。一番やりきれないのは、彼がそういう事を自ら楽しんでいたし、人を嘲っても、決して終いまで言い切らなかった事です。彼は好んで下劣な行為をしては、人に自慢しました。或る日、ヴィスコヴァトフが来て話した事ですが、或る女の家庭教師の手引きで、或る少女に浴室で暴行を加えた話を、彼に自慢そうに語ったそうです。動物の様な肉慾を持ち乍ら、女の美に関して、彼が何んの趣味も感情も持っていなかった事にご注意願いたい。彼の小説を読めば解る事です。作中人物で彼に一番近い人物は、『地下室の手記』の主人公、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『悪霊』のスタヴロオギンです。……」 (1883年11月)

苛烈な引用はさらに続いている。もちろん、これらの同時代人の回想は主観的なものであり、伝聞も含まれていて、真偽のほどは必ずしも証明されていないが、幾分割り引いたとしても、単に社交性の欠如では済まされないドストエフスキーの「歪んだ人間性」を疑う根拠は十分と言えそうだ。

小林も、「これを書いた人間(ストラーホフ)は、この小説家の臨終を看取るまで、二十年間のドストエフスキイの友であった事を思う時、誰の心のうちにも、冷たい風が通るであろう。」と記している。(続く)

                             

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