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ドストエフスキーのメシア思想―『作家の日記』より⑤―

相変わらず、岩波文庫の『作家の日記』を読んでいる。
例によって、くどくどとした読みづらい文章を、幾度も襲ってくる睡魔と闘いながらゆっくりと読み進めている。
すると、第二巻の末尾近くに至って、突然、前々回の投稿からの懸案に対する答えが眼前に現れた。

その「懸案」とは、何かというと……
ドストエフスキーは、『作家の日記』一八七六年二月号の文章で独自の民衆論を展開し、「ロシアの知識階級は民衆の前に跪拝して、民衆の真理を自分たちの真理と認めなければならない、ただし民衆の側も知識階級がもたらす「あるもの」を受け取らねばならない」というような趣旨を述べた。
しかし、その「あるもの」の正体が明かされないまま残された。
同じく四月号で、ドストエフスキーは自分の主張が「あいまい」であったことを認め、「民衆が必然的に受け取らなければならない知識階級からの貴重な贈り物とは、何を意味するか?」という「問い」を自ら立てて見せた。
にもかかわらず、「問い」に対する「答え」は、またしても先送りされた。

ところが、一八七六年六月号で、ドストエフスキーは、ジョルジュ・サンドの訃報、ロシアにおける西欧主義の本質、セルビアとトルコの紛争等について論じた後に、「歴史のユートピア的解釈」と題する文章でこの問題を唐突に取り上げ、ついに三度目で「答え」を明らかにする(岩波文庫版『作家の日記』(二)、一八七六年六月第二章)。

長くなるが冒頭から引用しよう。

 ピョートル一世以後の百五十年間、われわれはただあらゆる種類の人文と交流し、その歴史その理想に親炙(しんしゃ)するのをこれ事としてきた。われわれはフランス人、ドイツ人、その他あらゆる国民を、あたかもわが同胞ででもあるかのように愛することを学び、かつみずからを教養してきた。彼らの方ではかつてわれわれを愛したことがないのみか、今後も決して愛すまいと決心しているにもかかわらず、である。しかし、この中にこそ、ピョートル大帝の全事蹟たるわがロシヤの改革が存するのである。われわれは百五十年の間にその中から、おそらくは世界をつうじて、古今いかなる国民にもかつてなかった、視野の拡大という結果を獲得したのである。ピョートル前期のロシヤは、政治的にはきわめて徐々に形成されたとはいえ、活動的であり強固であった。みずから統一体を樹立して、辺彊(へんきょう)を固める準備をしていた。しかも、世界にまたとない宝である正教を内部に蔵していることをひそかに意識し、われこそはキリストの真理、それこそまぎれのない真理、他のあらゆる信仰、あらゆる国民においても、おぼろになってしまった真のキリストの姿の保持者であると心得ていた。この宝は、ロシヤにのみ固有であり、ロシヤに保存を委ねられたこの永遠の真理は、当時のすぐれたロシヤ人の見解によれば、あたかも他のいっさいの文明開化に浴する義務から、彼らの良心を解放してくれたような形であった。それどころか、モスクワでは、すべてこれ以上ヨーロッパとの交渉を深入りさせることは、ロシヤの知性と理念にむしろ有害な、頽廃的影響をおよぼし、正教そのものを歪曲し、ロシヤを「他の諸民族の轍(てつ)をふんで」滅亡の途に導くものである、という見解をいだくまでにおよんだほどである。かくして、古代のロシヤは、その鎖国状態にあって、正しからざるものになろうと覚悟していた、――あたかも、人と同じ器からはものを食べようとせず、おのおのが自分の茶碗と匙(さじ)を持つことを、神聖なりと考えているある分離派教徒のように、自己の宝である正教を無為のままにおのれのかたわらに引き据えておいて、ヨーロッパつまり人類から絶縁して閉じこもろうと決心し、人類に対し正しからざるものになろうと覚悟した次第である。この比較は正しい。なぜなら、ピョートル即位前のわが国には、ヨーロッパに対してほとんどまったくこれと同じ政治的・精神的態度が、鍛えあげられていたからである。ピョートルの改革とともに、比類なき視野の拡大が招来された。繰り返していうが、この中にこそピョートルの全業蹟はあったのである。またこれこそ、私が『日記』の既刊号の一つですでに述べたかの宝なのである。この宝をばわれわれロシヤ文化の上層が、百五十年もロシヤを留守にしたあとで、民衆にもたらそうとしているのであり、民衆もまた、われわれがみずから民衆の正義の前に跪拝した後 Sine qua non(必須条件として)これをわれわれから受け取らねばならぬのである。「これなくしては、二つの層の結合は不可能となり、いっさいが滅びてしまうであろう。」(米川正夫訳、太字は本文では傍点。以下同じ。なお「親炙(しんしゃ)」とは「親しく接して感化を受ける」ことを意味する。)

ごく簡単に端折るならば、
ピョートル大帝以前のロシアは、ロシア正教という固有の、かつ絶対的な価値観を共有する充足した統一体であった。ピョートル大帝の改革とともに、ロシアの知識階級は、ヨーロッパ文明や西洋の価値観を積極的に吸収することによって、きわめて広い視野と教養を獲得するという成果を得たが、一方で、伝統的なロシアの価値観に根差した民衆からは遊離してしまった……ということであるらしい。

そして、ロシアの知識階級と民衆という二つの階層があらためて結合する必須条件として、民衆が知識階級から受け取らねばならぬ贈物の正体は「視野の拡大」という言葉で定義された

しかし、このような一見「単純な」答えを、なぜ読者は何か月も待たねばならなかったのだろうか? ドストエフスキー自身が、自らの解釈にとって最も適切な表現に到達するまでに、それだけの時間を要したということなのだろうか?
そもそも「視野の拡大」とは、具体的に何を意味するのか? それは、どのような(かつて作者自身が形容したような)「姿や、形や、重み」を備えているのだろうか?

ドストエフスキーは、上記の引用に続いて、次のように説明する。

 しからば、この「視野の拡大」とははたしてなんであるか、那辺に存し、何を意味するものであるか?(中略)これは真に、まことに、一世紀半にわたる彼らとの交流によって、われわれが身をもって得たところのもの、すなわち他国民に対する同胞的な愛情である。これは時として、最も身に近い自己の大利益を犠牲にしてまで遂げようとする、われわれの人類に対する一般奉仕の要求である。これは、彼らの文明に対するわれわれの和議であり、彼我の間に融和は欠けていたが、彼らの理想を認識し、寛恕することである。これはまた、ヨーロッパ文明のおのおののうちに、――もっと正確に言えば、――ヨーロッパの人格のおのおののうちに、同意できない点が多々あるにもかかわらず、その中に含まれている真理を開発し発見する能力、われわれが体験によって得た能力である。最後にこれは、なによりもまず正義派であろうとする要求、真理のみを探究せんとする要求である。一言にしてつくせば、これはおそらく、われらの宝である正教を人類への奉仕に適用する手はじめであり、第一歩である。これこそ、正教にあらかじめ予定されていた使命であって、まぎれもなくその真の本質をなしているところのものである。かくして、ピョートルの改革を通じて旧来のわが思想、ロシヤのモスクワ的理念の拡大が行われ、その増大し強化された理解が得られたのである。われわれはそれによって、ロシヤの全世界的使命を認識し、人類の一員としてのわが人格と役割を自覚したうえに、この使命と役割が他国民のそれと、似ても似つかぬものであることを認めざるを得なかった。なぜなら、かの地におけるおのおのの国民的人格は、ただ自己のために、おのれの内部に閉じこもって生きているのに反して、われわれは時節到来した今日の日から手はじめとして、全世界的和解のために、万人のしもべとなろうとしているのである。これは決して恥ずべきことではないどころか、人類の最後的一致団結へ導くものであるがゆえに、かえってこの中にこそ、われらの偉大さが含まれているのである。神のみ国において最高の位置を欲するものは、――まず万人のしもべとなれ。私は理想としてのロシヤの使命を、かく解するものである。

「視野の拡大」とは、かなり幅広い多義的な表現であるようだ。
それが意味するものは、ヨーロッパ諸国民に対する同胞愛であり、人類に対する奉仕の努めであり、ヨーロッパ文明を部分的に学び獲得する能力であり、正義を重んじ真理を追究する姿勢である。
たしかに、これだけ幅広い漠然とした内容であれば、最適な表現を見出すことは困難であったかもしれない。

しかし、とくに大事なのは、それらの、ロシア国民が全体として受け取るべき贈物が、「正教を人類への奉仕に適用する手はじめであり、第一歩」であるとされていることであろう。つまり、「視野の拡大」という言葉でくくられた諸々の活動や能力や心構えは、ロシア正教の教義や理念によって貫かれたものだ、ということである。

ドストエフスキーは、さらに、ピョートルの改革を通じて、ロシアの「旧来の思想」、「モスクワ的理念」が拡大されたと述べている。それらは、言うまでもなく正教の理念そのものであろう。

以下は、筆者の恣意的な解釈かもしれないが……
ピョートルの改革とともに招来された「比類なき視野の拡大」(という表現でドストエフスキーが意味したもの)とは、西洋への窓(ペテルブルグ)からヨーロッパへと出て行ったロシアの知識階級が、逆に外側から窓の中を覗き見ることによってロシアの価値を再発見したという体験そのものだったのではないか?

そうであるとすれば、民衆が知識階級から「視野の拡大」を受け取るということは、民衆もそのような「価値の再発見」を共有するということである。
それは、おそらく「ロシアに固有の正教の理念は、単にロシアの内部における正義にとどまるものではなく、むしろ、人類的・普遍的な価値を有するものである」という認識を共有することであり、正教が人類に対して果たすべき使命のより高い自覚を獲得することを意味するのだろう。

ドストエフスキーは、そのような認識や自覚の共有こそが、ロシアの知識階級と民衆との結合を可能とし、ロシアが全世界に対して果たすべき使命を成就させるものであると考えていたのではないだろうか?

そうした解釈の妥当性はともかく、いずれにしても、上に引用した文章には、ドストエフスキーのロシア選民意識、あるいはロシアメシアニズムともいうべき強固な信念が色濃く反映されている。
そして、そのような信念の中心には、言うまでもなくロシアが民族として保持している正教がある。

ドストエフスキーにとって、正教がヨーロッパ諸国のキリスト教(ローマ・カトリックあるいはプロテスタント)に対して絶対的に優位に立つものであったことは間違いない。
では、正教の宗教的な優位性の根拠とは果たして何であろうか?
「まぎれのないキリストの真理」、そして「真のキリストの姿」を保持するとは、一体どういうことなのか?

その答えは、ドストエフスキーの小説作品に求められるかもしれない。
例えば、『白痴』でムイシュキン公爵が熱弁するカトリック批判、あるいは『カラマーゾフの兄弟』のイワンによる叙事詩「大審問官」との関連が即座に思い起こされる。

しかし、ドストエフスキーの真意を何よりも確かに伝えるものは、彼自身の肉声である『作家の日記』に他ならないであろう。
私の前には、未だ『作家の日記』四巻分がまったく手つかずのまま残されている。
ドストエフスキーにとって正教が絶対的に優位であることの根拠、その手掛かりは、それらの未読の文章の中に潜んでいるのではないだろうか。

引き続き、じっくりと『作家の日記』に取り組んでいくこととしよう。

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