見出し画像

還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ62 

人生は誰と出逢うかで決まる!

 スクールLineのチエからの投稿をチェックしている。タイトルはユリとシゲの帰国についてというもので今日の深夜便でユリが帰国し、明日の深夜便でシゲが帰国するので、両日スクールの前に夜9時に集合してタクシーで空港に向かう彼らを見送ろうという内容だった。

スクールLineは、その投稿へのメンバーによる私とユリへの書き込みであふれた。マサシやショウコはシゲのお陰でウクレレと出会えたことで今後の人生の目標を見つけることが出来、ユリには起業するきっかけを作って貰えたことに感謝していると書き込んだ。

ケンは私が代官との食事会に誘った事とマサシと引き合わせた事に感謝しているという趣旨の書き込みをしてくれた。

ケンは二人に会えたことで目の前の霧が晴れたとも書き込んでいた。私がどういうことかと質問したら。

彼が大学を卒業して入社した会社はテレビで盛大にコマーシャルをしている不動産会社だった。

その会社は上場企業で初任給も高いために学生に人気があり、面接では外国人向けシェアハウスやコンセプト賃貸など新しい住まいの在り方を通して社会に貢献して行くための人材が欲しいというアナウンスがあり、彼自身もそんな形で社会の役に立ちたいという思いを強くしてその会社を第一志望にし、見事に狭き門を突破して入社し両親も一流企業に入社したことを大変喜んでくれた。

しかし入社してみてすぐに仕事の内容に日々ストレスを感じるようになった。

それというのも彼は管理部に配属されたが日々の仕事は、家賃の督促とくそくと入居者からのクレーム処理だったからだ。

同期で営業部に配属された仲間は、毎日飛び込みで地主の家を訪問して賃貸住宅を販売する仕事をしていた。

営業部に配属された同期は1年もしないうちにほとんどが退職してしまった。その理由は契約が取れない事と契約がとれて工事が始まると今度は地主さんから施工が悪いためのクレーム対応をしなければならなかったからだ。

コマーシャルではカスタマーファーストを謳っていながら実態は全く違って利益第一主義であり社員も使い捨てというありさまだった。

そんなことに嫌気がさして彼も入社5年後に退職した。そして得意の英語を活かして外資系の一流企業に転職をするためにはTOIECのスコアアップが必須だと考えてこちらに来た。

しかし代官と話をしたこととマサシの仕事を手伝ったことで、一流企業に勤めることよりもやりがいの方がもっと大事だと気づかされたというものだった。
そして、シゲキの一言「人生は誰と出逢うかで決まる」という言葉を今噛みしめています。という内容だった。

チエはユリと出会い一緒に英会話料理教室に参加したことで帰国する楽しみが出来た。日本での生活は娘夫婦が良くしてくれることで何不自由なく暮らせていたが、彼女としては何の役割もなかったので正直居心地の悪さを感じていた。

しかし料理の楽しみを知ったことで日本でも料理教室に通って、娘夫婦の為に毎日食事を作りたいと思えるようになった。

そしてシゲと亡くなった主人とかぶる部分があって嬉しかったです。勿論、主人の方がイケメンでしたけどね。うふふっ。

主人は公務員で定時に家を出て定時に帰宅するという毎日。それというのも主人は人付き合いが苦手で酒もたばこもやらずに読書だけが趣味という人でした。

そんな主人が一人娘の就職を契機に「自分の生き方は、本当にこれで良かったのだろうか」「もっと違う人生があったはずだ」「これから一体どのように生きていけばよいのか」という言葉を口にするようになりました。

あの頃は定年後の人生について悩んでいた時期でもあり、今でいうところのミッドライフ・クライシスだったのかもしれません。

その中で主人が見つけた答えが「定年したら語学留学をして英語を話せるようになり東京オリンピック2020でボランティアをする」でしたので、私はびっくりしましたよ。

何故って主人は飛行機が嫌いだったので二人で旅行するときは常に電車を利用していましたから。しかしそれからはコツコツと英語の勉強をしていましたので本気だったようです。

出来れば私も主人と一緒にこちらに来て英会話を勉強して、オリンピックで活き活きとボランティアとして主人が外国人の方々と話をしている姿を観たかったです。

しかしその夢は病気の為に断たれてしまったけれど私が主人の意思を継いでボランティアをやるつもりです。その時は写真を胸に入れて主人と一緒に精一杯楽しむつもりですわよ。

シゲも東京オリンピックの都市ボランティアを楽しんでくださいね。シゲと出逢えて本当に良かった。そして、ウクレレのイベントに参加したことは一生の思い出になりました。と書き込んだ。

ユリはチエと一緒で私も楽しかったよ。東京オリンピックの都市ボランティアを楽しんでね。帰国後もウクレレを一緒に楽しみましょう。Keep in touch!!と投稿した。

チエもウクレレを一緒に楽しみながら高齢者施設への慰問もやりたいね。ユリこれからも連絡を取り合いましょうねと書き込んだ。

世界の松下ことマッキは、二人のお陰で楽しく過ごすことが出来ました。そして、私は娘のトランスジェンダーの事やこれからの人生について妻をこちらに呼んで話し合うために予定を変更してしばらくこちらに滞在することにしました。

必ず日本で同窓会をやりましょうと書き込みをした。

そのようなスクールlineを読んで書き込みをしようとしている時に、代官からlineが入った。

内容はシゲさんの帰国予定は変更ないですか?僕は仕事の引継ぎでマニラに行くので、あなたの便に合わせて航空券を手配したから成田で会いましょう。というものだった。

それに対して私は変更ありません。という内容と一緒に2月19日(火)深夜便のマニラ空港発で20日早朝に到着予定の帰路の航空券を写メしてlineに投稿した。

シゲにあえてよかったわ「ありがとう」

 食堂に入る前に洗濯置き場に目をやると私の名前とありがとうと書いてあるビニール袋が仕上がった方の棚に置いてあった。

食堂内を見渡すと高齢者テーブルにはチエとユリが既に座って話し込んでいた。私は二人にこんばんはと小さく声を掛けてテーブルにリュックを置いてビュッフェ形式の列に並んだ。

今日もおいしそうな日本食がそろっていて食欲をそそる。トレーに焼き魚や肉野菜炒めやみそ汁とご飯と果物までどっさりと盛り付けて慎重に運んで高齢者テーブルの椅子に腰かけた。

そしていつものように写真を撮ってlineで連れ合いに、こちらで食べる夕食は後2回ですとコメントをつけて投稿した。

彼女からは明後日は成田まで迎えに行きますからお土産はドライマンゴーをお願いしますという書き込みがあった。

彼女は私や子供達が遊びや旅行に行くと何時も〇〇というお店で〇〇を買ってきてという具体的なオーダーをしてくる。

私が上野駅近くで落語を聴いてくるというと、それなら帰りに老舗和菓子店のうさぎやでどら焼きを買ってきてといった具合だ。

お店は上野駅から近いのかと思いきや隣の駅の御徒町おかちまち駅から徒歩5分ぐらいのところにあり、途中の交番で道を聞いてやっとたどり着けたと思ったら、そこから随分ならばされてようやく買うことが出来たという辛い記憶が残っている。

それでも帰宅して食べてみたら本当においしかったし家族が喜んでくれたので報われた気がした。そしてその後何度かお客様への手土産として利用させてもらっているので、良いお店を教えてくれたことに感謝している。

そのように考えてみるとこういうのも彼女の気遣いなのだろう。

そしてlineにはお土産の注文と共に愛犬ソックスがモリモリ食べている動画とへそ天で寝ている写真を投稿してくれた。それをみて思わず可愛い~とつぶやいてしまった。

この一か月を通してホームシックにはならなかったがソックスに会いたい、早く帰国してソックスの臭いを嗅ぎながらむぎゅっとしたい。

そんな事を考えながら自分の世界に入り込んでいるところに、ユリから声を掛けられた。

ユ:「シゲと出会えてよかったわ。イベントもマックでのチャレンジも楽しかったわ。ありがとう。お世話になりました。私は今日帰国するけどまた会いましょうね。」

鍵:「色々あって楽しかったね。こちらこそありがとう。」

チ:「私も二人に逢えて良かったですわ。ありがとう。」

鍵:「タクシーは9時だったよね。見送りに行くから。」

そんな簡単な挨拶だけを交わして私は靴を履いて洗濯物を持って部屋に戻った。私は今まで何度か別れの時を経験しているがどうしてもそのような場面が苦手で、適当な言葉が思い浮かばないので無口になってしまう傾向がある。

部屋に戻って準備ノートを見ながら明日の計画をチェックしている。朝食をスクールで食べてからいつもの公園でウクレレの練習をする。

ユリを見送り

① モールで今持っているソプラノよりも一回り大きなコンサートサイズのウクレレで単板の物。

② コンサートウクレレがすっぽり入る大きなショルダーバッグ。

③ 地元の人にお勧めの土産を教えて貰う。

④ 店員に相談してみて孫娘へのお土産。

などと書き込んでいるうちにユリを見送くる時間となり、スクールの門の前まで来たらユリもチエもすでに来ていてマッキがユリのキャリーバッグを手に持って3人で話をしていた。

私は3人に軽く挨拶をしてタクシーが来るまでたわいのない話に加わって、タクシーを待っていた。スクールのスタッフとしてはマンゴウだけだった。

それから数分ほどでタクシーが我々の前に停まりユリが乗り込んで後部座席から手を振りながら空港に向かって走って行った。

ユリの目にはほんの少し光るものが見えた。

マッキとチエもハンカチで目頭を押さえていた。私は込み上げてくる感情を押さえながら「おやすみなさい」とだけ言って自分の部屋に戻った。

誰だって順風満帆に生きてきたわけではない

 いよいよこのスクールでの一か月間も今日が最終日だ。何人かが見送りに来てくれるというが出来れば見送って欲しくないという思いが強い。

何故って皆から見送られてやさしい言葉を掛けられたら不覚にも感極まって泣いちゃうかもしれないからだ。

それにしてもこちらで過ごした1か月間は、英会話の勉強以外にも貴重な経験をすることが出来た。それは同年代の人達の人生に触れることが出来たことが大きい。

誰だって順風満帆に生きてきたわけではない、人生の帰路で立ち止まり苦悩しながらどちらかの道を選択してきて今を生きている。

あの時違う方の道を選んでいたらどうなっていたのかなどと思い悩むことも誰だってある。

そんなことをベッドに仰向けになって両手の指を絡めてそれを手枕にしながら考えていたら、自分自身の人生の最大の帰路についての記憶がよみがえってきた。

それは7年ほど前に30年以上務めた会社を退職した時の一場面で、同僚達が腕のアーチを作ってくれて花束を抱えた私が一人一人にお礼を言いながらくぐって行く光景だ。

最初は笑っていられたが最後の方は胸が震えて涙をこらえきれなくなってしまった。

それというのもあの頃は起業するわくわく感と安定した生活を手放して未知の世界へチャレンジする不安感にさいなまれていたからだった。

頭には起業することを告げた時の妻の不安を隠すような作り笑顔と、「はい!全力で応援しますといってくれた場面」が浮かんでいた。

多分妻は私よりも不安だったに違いない。

最後に皆さんに一礼して総務課が用意してくれたタクシーに乗り込んだ。自宅に向かって出発する時にも多くの同僚が手を振って見送ってくれたのをみてまた涙があふれた。

その後はタクシーの中で40分ほどの間入社から今までのいくつかの場面が走馬灯のように浮かんでは消えた。

そして初出社当日に着ていたスーツの柄とネクタイ及び皆さんの前で挨拶した内容まで37年前なのに鮮明に思い出していた。

そして一番うれしかった場面として1棟目の請負住宅の契約の場面を思い出していた。

それは私がキャリア入社であり新卒社員よりも少しは社会人経験があるから仕事で負けるわけにはいかないという強い思いがあったからだ。

先輩達や上司の全面的なバックアップをいただき、同期入社の社員よりも早く最初の契約が出来たことでの達成感もあった。

お客様ご夫婦にとっても住宅は大きな買い物なので、お二人とも少し緊張した顔でテーブルの向かい側に座っている。

私の隣には上司が座っている。当然私も緊張は最高潮に達していただろう。請負契約書を読む練習は何度もしたのに何度も詰まってしまった。

勿論その時のお客様のお名前と上司の名前それにその日着ていた私のスーツの柄まで鮮明に思い出していた。

そしてそれはこれでこの会社でやっていけるということを確信できた瞬間だった。その後300棟以上の建築のお手伝いをさせていただいた。我ながらよく頑張ったと思っている。

それでも起業を思い立ったのは55歳になって会社から定年後の人生を考えてくださいというテーマの勉強会を受講してからだった。

説明の内容は定年後の生きがい探しと年金の受給額及び退職金の額並びに早期退職制度についてであった。

そしてその頃成人病検診で前立腺のがんの疑いがあるということで入院して生体検査を受けたことも起業に向けて背中を押してくれた。

「がん」でなければ挑戦してみようと決心した。

それは病院のベッドで天井を見ながら病気に対する不安を感じながら、これからの人生について考えながら「このままこの会社に定年までいて後悔しないか?」「いまやりたい事をやれているか?」と何度も自問自答し、やっぱり早期退職してでも自分がどうしてもやりたい事をしたいという決心をした時の多床室の様子も鮮明に思い出していた。

タクシーが自宅に着くと妻がお父さんご苦労さんと迎えてくれたのを見てこれからも家族の為に精一杯頑張らなければという思いが込み上げてきたのを覚えている。

今では起業したという選択は正しかったと思えているのでとてもありがたい。多くの方々のお力添えをいただき仕事をすることが出来て、語学留学する余裕まで手にすることが出来たことに感謝してもしきれない。

いよいよこの部屋とも今日でお別れだと思いながらシャワーを浴びている。そしていろいろな場面を思い出して吹き出しそうになった。それはマンゴウにお湯が出るように調整して貰った時感じたエロイ気持ちやトイレで紙が流せないので原始的な手段でお尻を洗ってすぐにシャワーを浴びるという行為自体もその間抜けな格好を帰国後に思い出してにやにやすることだろう。

 全裸で寝るのも今日が最後になる。こちらに来てわずか1か月なのに桶まんと出逢った時の事も随分前に感じられる。奴の話だと再会できるのは10年後、その時に和歌山に行ってパンダの担当をしている元葛飾北斎の親魂に会いに行こうという事になっている。

 その頃にはパンダを担当している親魂は、フリーになるそうだから北斎に関することをたっぷり訊いてみたい。

桶まんの話だとそれまでは私は元気でいるらしいから、これから先もせかせかしないで好きなことだけして悠々自適に生きていこう。

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?