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#109 終わりに・・・賢治とエミリィは何をしようとしていたのか? その3【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その47】(終)

(続き)

◯ 終わりに・・・賢治とエミリィは何をしようとしていたのか? その3

これまで書いてきたことは、考え方は私の妄想による都市伝説のようなものですが、このように考えると腑に落ちることも多い気がします。

このような「宗教的身体性」とでも言うべき、非言語的で、宗教的教義も持たないような、混沌とした信仰の形は、現代に近づくほどに失われ、私を含めた現代人は、より多くの事を「論理的」に把握しようと努めているように思われます。しかし、理屈で考えても、信仰、特に「神仏習合」のような信仰の形は理解困難です。

私の場合は、やむなく神仏習合が色濃く残る場所に行き、夜中の出羽三山や日光男体山、賢治も身近だった早池峰を暴風の中、そして、神仏習合のルーツとも言える熊野などを、さまようこととなりました。そんな体験を通すと、頭では理解できない様々なことが、感覚的に腹落ちした気もします。

賢治作品は、理屈で考えると理解できなくても、舞台となった場所で作品に触れると、直接作品が体に入ってくるような、不思議な体験が何度もあります。このような体験は、作品の「身体性」に大きく関わっていることのように思えます。

エミリィの場合には、原文が英語であるため、賢治に感じるような感覚がどの程度あてはまるか、日本人の私にとってわからない部分が多くあります。しかし、言語が放つ不思議な力という点では共通性があり、エミリィ作品も賢治作品同様の仮説が成り立つようにも思われます。

エミリィが影響を受けたエマーソンやプロテスタントなどとの関係も興味深いテーマとして多く残されています。エミリィは、プロテスタントの一派であるピューリタンの国、アメリカに生まれ、信仰復興(リバイバル)の嵐が吹き荒れるアマーストで育ったと言われます。プロテスタントの地にありながら、エミリィは詩の中にカトリック的な要素を入れようとしていたと言う話を聞いた事もあり、日本的でもある神仏習合的な要素も感じます。エミリィに影響を与えたエマーソンの東洋思想と併せると、そこには大変に興味深いテーマが含まれているようにも思えます。

このように考えてくると、二人は、言語が持つ論理性を超えた、ある種の信仰的な「何か」を探り続けていたようにも思われ、二人の作品が1世紀にもわたる長い間、魅力を保ち続けている秘密も、その部分にあるのような気がします。

現代は、未だに「神は死んだ」後の世界にあると言えます。一方で、原発事故や戦争、コロナなどにより科学も色褪せ、「新たな神様」が渇望される時代にも見えます。誰もが信じられる「神様」が死んだ以上、個人はそれぞれ自分だけの「神様的な何か」を見探さなければならず、それは困難な仕事です。だからこそ、世界各地で、不可解な事件や政治的な問題が発生し、それは日本でも同様に思えるのです。

賢治やエミリィも約100年前、グローバルに拡がった世界にアンテナを拡げ、様々な思想や信仰などを習合しながら、自分だけの神様を探し、或いは、生み出そうとしていたのではないでしょうか?

だからこそ、二人から感じられる世界は似ていて、宗教的な空気を纏い、未だに輝きが失われず、一人一人の心に直接飛び込んでくるのではないかと思いを巡らせると、腑に落ちることが多いような気もするのです。

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ここまで、取り留めのない話をダラダラと書いてきましたが、ここで、このシリーズは一段落となります。

根拠に乏しい、妄想めいた長い話をお読みいただき、ありがとうございました。

本来は文章にする事もなく、自分一人の満足のために調べてきた内容でしたが、思いがけないきっかけをいただき、また、ご支援下さった方々にも恵まれ、メモとして残すことができました。

ご支援下さった方々のお名前を書くことは控えますが、皆様の励まし無しには文章になることはなく、本当に感謝しております。

何より、どなたかが、この得体の知れない文章を読んでくださっているらしいという事がわかり、ここまで続けることができました。お読みいただいた皆様に深く感謝しております。

ありがとうございました。

(終)

2023(令和5)年11月26日(日)

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