見出し画像

黒い羽根の天使「アレクサンドル・カントロフ」ピアノリサイタル@大阪シンフォニーホール

アレクサンドル・カントロフさんのピアノリサイタルを聴きました。終わった瞬間、腰が抜けるぐらい圧巻の演奏でした。

アレクサンドル・カントロフさんといえば2019年、日本でも話題となったチャイコフスキーコンクールで、あの藤田真央さんを押しのけて1位となったピアニスト。当時若干22歳、フランス人のピアニストとしては初の第1位、さらに父は偉大なヴァイオリニスト、ジャン=ジャック・カントロフという話題性抜群の逸材です。

○公演プログラム

 という訳で、リサイタルのプログラムは以下の通り。
 
リスト:J.S.バッハのカンタータ「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」BWV12による変奏曲 S.179
シューマン:ピアノ・ソナタ第1番 嬰へ短調 op.11
リスト:巡礼の年第2年「イタリア」から ペトラルカのソネット第104番
リスト:別れ(ロシア民謡)
リスト:悲しみのゴンドラ II
スクリャービン:詩曲「焔に向かって」
リスト:巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」

○プログラム前半

プログラム前半はバッハとシューマン。開演し、舞台が明るくなってカントロフさん登場。どこかぎこちない感じ。客席に一礼後ピアノに座りしばし沈黙。その後、静かに紡ぎ出された一音に会場の空気が一変。何と美しい音なんだろう。曲は美しく透明でそして重々しく進行していきます。しかしこの透明感のある重さは一体何といえばよいのでしょうか。底が見えない透明な湖に音の塊をひとつづつ沈めていくような静かな祈りを感じました。
そしてシューマンのソナタ第1番。正直に言うと本プログラムの中で一番理解できなかった曲です。圧倒的な技術で煌びやかに展開していくのですが、私にはそれが煌びやかであればあるほど空虚に思えてならなかったのです。目の前に美しい絵画現れ、それを鑑賞しようとすると消えてしまう、そんなつかみどころのない儚げな演奏でした。

○プログラム後半

休憩中、バッハに比べあまりにもシューマンが身体に馴染まなかったので、違和感ばかりが募ってしまい、私にはこのピアニストは合わないのではないだろうかと思ってしまったのですが、後半が始まりその杞憂は一瞬にして吹き飛びました。美しくも悲痛な音に心臓を鷲掴みされたようでした。

リストのペトラルカのソネット第104番は、ルネサンス期に書かれた恋の詩をもとに作曲された曲で、恋する一人の人間の喜びと苦悩をテーマに描かれていますが、アレクサンドロフさんの演奏は、恋の苦悩というよりもっと普遍的な苦悩、そして喜びというより希望を描いているようでした。プログラムはリストの「別れ」と続き、今回のプログラムのハイライトである3曲、リスト「悲しみのゴンドラ II」、スクリャービン「焔に向かって」、リスト「ダンテを読んで」へと向かいます。この3曲が本当に圧巻でした。リストがワーグナーの死に直面し71歳で作曲した「悲しみのゴンドラ II」は不協和音を含んだ鎮魂の曲。その後すぐにスクリャービンの神秘和音で描かれた終末の曲へと続き、ダンテの神曲をテーマにしたリストの「ダンテを読んで」で最高潮を迎えます。地獄、煉獄を何度も何度も彷徨し、ようやく辿り着いた小さな希望(天国)。最後の一音が空に放たれた時、圧倒的なカタルシスが全身を駆け抜けました。

○リサイタルの感想

リサイタル全体として、曲間に拍手を挟むことを拒否し、プログラム前半、後半をふたつのソナタのように演奏されました。前半は先に書いたように違和感があったのですが、後半を聴いて私なりに腑に落ちたことがあります。そうか、今回のプログラムは全体を通して「苦悩」を描いていたのだと。前半のシューマンのソナタは、まさにシューマンが苦悩の末に書き上げた曲。シューマンの陰と陽が激しく交錯する美しすぎるソナタを前半で演奏することで後半の悲痛な苦悩を暗示していたのだと感じました。だとするとあの休憩中のもやもやが意味のある事なのだと思えました。後半の曲は単純に明るい曲は一曲もなく、まさに黒い羽根の天使が会場の空間をうめつくすようなダークな演奏でした。
 
もしかしたらカントロフさんは「苦悩」を描く中で、この世界を憂いているのかもしれません。しかしながら、それは完全な絶望ではなくあくまで苦悩なのです。であればこそ、そこに希望を見出すことも可能なのではと感じました。
 
本編が終わり、アンコールは最終的に5回演奏がありました。それはカントロフさんのすべてに対する感謝の気持ちであり、希望であったのだと思います。

素晴らしいコンサートを本当にありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?