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カメラを忘れた日。

私は普段、仕事の日でもカメラを持ち歩いている。

そんな私が、何か考え事でもしていたのだろうか、
今日はカメラを忘れた。


忘れたという事実に気づいた瞬間、
まるで小学校時代の「音楽」の日に「たて笛」を忘れたことに気づいた瞬間のように、軽く血の気が引いた(笑)。
誰にでも同じような記憶があるであろう、あの感覚だ。


せっかくの機会でもあるので、
なぜそんな感覚になったのだろうかを考えてみることにした。

私の場合、
特に年がら年中「何かを撮ってやろう」と
意識的に被写体を探しているわけではない。
だけれども、歩いていると、
撮りたいと思うモノはある瞬間突然に目の前に現れるのだ。


そしてその瞬間にカメラを持っていないと、
ものすごく残念なのである。
だからいつでもカメラを持っているような気がする。

「それならスマホだって十分じゃないか」と、
冷静な方の自分はソリャー思う。
でも、それでは楽しくはないのだ。

やっぱりお気に入りのカメラで、
ダイヤルをクリクリしたり、
リングをコネコネしたりしながら撮りたいのだ(笑)。


それは例えると、
軽快なスニーカーだって持ってはいるけれど、
「今日はどうしてもアイアンレンジャーで出掛けたい」
ようなものだし、

多機能ペンだって持ってはいるけれど、
「今日はどうしてもSAILORの万年筆で蒼いインクで書きたい」
ようなものと、
同類の感覚であることに気づいた。


グチャグチャ書いているが、
要するに「自己満足」ということである(笑)。


ちなみに、東京下町に住んでいる私は、
ペンはプラチナ(東上野)、
ノートはツバメノート(浅草橋)、
ライターは坪田パール(駒形)、
ジーンズはシュガーケーン(両国)、
シャツはマクバトロス(本所)、
あたりの下町メイドが大好物である。

いずれにしても、
手のかかる面倒くさい自己満足人間であることに、
間違いはないようだ。

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